第二の暗殺未遂
穏やかな日々は長く続かなかった。
報せが来たのは深夜。ナターシャが走り込んできた。二度目だ。今度は表情が凍りついていた。
「お嬢様。国王陛下が」
「陛下が、毒?」
「はい。病床に毒が盛られました。王妃陛下が発見し、未遂に終わりましたが、陛下は、さらに衰弱されています」
セレスティアの思考が一瞬、白くなった。
国王。レオナルド三世。病弱な王。政治の表舞台から退き、摂政エレオノーラに全権を委ねている。
その国王を暗殺しようとした。
「犯人は」
「不明です。近衛騎士団が捜査を開始しましたが、侵入経路が特定できていません」
「毒の種類は」
「銀蛇の雫ではありません。別の毒物です。経口摂取型。薬に混入されていたと」
別の毒物。別の手口。だが王宮内部の犯行であることは間違いない。国王の薬に触れられる人間は限られている。
セレスティアは冷静に考えようとした。だが頭の中で疑問が渦巻いている。
「宰相の仕業?」
自分で言って、違和感があった。
「ナターシャ。待って。おかしい」
「何がですか」
「宰相に国王を殺す動機がない」
ナターシャの目が鋭くなった。
「国王が死ねば、摂政の王妃が正式に全権を握る。エレオノーラ殿下は公爵家の味方。つまり国王の死は宰相に不利」
「はい。その通りです」
「宰相はむしろ国王を生かしておきたい。病弱な国王がいる限り、摂政の権限は暫定的なもの。宰相は貴族院を通じて摂政の権限を制限できる。でも国王が死ねば」
「王妃が完全な権力者になり、宰相の抑制が効かなくなる。宰相にとって最悪のシナリオです」
「じゃあ、誰が」
沈黙。
二人の間に答えが浮かんだ。同時に。
「マティアス」
ナターシャが息を呑んだ。
「副宰相が独走した」
◇
翌朝。王宮。
セレスティアは王妃エレオノーラの元に駆けつけた。
王妃は泣いていなかった。目が赤かったから、泣いた後なのだろう。だが今は摂政の顔をしていた。鉄の仮面。
「セレスティア。来てくれたのね」
「エレオノーラ様。陛下のお加減は」
「一命は取り留めました。だが、もう」
王妃の声が震えた。鉄の仮面の下で。
「もう長くないかもしれません。毒の前から衰弱していた。今回の毒で、さらに」
セレスティアは王妃の手を取った。冷たい手。震えている手。
「エレオノーラ様。犯人を必ず見つけます」
「見つけてどうなるの。レオナルドは、もう元の体には戻らないのよ」
王妃の仮面が一瞬、揺らいだ。妻の顔が覗いた。
「二十年、一緒にいたの。弱くて、頼りなくて、でも優しい人だった。誰にも見せない場所で、いつも笑っていた。『エレオノーラ、今日も綺麗だね』って——毎朝言ってくれたの。二十年間、毎朝」
「……」
「そんな人を——殺そうとした。許さない。誰であっても、絶対に」
鉄の仮面が戻った。いや、鉄よりも硬いもの。
怒り。二十年の愛を踏みにじられた女の怒り。
「エレオノーラ様。一つ、お伝えしたいことがあります」
「何かしら」
「この暗殺未遂は宰相の仕業ではない可能性があります」
王妃の目が鋭くなった。
「宰相ではない? あの男以外に誰が」
「副宰相マティアスです。宰相の部下でありながら、宰相の意向を超えて動いた可能性があります」
セレスティアは分析を説明した。宰相にとって国王の死は不利であること。マティアスが野心を持っていること。摂政制度の混乱を利用しようとしている可能性。
王妃は黙って聞いていた。
「……つまり、宰相派の中に亀裂がある、と」
「はい。宰相とマティアスは同じ方向を向いていない。マティアスは宰相を裏切る準備をしている可能性があります」
「セレスティア。あなたは恐ろしい子ね」
「恐ろしいですか」
「十二歳の少女が王宮の暗部を、ここまで正確に読む。ナターシャの教育の成果かしら。それともあなた自身の資質」
「両方です」
王妃が微笑んだ。冷たい微笑み。だがその奥に信頼がある。
「分かりました。マティアスを調べます。摂政の権限で。表の捜査は近衛騎士団に。裏の捜査は」
「わたしに。お任せください」
「頼みます。セレスティア」
「はい」
「レオナルドを守ってくれたのは、あなたの情報があったから。杯の毒の時も。あなたがいなければアレクシスは死んでいた」
「エレオノーラ様……」
「今度はわたしの番よ。国王を守る。摂政として。妻として」
王妃の目に涙が光った。だが流れなかった。
◇
王宮の廊下を歩きながら、セレスティアは考えた。
「ナターシャ。カスパルを経由して、宰相に情報を流す。『国王暗殺未遂の犯人は副宰相の独走である』と。真実を、そのまま」
「真実を流すのですか。偽情報ではなく」
「うん。今回は真実が一番効く。宰相はマティアスの独走を知らなかった。知ったら激怒する。部下が勝手に動いたことへの怒り。そして部下を制御できなかった自分への怒り」
「宰相の怒りを利用するのですね」
「そう。怒った人間はミスをする。あの冷徹な宰相でさえも」
セレスティアは廊下の窓から、空を見た。
曇り空。嵐が近い。
「殿下に伝えなければ」
ナターシャが頷いた。
セレスティアはアレクシスの書斎に向かった。足が重かった。
◇
アレクシスの書斎。
ドアを叩いた。すぐに「入れ」と声がした。アレクシスはすでに起きていた。机に向かって、何かを読んでいた。
セレスティアを見た瞬間、顔が変わった。
「セレスティア。何かあった」
「はい。殿下」
一拍、止まった。
「陛下に、毒が盛られました」
アレクシスの顔から、色が消えた。
「父上が」
「はい。未遂に終わりました。王妃様が発見されて。でも、陛下は、さらに衰弱されています」
静寂。
アレクシスは何も言わなかった。目が机の上の書類に向いていたが、何も見ていなかった。
「……殿下」
「分かった」
「殿下」
「分かっている。父上は——」
声が止まった。
「父上はいつも笑ってくれた。僕が勉強を見せに行くと。ベッドの上で。弱々しく、でも」
「……」
「情けない王だと思っていた。政治も国防も全部母上に任せて。でも——今、思う。あの笑い方は、本物だったと」
アレクシスの手が、机の上で握りしめられた。
「犯人を」
「調べます。必ず」
「約束できるか」
「約束します」
アレクシスが立ち上がった。窓の外、曇り空を見た。
「父上を守れなかった。僕は」
「まだ生きています。諦めないでください」
「……うん」
長い沈黙があった。
セレスティアは書斎を出なかった。傍にいた。
しばらくして、アレクシスが口を開いた。
「セレスティア。犯人が分かったら、教えてくれ。僕に」
「はい」
「お前やコンラートや大人たちが動いて、後から知らされるのは——もう嫌だ」
「分かりました。知らせます。最初から」
「頼む」
アレクシスがセレスティアを見た。目に力があった。悲しみと怒りと、何か固いものが混ざった目。
「ありがとう。来てくれて」
「殿下の傍にいたかった」
「……そうか」
また沈黙。
でも今度は重くなかった。
曇り空は変わらなかった。でも書斎の中は少し、暖かかった。
ナターシャが廊下で待っていた。
扉を出て、小さく頷いた。ナターシャが頷き返した。
嵐は近い。だが今は書斎に灯りがある。それだけは確かだった。
捜査は、続く。まだ終わっていない。




