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前世で処刑された公爵令嬢、幼女からやり直して家族の破滅フラグを全部折ります  作者: NN
第5章 十歳の分岐と婚約

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前世の地図

 イザベラからの情報は、三日前、ナターシャを経由していつもの暗号で届いていた。


 『宰相が学期末の魔力演習を利用する。セレスティアの聖魔力を、公の場で暴発させる計画。準備期間は二ヶ月』


 セレスティアは自室の机に向かい、その文面を何度も読み返した。魔力を暴発させる。


 宰相は、また同じ狙いの罠を使おうとしている。ならば今度は、事前に装置を見つけ出して無力化すればいい。


 ◇


 前世の記憶を辿った。学期末の魔力演習は、大講堂の隣にある演習場へ王族や貴族院議員を招いて行われる公式行事だった。


 そして前世では、魔力暴走装置は演習場の地下に設置されていた。


 演習場の石畳の下には、古い排水路を利用した隠し通路がある。前世では事件の後、装置の残骸とともに発見された場所だ。


 セレスティアは前世の記憶から、通路の入口の位置まで覚えていた。演習場の東側、壁際から三番目にある、ほかよりわずかに色の薄い石畳だ。


 あの石を持ち上げれば、地下への入り口がある。


 「先に見つけて、無力化する」


 呟いた。


 前世の記憶が正しければ、まだ装置は設置されていないか、設置の途中のはずだ。宰相は「準備に二ヶ月」と言っていた。今はまだ一週間も経っていない。


 装置が完成する前に見つけ出す。証拠を押さえる。そうすれば宰相の計画を未然に防げる。


 前世の地図を持っている自分にしかできないことだ。


 ◇


 翌日の昼休み、セレスティアは石段にヴォルフとフェリクスだけを呼んだ。


 フリーデリケやリディアには声をかけなかった。危険なことに巻き込みたくなかった。


 「お兄様。ヴォルフ」


 二人が来た。フェリクスは分厚い本を抱えたまま。ヴォルフは無言で、セレスティアの二歩後ろに立った。


 「相談があります」


 セレスティアは声を落とした。


 「魔力演習場の地下に、古い排水路があるのをご存じですか」


 フェリクスが眉を上げた。


 「演習場の地下? 建築記録には、確かに百年前の排水設計図がある。だが現在は使われていないはずだ」


 「その排水路に、魔力暴走装置が仕掛けられる可能性があります」


 フェリクスの目が細くなった。妹の言葉から情報を拾い、組み立て直す学者の目だった。


 「根拠は」


 「五歳の時と狙いは同じです。宰相は学期末の魔力演習で、今度はわたし自身の聖魔力を暴発させようとしています。装置の設置場所として、演習場の地下が最も適しています」


 半分は事実で、残る半分は前世の記憶に基づいている。もちろん、そのことを口にするわけにはいかない。


 「根拠としては弱い」


 フェリクスは即座に答えた。


 「推測でしかない。だが、確認する価値はある」


 「はい。夜間に演習場を調べたいのです。装置が設置される前に」


 二人が黙り込んだ後、ヴォルフが初めて口を開いた。


 「お嬢様が、直接行かれるのですか」


 「わたしでなければ、魔力暴走装置の魔力反応を感知できません。お兄様の検知魔法では、聖魔力に特化した装置の反応は拾えない」


 フェリクスが頷いた。


 「それは確かだ。聖魔力の検知は、聖魔力の保有者にしかできない。理論上は」


 「ヴォルフには護衛を。お兄様には排水路の構造の確認を。わたしが中に入って、装置の有無を確かめます」


 フェリクスは本を閉じた。


 「時期は」


 「明後日の夜。月が出ない日です」


 「……いいだろう。だがセレスティア、一つ条件がある」


 「なんですか」


 「異常があれば即座に撤退する。装置を見つけても、その場で無力化しようとしない。確認だけだ」


 「分かりました」


 ヴォルフは何も言わなかった。ただ頷いた。護衛を引き受けた、という意味の沈黙だった。


 ◇


 二日後の深夜。月のない夜に、セレスティアはヴォルフと共に寮を出た。フェリクスは別のルートから合流する手筈だった。


 夜の学園は静かだった。警備兵は巡回しているが、ヴォルフは事前にその経路と交代時刻を調べていた。彼の案内で人目を避け、三人は演習場へ辿り着いた。


 大きな石造りの建物。昼間は生徒たちが魔力制御の訓練に使う場所。今は暗く、静まり返っている。


 フェリクスが既に待っていた。手に小さな魔法灯を持っている。


 「排水路の入り口は東側の壁際だ。建築記録と照合した。三番目の」


 「三番目の石畳」


 セレスティアが先に言った。フェリクスの目が、一瞬だけ鋭くなった。


 「……お前が先に知っているのか」


 「推測です」


 嘘ではない。前世の記憶に基づく推測だ。だがフェリクスの目は「推測ではないだろう」と言っていた。問い詰めはしなかった。


 東側の壁際から三番目の石畳は、記憶どおり、ほかより少しだけ色が薄かった。


 ヴォルフは石の隙間へ指を差し込み、力任せに引くのではなく、音を殺して石畳を持ち上げた。下から地下へ続く階段が現れる。


 階段の奥は暗く、古い排水路特有の湿った匂いが下から上がってきた。


 「わたしが先に降ります」


 「いいえ。私が安全を確かめます。お嬢様は、その後ろに」


 二歩後ろにいたヴォルフが、珍しく譲らなかった。先に階段を降りた彼が足場と通路を確かめ、合図を受けてからセレスティアが続いた。


 フェリクスは地上に残った。見張りと、万が一の時の援護。


 ◇


 地下は狭かった。天井が低く、大人は屈まなければ歩けない。ヴォルフは身を縮めて、それでも音を立てずに歩いた。


 セレスティアは魔力を研ぎ澄ませた。聖魔力の感覚を全開にして、装置の反応を探る。


 暗闇の中を進むあいだ、唯一の灯りはセレスティアの手のひらに宿した聖魔力の淡い光だった。


 排水路は演習場の床下を、東から西へ長く伸びていた。


 前世の記憶では、装置があったのはこの通路の中央付近だ。だが記憶の場所へ辿り着いても、そこには何もなかった。


 装置がない。魔力反応もない。空っぽの排水路が続いているだけだ。


 「……ない」


 呟くセレスティアの傍らで、ヴォルフが壁から天井、床まで順に確かめた。しかし何もなく、装置を据えた痕跡さえ見当たらない。


 「もう少し先かもしれない」


 さらに西の端まで進んだものの、そこにも何もなかった。


 一歩ごとに魔力の気配を探りながら排水路の全域を歩いたが、装置はどこにもなかった。


 「お兄様」


 地上に戻り、フェリクスに報告した。


 「何もありませんでした」


 フェリクスの表情が変わらなかった。予想していたのかもしれない。


 「設置がまだなのか、あるいは」


 「場所が違う」


 口にした途端、セレスティアの胸の奥が冷えた。前世とは、場所が違う。


 前世と同じ場所に、装置はない。宰相は今世では、別の場所を選んでいる。


 前世の地図に誤りがあったのではない。過去を記した地図が、今世の行き先まで示してくれると思い込んだ自分が間違っていたのだ。


 ◇


 その時だった。


 「誰だ」


 演習場の外から声が聞こえた。ヴォルフは瞬時にセレスティアの前へ出て、剣の柄に手をかける。


 「巡回ではない」


 ヴォルフが低く告げた。巡回の時間は把握しており、今ごろ演習場の周辺を通る警備兵はいないはずだ。ならば外にいるのは、別の目的で来た人間ということになる。二つの灯りが、次第に近づいてきた。


 フェリクスが魔法灯を消した。だが遅かった。


 「おい。そこに誰かいるぞ」


 「演習場の石畳が、開いている」


 聞こえてきたのは、どちらも覚えのない男の声だった。セレスティアが暗闇の中で息を止めると、ヴォルフが囁いた。


 「東側の窓から。お嬢様を先に」


 ヴォルフに導かれ、セレスティアは東側の窓から演習場を抜け、裏手の茂みへ身を隠した。フェリクスも別の経路から離脱した。


 だが石畳は開いたままだった。閉じる時間がなかった。


 そして、セレスティアたちが演習場の中にいたことは、見られた可能性がある。


 ◇


 翌朝、ナターシャが青い顔で報告を持ってきた。


 「お嬢様。……悪いお知らせです」


 「言って」


 「昨夜、『公爵令嬢が深夜に魔力演習場に侵入し、地下の魔力装置を調べていた』という報告が、学園の管理局に上がりました」


 セレスティアは、胸の奥が大きく脈打つのを感じた。


 「報告者は」


 「不明です。ですが、報告の内容が詳しすぎます。セレスティアさまが地下に降りたこと。魔力を使ったこと。石畳を開けたこと。全て把握されています」


 「……監視されていた」


 「はい。おそらく宰相側の人間です。演習場を監視していた」


 当然だ。宰相が装置を設置しようとしている場所なら、監視を置いているに決まっている。いや、違う。


 宰相は装置をここに設置していなかった。にもかかわらず監視がいた。つまり。


 宰相は、セレスティアが来ることを予想していた。罠だ。


 装置をあえて別の場所に移し、元の場所に監視だけを置いた。セレスティアが「前世の知識」で動くことを、読んでいた。


 罠だったのだと理解した瞬間、指先から血の気が引いた。


 ◇


 被害は、三日で広がった。


 「公爵令嬢が深夜に魔力演習場に侵入」。この事実だけが独り歩きした。


 学園管理局への報告は、宰相の手で加工されていた。「公爵令嬢が地下の魔力装置を操作しようとしていた」という内容に変わっていた。


 操作しようとした。装置を無力化しようとしたのではなく、操作しようとした。意味が全く違う。


 「聖魔力を持つ公爵令嬢が、魔力装置に手を出そうとしていた」。これは「聖魔力の危険性」を裏付ける話になる。自ら魔力装置に関与しようとする少女。制御できない力を持つ少女が、さらに危険な行動を取っている。


 ナターシャは、さらに続けた。


 「中立派のブランケンブルク伯爵が、公爵家への支持を撤回しました」


 「……理由は」


 「『公爵令嬢の行動に不安を覚えた』と。深夜の侵入と魔力装置への関与が、直接の理由です」


 これで中立派を一人失った。ブランケンブルク伯爵は穏健派の重鎮であり、その離脱は貴族院の票数に直接響く。


 セレスティアは自室の椅子に座ったまま、動けなかった。


 ◇


 フェリクスが来た。


 「結果を聞いた」


 「……お兄様」


 「報告書の加工は宰相の常套手段だ。事実を曲げずに、解釈だけを変える。見事な手口だが、感心している場合ではないな」


 フェリクスは椅子に座った。


 「セレスティア。一つ聞く」


 「……はい」


 「お前は、なぜ演習場の地下を知っていた」


 セレスティアは答えられず、黙り込んだ。


 「建築記録を調べたと言うなら、それでいい。だが三番目の石畳の位置まで知っていたのは、建築記録には載っていない」


 フェリクスは、答えられない妹を急かさずに待った。


 「……答えなくていい。ただ、一つだけ言わせてくれ」


 「はい」


 「お前の『地図』は、今世では使えないことがある。お前がどんな地図を持っているかは聞かない。だが、その地図が描かれた場所と、今いる場所は、同じではない」


 フェリクスは問い詰める形を取らず、学者らしい言葉に包みながら核心を突いていた。


 「地図を捨てろとは言わない。地図は参考にしていい。だが地図だけを頼りに歩くな。目の前の地形を見ろ。今の道を見ろ」


 セレスティアの目から、涙が一筋落ちた。


 「……お兄様。わたし、間違えました」


 「間違えた。ああ、間違えた。だが間違いは致命的ではない。まだ」


 「中立派を一人失いました」


 「一人だ。全員ではない。取り返せる」


 「宰相に、わたしの力のことを、もっと確信させてしまいました。わたしが『まだ起きていない計画』を知っていたことの証拠を渡してしまった」


 フェリクスの表情が、少しだけ曇った。


 「それが、最も深刻だ」


 学者は正直だった。慰めの嘘はつかない。


 「宰相はお前の『先回り能力』に確信を持つだろう。『この少女は未来を知っている』という仮説が、補強された」


 セレスティアは膝の上で拳を握った。


 「わたしの『地図』が、わたし自身を追い詰めている」


 「地図の存在を、敵に悟られた。地図の内容が正確かどうかは別として、地図を持っていること自体が、お前の最大の秘密だ。そしてその秘密が漏れかけている」


 部屋が静かだった。窓の外では、夕日が沈もうとしていた。


 「お兄様」


 「ああ」


 「前世の地図が間違っていたら、わたしには何が残りますか」


 フェリクスは即答しなかった。長い沈黙の後、兄は言った。


 「妹よ。地図がなくても、足がある。目がある。仲間がいる。石段がある」


 「……」


 「お前は地図で歩いてきたんじゃない。自分の足で歩いてきたんだ。地図は便利だった。だがお前を歩かせたのは地図じゃない」


 セレスティアは拳を握り、声を殺して泣いた。けれど堪えきれず、やがて嗚咽が漏れた。椅子の上で身体が折れ、額が膝についた。


 フェリクスが立ち上がる気配がした。しかし、近づいてはこなかった。今、触れれば妹が壊れると分かっているのだ。


 「ごめんなさい」


 掠れた声しか出なかった。誰に謝っているのか、自分でも分からない。中立派を失わせた味方か、危険へ巻き込んだ兄か、あるいは十八歳で死んだ自分自身なのか。地図があれば大丈夫だと思っていた。前世の記憶さえあれば同じ轍は踏まないという慢心が、敵に手札を晒した。

 三歳の時から積み上げた石段が、足元で崩れる音がした。


 ◇


 ヴォルフが部屋の前に立っていた。いつもの二歩後ろではなく、扉の前に。


 「お嬢様」


 「……ヴォルフ」


 「申し訳ありません。監視に気づけませんでした」


 「ヴォルフのせいではありません」


 「お嬢様のせいでもありません」


 静かな声だった。


 「判断は間違いではありませんでした。確認する必要があった。結果が悪かっただけです」


 ヴォルフはそれだけ言って、また沈黙した。セレスティアは扉越しに、ヴォルフの気配を感じていた。


 剣しか持たず、多くの言葉も持たない。それでも、必要な時には必ずそこにいる男だった。


 「ヴォルフ」


 「はい」


 「明日も、よろしくお願いします」


 「……はい」


 短い返事だったが、その一言にヴォルフの変わらない忠誠が込められていた。


 ◇


 夜、セレスティアは窓辺に立っていた。宰相は装置の場所を変えていた。セレスティアの先回りを読んでいた。


 「この人は、わたしが思っている以上に、わたしを見ている」


 「地図を捨てることはできない。でも、地図だけを見て歩くことは、もうやめる」


 窓の外に広がる夜空は曇り、星は見えなかった。


 明日からは、地図のない道を歩く覚悟をしなければならない。そう考えるだけで怖かった。


 前世の記憶だけに頼らないなら、十歳の少女として、今世で学び、見てきたものから考えるしかない。そして今世のセレスティアには、一人で答えを出せない時に頼れる仲間がいる。


 フェリクスもヴォルフもいる。フリーデリケ、リディア、アネリーゼ、コンラート、そして父と母もいる。


 「わたしは間違えた。でも、まだ歩ける」


 声は震えていたが、それでも言葉にすることができた。


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