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前世で処刑された公爵令嬢、幼女からやり直して家族の破滅フラグを全部折ります  作者: NN
第5章 十歳の分岐と婚約

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南方の異変

 リディアが石段に来なかった日が、初めてあった。


 昼休み、いつもの場所にはフリーデリケとアネリーゼがいたが、リディアの姿だけがなかった。


 「リディアさま、今日は授業の後すぐに寮に戻りました」


 アネリーゼが言った。


 「体調が悪いの?」


 「いえ……手紙が届いたようです。南方から」


 南方。セレスティアの胸がざわめいた。


 リディア・フォン・アルカディア。南方アルカディア王国の王女。祖国は二年あまり前、東の隣国エルディアに併合され、リディアは亡命王族としてレグナシオン王国に身を寄せた。


 南方からの手紙。それが良い知らせであることは、まずない。


 「行ってくる」


 セレスティアは石段を降りて、寮に向かった。


 ◇


 リディアの部屋の扉を叩いた。返事がなかった。もう一度叩いた。


 「リディアさま。セレスティアです」


 長い沈黙。そして、鍵が開く音。扉が細く開いた。リディアの顔が見えた。目が赤かった。


 リディアが泣いた顔を見たのは、初めてだった。鎧が、外れている。


 「……入って」


 部屋に入った。リディアの部屋は質素だった。亡命者としての生活費は限られている。机の上に手紙が一通。開封済み。


 リディアはベッドの端に座った。セレスティアは向かい合って椅子に座った。


 「何があったの」


 リディアは手紙を差し出した。セレスティアは受け取って読んだ。南方の言語だが、リディアに教わった基礎知識で、大意は読み取れた。


『アルカディア旧領における情勢報告。


 アルマンド将軍が旧王宮を占拠。「アルカディア解放軍」を名乗り、周辺三国に宣戦を布告。

 将軍は旧王家の復権を旗印にしているが、実態は軍閥による領土支配。

 旧王家の遺臣は将軍の軍門に降るか、投獄されている。

 レグナシオン王国の南方国境にも緊張が波及。アルマンド軍の偵察隊が国境線付近で確認された。


 リディア殿下に告ぐ。祖国は、もうありません。

 報告者 旧臣ガスパール』


 「……」


 セレスティアは手紙を置いた。リディアは窓の外を見ていた。目は乾いていた。泣き尽くした後の目だ。


 「アルマンド将軍は」


 リディアの声は平坦だった。感情を押し殺した声。


 「父の部下だった。父が信頼した将軍。父が死んだ後、祖国を守ると誓った男。その男が、祖国を乗っ取った」


 「リディアさま」


 「旧王家の復権を旗印にしている。つまりわたしの名前を使っている。『王女リディアの名の下に』と。わたしに断りもなく」


 声が震えた。押し殺した感情が、隙間から漏れている。


 「祖国はもうない、とガスパールは言った。でも、わたしはまだ生きている。王女として生きている。名前を勝手に使われて、わたしの知らないところで人が死んでいる」


 リディアの手が拳を握った。


 「わたしの名前で、戦争をしている」


 セレスティアは黙って聞いた。リディアの痛みは、セレスティアには完全には理解できない。祖国を失う苦しみ。自分の名前が戦争の道具にされる怒り。


 でも、名前を奪われることの苦さは、どこかで知っている気がした。


 「リディアさま」


 「なに」


 「手を、握っていい?」


 リディアが振り向いた。赤い目。セレスティアは手を伸ばした。リディアの手を握った。冷たかった。南方育ちなのに、冷たい手。


 「わたしには、リディアさまの祖国を取り戻す力は、今はない」


 「……わかってる」


 「でも、約束する。リディアさまの国のことを、わたしたちの問題にする。レグナシオン王国の問題として、向き合う」


 リディアの目が揺れた。


 「それは」


 「外交。今まで考えてなかった。宰相との戦いで手一杯で、外のことを見ていなかった。でもリディアさまが教えてくれた。国の外にも、守るべきものがある」


 「セレスティア。あなたは十歳よ。自分の国の宰相と戦うだけで手一杯なのに、南方のことまで」


 「今すぐじゃない。今すぐは無理。でも、将来。わたしが力を持ったら。その時は、リディアさまの祖国のことも、一緒に考える。約束する」


 リディアは長い間、セレスティアの目を見つめていた。そして、崩れた。


 涙が落ちた。一粒。二粒。やがて、堰を切ったように。


 「……ずるい。そういうこと言うの、ずるい」


 「ずるくない。本気だよ」


 「わかってる。あなたが本気なのは、わかってるから、ずるいの」


 リディアがセレスティアの手を握り返した。強く。


 「わたしね。この国に来てから、ずっと一人だった。亡命者だから。王女だけど、国がない王女。どこにも属さない。誰の味方でもない」


 「うん」


 「石段で初めてパンを食べた時、こんなところに居場所ができるとは思わなかった」


 「リディアさまの居場所は、あの石段にある。ずっと」


 「……南方にね、本当の諺があるの」


 「嘘じゃなくて?」


 「嘘じゃない。本物。おばあさまが教えてくれた」


 リディアは涙を拭った。けれど、拭ってもまた新しい涙が頬を伝った。


 「『故郷とは土地ではない。人である』」


 「……いい諺」


 「祖国は滅んだ。土地は奪われた。でも、ここに人がいる。セレスティアがいる。フリーデリケがいる。アネリーゼがいる。石段がある」


 「うん」


 「だから、わたしは、まだ故郷を失っていない」


 セレスティアはリディアの手を両手で包んだ。冷たい手が、少しだけ温まった。


 ◇


 石段に戻ったのは、授業の鐘が鳴り始める寸前だった。


 フリーデリケがまだそこにいた。パンの袋を膝に乗せたまま、石段の縁に座って待っていた。


 「リディアさまは?」


 「大丈夫」


 「……そっか」


 フリーデリケはそれだけ言った。詳しいことを聞かなかった。


 「三角のパン、残してあるよ」


 「ありがとう」


 パンを受け取った。冷めていたが、甘かった。アネリーゼが隣で温かい水を差し出してくれた。


 「どうぞ。少し温めました」


 「ありがとう」


 三人で石段に座った。誰も喋らなかった。春の風だけが、静かに石段を渡っていった。鐘が鳴った。立ち上がる前に、フリーデリケが言った。


 「リディアさまにも、三角のパン、取っといてある」


 「渡してあげて」


 「うん」


 ◇


 その夜、セレスティアは自室で分析ノートを開いた。


 『南方の情勢が動いた。


 アルマンド将軍。アルカディア旧領を制圧。リディアさまの名を騙って戦争を起こしている。


 国内問題だけではなく、外交問題も視野に入れなければならない。


 内と外。両方の敵に対処しなければならない。


 リディアさまに南方の政治地図を教えてもらう。

 南方諸国の力関係。アルマンド将軍の弱点。レグナシオン王国が取るべき外交戦略。


 追記。

 リディアさまが言った南方の諺。

 「故郷とは土地ではない。人である」。


 この諺を、忘れない。


 セレスティア 記す』


 ノートを閉じた。枕の下のラベンダー。今日は、もう一つの香りもある。


 リディアが別れ際にくれた小さな木の実。南方の木の実。名前は知らない。だが温かい匂いがする。


 「これ、南方では『友誼の実』と呼ぶの」


 「本当の名前?」


 「本当。……たぶん」


 「たぶんか」


 笑い合った。泣いた後の笑顔。一番きれいな笑顔だとセレスティアは思った。ラベンダーと、南方の木の実。二つの香りを枕元に置いて、目を閉じた。


 明日、リディアに南方の政治地図を教えてもらおう。新しい教科書だ。宰相と戦うだけでは、足りない。


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