前世の証人
夜。自室。
セレスティアは分析ノートを開いて、前世の記憶を辿っていた。
処刑に至る道筋を、もう一度、正確に思い出す必要がある。
ペンを取った。暗号で書く。
『前世の処刑に至る主要な出来事。
一、王太子暗殺未遂事件。
アレクシスの杯に毒が混入された。
セレスティアが犯人とされた。婚約者だから動機があると。
→ 今世ではまだ起きていない。だが婚約した。条件が揃いつつある。
二、法廷での証言。
証人は四人。
カスパル「セレスティアが殿下に不自然に接近していた」
テオドール「公爵家で闇の魔術の儀式を目撃した」(偽証)
ヴィオレッタ「セレスティアが権力欲を隠さなかった」(脅迫による証言)
名も知らぬ女中「セレスティアの部屋から禁忌の薬物を発見した」(捏造された証拠)
→ 今世の状況。
カスパル:まだアレクシスの傍にいる。排除できていない。
テオドール:保護済み。今世では味方。
ヴィオレッタ:味方に転向済み。安全。
名も知らぬ女中:???
三、宰相の弁論。
「聖魔力の持ち主は国の脅威である。歴史上、聖魔力を持った者は例外なく災厄を招いた」
→ 今世でも同じ論法を使おうとしている。テオドールの報告書はその材料。
四、判決。
処刑。断頭台。
→ 今世ではさせない。』
四人の証人のうち、三人は対処済みだ。テオドールは保護した。ヴィオレッタは味方。カスパルは泳がせている。
三つを同じ言葉で括った。「対処済み」と。
テオドールとカスパルは同じ罠にかかっている。家族を握られて、逆らえない。片方は引き上げた。片方は水に入れたままにしてある。
カスパルを今抜けば、殿下の傍に空席ができる。誰が入るか分からない席を作るより、中身の分かっている目を残す方が安全だ。
正しい。
何度考えても正しかったので、そのまま「対処済み」に入れた。
だが、四人目。
名も知らぬ女中。
前世の法廷で、最後に証言台に立った女。セレスティアの部屋から「禁忌の薬物」が見つかったと証言した。
セレスティアの部屋に薬物はなかった。捏造だ。誰かがセレスティアの部屋に薬物を仕込み、女中に「発見させた」。
問題は、その女中が誰だったかだ。
前世の記憶を辿る。法廷の場面。証言台に立った女。
顔は覚えている。三十歳前後くらい。茶色い髪。痩せた顔。目が怯えていた。テオドールと同じ、脅されている目。
名前は聞いた。法廷で名乗った。
「わたくしは——」
何と言った?
記憶が曖昧だ。処刑の恐怖が記憶を歪めている。あの日の記憶は、鮮明な部分と曖昧な部分がある。
鮮明なのは断頭台の冷たさ。群衆の声。アレクシスの背中。
曖昧なのは法廷の細部。証人の名前。弁論の細かい文言。
「思い出せない……」
焦った。
「ナターシャ」
「はい」
「王宮の女中の名簿を手に入れられる?」
「王宮の使用人名簿ですか。難しいですが、不可能ではありません。婚約者として王宮に出入りしている今なら」
「三十歳前後。茶色い髪。痩せた顔。この特徴に合う女中を探してほしい」
「それだけの情報では候補が多すぎます」
「分かってる。でも絞り込める手がかりがあるかもしれない」
セレスティアは目を閉じた。前世の記憶をもう一度、深く掘り下げる。
法廷。証言台。女中。
女中は何を着ていた?
白い、いや、灰色のエプロン。王宮の台所使用人の制服。台所の女中だ。
台所。
セレスティアの目が開いた。
公爵家でも、テオドールが最初に当たったのは台所だった。洗い場のギーゼラに「三歳のお嬢様が薬草の名前を言い当てた」と証言させている。
宰相派は台所の人間を使う。台所は毒に最も近く、そして最も軽く扱われる場所だから。
「ナターシャ。絞り込む。王宮の台所使用人。三十歳前後の女性。茶色い髪」
「台所なら候補は大幅に減ります。調べます」
「お願い。あと一つ」
「はい」
「その女中がカスパルと接触しているかどうかも」
二人一組の罠。カスパルが薬物を仕込み、女中が「発見する」。
「前世の罠を、今世で先に潰す」
「お嬢様?」
「何でもない。調べて。急いで」
「承知いたしました」
◇
三日後。ナターシャが報告を持ってきた。
「王宮の台所使用人の名簿を入手しました。三十歳前後の女性、茶色い髪。該当者は三人います」
「三人。名前は」
「マルタ・クラインフェルト。三十二歳。台所の副料理長。
マリア・ヴェーバー。三十五歳。洗い場担当。
イルゼ・ハーゼ。二十九歳。配膳係」
セレスティアは三つの名前を見た。
マルタ。マリア。イルゼ。
記憶の奥底を探る。法廷で名乗った名前。
「わたくしは——」
イルゼ。
閃いた。
「イルゼ・ハーゼ」
「お嬢様。根拠は」
「直感。根拠はない。でもこの名前に、覚えがある」
嘘だ。前世の記憶だ。でもそう言えない。
「イルゼ・ハーゼの経歴を調べて。それとカスパルとの接触歴」
「承知いたしました」
ナターシャが調査に入った。
セレスティアは窓の外を見た。
◇
翌々日。ナターシャが戻ってきた。
「イルゼ・ハーゼについて調べました。三年前から王宮に勤めています。出身は北部の農家。両親と弟が二人、地方にいます」
「弟が」
「はい。下の弟が今年、職を求めて王都に出てきているとのことです。働き口は今のところ不安定で」
テオドールと同じ構図だ。家族に弱点がある。カスパルがその弱点に気づいていないはずがない。
「カスパルとの接触は」
「月に一度ほど、王宮の東回廊ですれ違っています。ただ——あそこは台所から使用人棟への近道です。通らない使用人の方が少ない。接触と言えるものかどうか、わたしには判断がつきません」
「他には」
「三週間前、イルゼが王宮の東棟に立ち入っています。台所係が入る区画ではありません」
東棟。アレクシスの執務室に近い区画。薬物を仕込む場所として——候補になりうる。
「会う。今週中に」
「接触の方法は」
「婚約者として台所を視察する。理由はある。フリーデリケが焼くパンをアレクシスが好きだから、王宮の厨房に正式に依頼する手続きをする、とでも言えばいい」
ナターシャが少し考えた。
「……確かに、不自然ではありません。婚約者が王宮の食事に関心を示すのは自然なことです」
「そのついでに台所の視察。イルゼと二人になれる時間を作って」
「分かりました。段取りを組みます」
ナターシャが扉を出ていった。
夕日が王宮の庭に落ちていた。
テオドールの時を思い出した。怯えた目の男。震える手。脅されて、脅されて、それでも最後には「法廷に立ちます」と言った。
イルゼも、そうかもしれない。
脅されているだけなら、先に手を差し伸べる。
「イルゼ・ハーゼ」
窓に向かって、名前を口にした。
テオドールが「三歳のお嬢様の目は怖いものではなかった」と言った。必死で誰かを守ろうとしている目、と。
イルゼの目に、何が見えるだろう。
それを見てから、判断する。
◇
夜。分析ノートを開いた。
今日、暗号で書いたものとは別に、もう少し書く気になった。短く。
『前世の法廷には四人の証人がいた。
今世では、三人の向きを変えた。
残り一人は今週、確かめに行く。
前世の記憶は完璧ではない。
法廷の細部は曖昧で、顔より名前の方が薄い。
でも名前が出てきた。イルゼ、と。
正しいかどうかは、本人に会ってみれば分かる。
目を見れば、分かる気がする。』
ペンを置いた。
窓の外、王都の夜が広がっていた。明かりが点在している。イルゼ・ハーゼも、どこかで今夜を過ごしているだろう。王宮の使用人棟の一室で。
怯えているだろうか。
カスパルに指示されて、何かをするよう言われているだろうか。
まだ何もされていない。まだ間に合う。
ノートを閉じた。ランプを消した。




