犯人捜査
暗殺未遂事件から三日。
王宮は騒然としていた。王太子の杯に毒。それは王国の安全保障に直結する重大事件だ。
近衛騎士団長ジークフリートが捜査の指揮を執った。五十代の歴戦の騎士。白髪交じりの短髪。鉄のように堅い男だ。
拘束された給仕は口を割らなかった。
「わたしは何も知りません。杯に触れたのは配膳の手順です。毒など——」
嘘だ。だが給仕は頑なに否認した。背後に脅迫があるのか、あるいは報酬を約束されているのか。
ジークフリートは尋問を続けたが、給仕からは有用な情報が出なかった。
セレスティアは裏から動いた。
◇
ニコラス。
闇商人ギルド長。王都の裏社会を取り仕切る情報屋。ナターシャを通じて、セレスティアは以前からニコラスの情報網を利用していた。
「毒の流通ルートを追ってほしい」
ナターシャがニコラスに依頼を出した。
二日後、ニコラスからの報告が来た。
『杯に使用された毒は「銀蛇の雫」。南方原産の接触型毒物。王都の闇市場で流通しているが、入手は容易ではない。過去三ヶ月間に「銀蛇の雫」を購入した記録は三件。うち二件は特定済み(薬師と毒物研究者)。三件目は購入者の情報が抹消されている。
抹消の手口は巧妙。取引記録そのものが書き換えられている。闇市場でこれほどの情報操作ができる人間は限られる。
王宮内部に、かなり高位の協力者がいる。
ニコラス記す』
購入者の情報が抹消されている。闇市場の記録を書き換えるほどの力を持つ人間。
「宰相の直接指示ではないかもしれません」
ナターシャが分析した。
「宰相が闇市場と直接取引するリスクは犯さないでしょう。間に複数の仲介者を挟んでいるはず」
「カスパルが仲介者の一人」
「おそらく。ですがカスパルも直接手を汚していないでしょう。さらに間に——」
「人形の糸が何本もある。一番上にいるのは宰相。でも糸を辿っても途中で切れる」
「はい。宰相の常套手段です。ヘルマン様が言っていた通りです」
「直接手を下さない。証拠を残さない」
厄介だ。だが完全に消すことはできない。どこかに、糸の切れ端が残っている。
「ナターシャ。ニコラスに追加依頼を。三件目の購入の前後一週間の闇市場の来客記録。購入者自体は消されていても、同じ時期に来ていた人間の中に手がかりがあるかもしれない」
「周辺情報から絞り込むのですね」
「うん。直接の証拠がなくても、状況証拠の網を張れる」
◇
同時進行で、ナターシャ自身の情報網も動いていた。
「お嬢様。一つ、重要な情報が入りました」
「何」
「毒を運んだ給仕、あの男が、事件の二日前にカスパルと接触していました」
「直接接触?」
「はい。王宮の中庭で。短い会話でした。三分ほど」
「目撃者は」
「コンラート様です。訓練場から中庭が見えるそうです」
「コンラートの証言は信用できるけど、三分の会話だけでは証拠にならない。カスパルは『挨拶しただけ』と言い逃れできる」
「はい。状況証拠に過ぎません」
「でも一つのピース。ニコラスの情報と合わせれば、網が狭まる」
セレスティアは机の上に紙を広げた。関係図を描いた。
中央に「宰相」。そこから線が伸びる。「カスパル」。「給仕」。「毒の購入者(不明)」。「闇市場の仲介者(不明)」。
線が四本。そのうちカスパルと給仕を結ぶ線だけが、コンラートの証言で確認された。
他の三本はまだ見えない。
「ジークフリート騎士団長にこの情報を渡す?」
「まだです。カスパルとの接触だけではジークフリートも動けないでしょう。カスパルは王太子の侍従です。軽々に告発できない」
「じゃあもっと証拠を集める」
「はい。カスパルを泳がせて、尻尾を掴むしかありません」
泳がせる。先手を取っているだけでは足りない。決定的な証拠が必要だ。
「ナターシャ。カスパルの行動を二十四時間体制で監視して」
「王宮の内部で二十四時間の監視は困難です。ですがコンラート様とエミーリア様(王妃付き侍女)の協力があれば、主要な時間帯はカバーできます」
「お願い。あと、イルゼの調査は」
「イルゼ・ハーゼ。二十九歳。台所の配膳係。カスパルとの接触歴は、今のところ確認できていません」
「今のところ——」
「ですが、イルゼが配膳係であることは注目に値します。晩餐会で杯を運んだのも配膳係です。イルゼは事件当夜、シフトに入っていませんでした」
「入っていなかった?」
「はい。当夜の配膳係は四人。イルゼはその中に含まれていません。ですが」
「でも?」
「イルゼは事件の三日前まで、その夜のシフトに入っていました。三日前に急遽変更され、代わりに拘束された給仕が入りました」
セレスティアの目が鋭くなった。
「シフトが入れ替わった。イルゼの代わりに、あの給仕が」
「はい。通常、配膳のシフト変更には副料理長の承認が必要です」
「副料理長、マルタ・クラインフェルト」
名簿にあった名前。三十二歳。茶色い髪。
「マルタが承認した?」
「承認記録があります。理由は『イルゼの体調不良』」
「イルゼは本当に体調不良だったの?」
「調べました。イルゼは事件の前後、体調不良の記録がありません。通常勤務です」
嘘の体調不良。シフトの入れ替え。代わりに入った給仕が毒を塗った。
イルゼは外された。なぜ。
二つの可能性。
一つ。イルゼが巻き込まれるのを防いだ。誰かがイルゼを「守った」。
二つ。イルゼは本来の実行役だったが、何らかの理由で交代させられ、代わりの給仕が送り込まれた。
「……まだ分からない。でもイルゼはこの事件の周辺にいる」
「引き続き調査します」
「お願い。そしてナターシャ」
「はい」
「この事件は始まりに過ぎない」
「始まり?」
「今回、わたしが発見者だから、すぐには犯人にできない。でも宰相は別の方法を考える」
「別の方法——」
「『なぜセレスティアは気づけたのか』。この問いを武器にする。『毒の存在を事前に知っていたのではないか』。『共犯者が直前に教えたのではないか』。あるいは『予知の力で知っていたのではないか』」
ナターシャの表情が引き締まった。
「助けたことが罪になる」
「そう。だから先手を打つ。『なぜ気づけたか』の答えを、わたし自身が先に用意する」
「答えは?」
「おにいさまの理論。聖魔力が知覚を拡張する、あの論文。まだ完成していないけど、骨子だけでも公表してもらう。『聖魔力保有者は常人より鋭敏な知覚を持つ。だから微細な異変に気づける』と」
「学術的な説明を盾にするのですね」
「うん。宰相が『予知だ』と攻める前に、フェリクスおにいさまが『知覚拡張だ』と説明する。学者の言葉は政治家の言葉より信用される」
ナターシャは頷いた。
「フェリクス様に至急連絡します」
「お願い」
セレスティアは関係図を見つめた。
線が増えている。人が増えている。敵も味方も。
「ナターシャ。一つ聞いていい?」
「はい」
「あなたは疲れてない?」
ナターシャが目を丸くした。
「わたしばかり頼んでる。ナターシャに。全部。情報収集も分析も連絡も。大丈夫?」
ナターシャは少し驚いた顔をして、それから微笑んだ。
「お嬢様。わたしはこの仕事が好きです」
「好き?」
「はい。走ることが。情報を追うことが。お嬢様の傍で世界を変える一端を担っていることが」
「……ナターシャ」
「でもお気遣いありがとうございます。お嬢様からそう言ってもらえると、また走れます」
「無理しないでね」
「お嬢様こそ」
二人で笑い合った。
この部屋の中だけは、穏やかだった。
「ナターシャ。ありがとう。いつも」
「いつものことです」
「いつものことが——一番大事」
ナターシャが少しだけ目を細めた。笑顔を隠すように。




