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前世で処刑された公爵令嬢、幼女からやり直して家族の破滅フラグを全部折ります  作者: NN
第5章 十歳の分岐と婚約

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ルシアンの野心

 第一王子ルシアン・レグナシオンは十二歳になっていた。


 王太子アレクシスより二つ年上だが、王位継承権は第二位だった。この国の法では、側室の長男よりも正妃の嫡男が優先される。


 それが、ルシアンにはずっと、棘のように刺さっていた。


 「王太子殿下は十歳の少女に操られている。それが王太子の姿か」


 ルシアンは自室で、鏡に向かって呟いた。鏡の中の自分は、顔立ちだけなら父に似ている。赤みがかった茶髪と灰緑色の目は母譲りだが、目元には父の面影があった。だが父ほど穏やかではない。もっと、尖っている。


 マティアスが教えてくれた。「殿下の資質は、王太子殿下のそれを凌ぐ」と。


 お世辞だと分かっている。マティアスは副宰相だ。宰相の手足だ。ルシアンを持ち上げることで利用しようとしている。分かっている。


 だが、分かっていても、嬉しい言葉は嬉しい。


 アレクシスは褒められる。いつも。「アレクシス殿下は聡明だ」「アレクシス殿下は将来の名君だ」と。


 ルシアンを褒めてくれるのは、マティアスだけだった。


 「殿下、失礼します」


 扉が開いた。マティアスが入ってきた。三十二歳。端正な顔立ち。父の宰相に似た冷たい知性を持っているが、もう少し、柔らかい。それが計算なのか天性なのか、ルシアンには分からない。


 「イザベラ嬢が参りました」


 「通せ」


 イザベラ・ド・ガルニエが入ってきた。十一歳。宰相の娘。黒い髪を結い上げた、大人びた少女。


 「ルシアン殿下。お呼びでしょうか」


 「座れ。話がある」


 イザベラは椅子に座った。背筋が真っ直ぐだ。宰相の家で教育された所作。


 マティアスが部屋を出た。二人きりになった。


 「イザベラ。率直に聞く」


 「はい」


 「僕と、組まないか」


 イザベラの表情が動かなかった。予想していた、とでもいうように。


 「組む、とは」


 「王太子殿下では王国は守れない。父上は病に倒れ、母上が摂政をしているが、あれは公爵令嬢の傀儡だ。アルヴェイン家が王権を操っている。そんな状態で、南方の脅威に対処できるのか」


 南方。アルマンド将軍の動き。ルシアンはマティアスから情報を受けている。


 「王太子殿下は、セレスティア・フォン・アルヴェインに依存している。あの令嬢がいなければ、王太子殿下は何も決断できない。そんな王が、この国を率いていけるのか」


 「殿下のお考えは、王太子殿下に代わり、殿下自身が王位を継ぐべきだと?」


 「今すぐじゃない。だが、将来的に。僕の方が適任だという事実を、貴族院に認識させる。そのために、お前の力がいる」


 「わたしの力」


 「お前は宰相の娘だ。ガルニエの名前は、この国の政治で最も重い名前の一つだ。お前が僕の側にいれば、貴族院の旧宰相派が動く」


 イザベラは沈黙した。ルシアンは待った。この少女が考える時間を。


 「……殿下。一つお聞きします」


 「なんだ」


 「殿下は、アレクシス殿下を、憎んでいらっしゃいますか」


 ルシアンの目が揺れた。ほんの一瞬。


 「憎んでいない」


 「では」


 「憎んでいない。だが、悔しい。僕はアレクシスより努力している。アレクシスより政治を学んでいる。アレクシスより、この国のことを考えている。なのに第一王子の僕ではなく、アレクシスが王太子だ。母の身分が違うだけで」


 「お生まれは、変えられません」


 「分かっている。だから、実力で覆す」


 ルシアンの目が燃えていた。少年の目だ。野心に満ちた、まだ若い目。


 イザベラは、その目を見て、父の顔を思い出していた。あの目と、似ている。


 「殿下。わたしは、お答えを保留させてください」


 「保留?」


 「はい。殿下のお誘いは光栄です。ですが、今すぐお返事はできません」


 ルシアンの眉が寄った。


 「なぜだ」


 「わたしは父の娘です。父の意向を確認しなければ」


 「宰相の意向か。分かった。だが、遅くなりすぎるな。状況は動いている」


 「承知しています」


 イザベラは一礼して部屋を出た。


 ◇


 廊下を歩きながら、イザベラは考えていた。ルシアンと組むか。


 父の指示があれば、ガルニエ家の利益のために組むべきだ。宰相が摂政選出で敗北した今、ルシアンという新たな手を確保するのは合理的な判断だ。頭では、そう分かっている。


 だが、イザベラの中で別の声が囁いた。


 あの夜会で芽生えた声。セレスティアの前で「あなたは何を隠しているの」と問うた時に生まれた声。


 「正しいこと」と「合理的なこと」は、同じだろうか。


 ルシアンと組むのは合理的だ。だが正しいのか?


 ルシアンは王太子を追い落とそうとしている。アレクシスは、愚かではない。十歳の少女に「操られている」とルシアンは言うが、イザベラの目にはそうは見えない。アレクシスは自分で考え始めている。あの少女に依存しているのではなく、あの少女から学んでいる。


 それを「操られている」と断じるのは、正しくない。


 「正しくない」。


 その言葉が、イザベラの胸に刺さった。


 いつから自分は「正しい」を気にするようになったのか。


 ガルニエの娘は「合理的」であればよかった。感情に流されず、利益を計算し、最善手を打つ。それが父に教えられた生き方だ。


 なのに、「正しい」を考えてしまう。


 イザベラには、まだ分からなかった。


 ◇


 廊下の角で、マティアスが待っていた。


 「イザベラ嬢。ルシアン殿下との話はどうだった」


 「保留にしました」


 「保留か。賢明だ」


 マティアスは微笑んだ。計算された笑み。


 「父上の意向を確認してからでも遅くはない。ところで、一つ面白い話がある」


 「面白い話?」


 「テオドールの調査で、興味深いものが上がってきた」


 喉が乾いた。テオドール。セレスティアの幼少期を調べている男。


 「セレスティア・フォン・アルヴェイン嬢の三歳時の異常行動に関する報告書だ。なかなか読み応えがある」


 「……報告書?」


 「ああ。三歳で母の薬を疑い、兄に調べさせたらしい。特定の人物に初対面で恐怖した。異常だろう? 三歳の子供がそんなことをするか?」


 マティアスは、報告書にない主語を滑り込ませた。薬を調べたのはフェリクスで、妹の関与を見た者はいない。「らしい」の一語で、推測を事実の隣へ置いたのだ。


 マティアスの声は軽い。だが目は、鋭い。


 「テオドールは公爵家に保護されたようだ。だが報告書は既に父上の手元にある。公爵家は一手遅かったな」


 イザベラは黙っていた。報告書は、既に宰相の手にある。テオドールを保護しても、情報は流出した後だった。


 「イザベラ嬢。この報告書をどう思う?」


 「……わたしに聞く意味がありますか」


 「ある。お前は学園でアルヴェイン嬢を近くで見ている。実技試験での『黒い光』も見ている。お前の観察は、価値がある」


 「……黒い光については、確認できていません。見間違いの可能性があります」


 嘘だ。イザベラは黒い光を見た。はっきりと。光と闇が混ざった、あり得ない色の魔力。


 だが、実技試験の後も報告しなかった。そして今も、見間違いだと言い切った。二度目の沈黙だった。


 「見間違いか。残念だ」


 マティアスは、信じていない。イザベラの嘘を見抜いている。だが追及しなかった。


 「まあいい。報告書だけで十分だ。父上は、次の手を打つだろう」


 マティアスが去った。


 背中を見送りながら、イザベラは思った。マティアスは全てを父上に報告するのだろうか。それとも、自分の中に留める情報を、意図的に選んでいるのだろうか。父よりも柔らかく、だからこそ読めない。どこまでが宰相の意志で、どこからがマティアス自身の意志なのか。それが、イザベラにも、まだ分からなかった。


 イザベラは廊下に一人残った。手が震えていた。


 二度目の「報告しない」。


 いや、正確には今回は沈黙ではない。問いを向けられた上で、「見間違いかもしれない」と答えた。情報を省いただけの一度目より、明確に父の側から遠ざかる行為だった。


 一度目は衝動から始まった。五ヶ月をかけて、その沈黙を「何も考えず父へ情報を渡すだけの目にはならない」という境界線に変えた。


 そして今、自分の口でその境界線を守った。


 それが絶対に「正しい」のかは、まだ分からない。


 ただ、あの少女の秘密を暴くことに、加担したくなかった。それだけだ。イザベラは拳を握った。


 「わたしは、何がしたいんだろう」


 答えは出ない。まだ。だが、沈黙の意味は変わりつつある。三度目が来た時、何を選ぶのか。


 それは、まだ分からなかった。


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》マティアスは副宰相の息子だ。宰相の手足だ。 マティアスは宰相の息子では?
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