↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
前世で処刑された公爵令嬢、幼女からやり直して家族の破滅フラグを全部折ります  作者: NN
第5章 十歳の分岐と婚約

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

143/383

アネリーゼの使命

 アネリーゼは夜の神殿にいた。王都の神殿は王宮の隣に建っている。白い石壁。高い尖塔。夜になると蝋燭の明かりが窓から漏れ、まるで星が建物の中に閉じ込められたように見える。


 アネリーゼは学園の寮ではなく、休日には神殿に戻る。ここが、もう一つの家だ。


 大神官シルヴェストルの執務室は最上階にある。石の階段を登るたび、足音が反響した。扉を叩いた。


 「入りなさい」


 低い声。穏やかだが、重い。三十年間、神殿を率いてきた男の声。


 「アネリーゼです。お呼びと伺いました」


 部屋に入った。


 「座りなさい」


 椅子を勧められた。大神官の机の上には書類が山積みになっている。神殿の運営は巨大な官僚組織だ。信仰だけでは動かない。


 「アネリーゼ。お前は学園でセレスティア・フォン・アルヴェイン嬢と親しいと聞いている」


 「はい」


 「どのような人物だ。お前の目から見て」


 アネリーゼは考えた。どう答えるべきか。セレスティアとの約束がある。神殿を裏切らない。だがセレスティアも裏切らない。


 「……優しい方です。頭が良くて、まわりをよく見ていて、でも、疲れている方です」


 「疲れている?」


 「はい。たくさんのことを背負っています。年齢の割に、たくさん」


 大神官は頷いた。


 「アルヴェイン嬢には、特別な魔力があるという話がある」


 「……噂は聞いています」


 「噂ではない。複数の目撃情報がある。実技試験で闇属性に近い光が発現した。光と闇の両方を内包する魔力、聖魔力の可能性がある」


 大神官の声は淡々としていた。だが目が光っている。


 「アネリーゼ。お前に頼みたいことがある」


 「セレスティア嬢に、神殿への帰依を勧めてほしい」


 「帰依、ですか」


 「正式な帰依ではない。まずは神殿との関係を深めてほしい。神殿に来訪する機会を作る。大神官との面会を受け入れてもらう。そこから、段階的に」


 「大神官さま。一つお聞きしてもよろしいですか」


 「なんだ」


 「セレスティアさまを、利用するおつもりですか」


 大神官の目が細くなった。怒ったのではない。アネリーゼの直截さに、少し驚いたように。


 「利用という言葉は好まない」


 「では、何とおっしゃいますか」


 「保護だ。聖魔力は危険な力だ。制御を誤れば持ち主を傷つける。神殿には聖魔力の制御に関する古い文献がある。我々だけが、彼女を守れる」


 アネリーゼは十歳だが、神殿で育った。大人たちの建前と本音の区別はつく。


 「わかりました。セレスティアさまにお伝えします」


 「頼んだぞ。そして、アネリーゼ」


 「はい」


 「お前は優秀な治癒師見習いだ。神殿はお前の将来に期待している。それを、忘れるな」


 アネリーゼは一礼して部屋を出た。


 ◇


 石の階段を降りながら、アネリーゼは手すりを強く握っていた。手が震えていた。


 大神官を嫌いになれない。この人は神殿を守ろうとしている。神殿が守られれば、アネリーゼのような孤児を救う場所が残る。大神官の判断は、大神官なりに、正しい。でも。


 セレスティアを「手段」にしようとしている。聖魔力という力を、神殿の権威のために使おうとしている。


 セレスティアは人間だ。力ではない。あの人は、疲れている。たくさんのものを背負って、夜も眠れないほど。ラベンダーの香りがなければ眠れないほど。そんな人をさらに利用するのは……


 「アネリーゼ」


 声をかけられた。階段の途中。振り返ると、ベルトランがいた。神殿騎士団長。大柄な男。四十代。実直な顔。


 「ベルトラン様」


 「大神官と話してきたか」


 「……はい」


 「聖魔力の件だろう」


 隠しても仕方がない。ベルトランは神殿の軍事部門の長だ。大神官の方針は共有されている。


 「はい」


 ベルトランは周囲を見回した。誰もいないことを確認して、声を低くした。


 「アネリーゼ。一つだけ言っておく」


 「はい」


 「大神官の判断が常に正しいとは限らん」


 アネリーゼは目を見開いた。


 「神殿は、信仰の場だ。政治の道具ではない。聖魔力の持ち主を管理下に置くことが神の御心かどうか、俺にはわからん」


 「ベルトラン様……」


 「だが俺は騎士だ。政治は分からん。お前が決めろ。お前の目で見て、お前の頭で考えて、正しいと思うことをやれ」


 ベルトランはそれだけ言って、階段を登っていった。


 アネリーゼは一人、階段の途中に立っていた。


 大神官は「神殿のために動け」と言う。

 ベルトランは「自分で考えろ」と言う。


 セレスティアは、「正直に言ってくれてありがとう」と言った。


 アネリーゼは階段を降りた。神殿の裏口から外に出た。夜の空気が冷たい。星が見えた。手を合わせた。祈った。


 誰に祈っているのか、自分でもわからなかった。神に? 亡き両親に? それとも、自分自身に?


(わたしは、わたしの正しいと思うことをする)


 ◇


 翌日、学園の石段で、アネリーゼはセレスティアに全てを伝えた。大神官の言葉、帰依の勧誘、段階的な取り込みの計画。そして、ベルトランの言葉も。


 「ベルトラン? 神殿騎士団長の?」


 「はい。あの方は、大神官とは違う考えを持っているようです。神殿の中にも、一枚岩ではない部分がある」


 「神殿にも良心派がいるのね」


 「良心派……そうかもしれません」


 「ベルトランは、信仰を守りたい人? 組織を守りたい人?」


 「信仰です。あの方は本当に神を信じています。大神官は、組織を信じています」


 セレスティアは頷いた。


 「ありがとう、アネリーゼ。すごく大事な情報」


 「大事……ですか」


 「うん。神殿が一枚岩じゃないなら、交渉の余地がある。大神官と直接ぶつかるんじゃなくて、神殿の中の良心派と繋がることで、大神官を牽制できる」


 アネリーゼは目を丸くした。


 「セレスティアさま。あなたは本当に十歳ですか」


 「……それ、最近流行ってる質問なの?」


 「え?」


 「ナターシャにも同じこと言われた」


 セレスティアは苦笑した。


 「アネリーゼ。もう一つお願い」


 「はい」


 「ベルトランに、わたしの名前を伝えて。『アルヴェイン嬢は神殿の信仰を尊重している。敵ではない』と。大神官に直接言えないことを、ベルトランになら言える」


 「……わかりました。でも、わたしがベルトラン様と頻繁に話していると、大神官に疑われるかもしれません」


 「そうね。じゃあ、自然な形で。治癒師見習いが騎士団長に挨拶するのは不自然じゃないでしょう?」


 「不自然ではありません。治癒師は騎士の負傷を治す担当ですから」


 「なら、治療の時にさりげなく」


 アネリーゼは微笑んだ。


 「セレスティアさま。わたしは、あなたの味方です。条件付きですが」


 「条件は守る。神殿を傷つけない」


 「はい。それだけ守ってくだされば、わたしはあなたの傍にいます」


 「ありがとう」


 セレスティアが手を伸ばして、アネリーゼの手を握った。小さな手。十歳の手。温かかった。


 フリーデリケが石段の上の方から降りてきた。パンの入った布袋を持って。


 「二人ともー! 今日のパンは三角! 三角は珍しいよ!」


 リディアが後ろから言った。


 「南方では三角のパンは不吉とされている」


 「えっ嘘!」


 「嘘。三角は豊穣の象徴」


 「もう! どっちなの!」


 「両方。南方の諺は曖昧なの」


 「それ諺じゃなくてリディアさまの性格でしょ!」


 笑い声が石段に響いた。アネリーゼも笑った。セレスティアも笑った。アネリーゼは祈った。心の中で。


 この場所が、ずっと続きますように。神に祈った。今度は、確かに神に。


 ◇


 夜、神殿に戻ったアネリーゼは、治癒室を片付けながら考えていた。


 セレスティアの手は温かかった。あの手は、人を救おうとしている手だ。大神官の手は冷たい。計算する手だ。


 ベルトランの手は硬い。剣を握ってきた手だ。


 アネリーゼの手は、まだ何も持っていない。治癒の術を学んでいるだけの、見習いの手だ。それでもいつか、この手で誰かの傷を治したい。体の傷だけではない。心の傷も。


 神殿で学んだ治癒術には、三つの段階がある。


 第一段階。体の治癒。傷を塞ぎ、骨を繋ぐ。


 第二段階。病の治癒。体の奥にある病の根を探り、原因を取り除く。疲労を取り、活力を与え、体の流れを整えるのも、この段階の応用だ。


 第三段階。心の治癒。


 第三段階を修めた者は、百年に一人と言われている。心の傷は、体の傷よりも深く、複雑で、治療法が確立されていない。


 セレスティアさまの傷は、第三段階の傷だ。あの人が抱えている恐怖。夜ごとの悪夢。ラベンダーがなければ眠れない夜。それは体の病ではない。心の、魂の傷だ。


 「わたしが治す」


 誰もいない治癒室で、薬棚を前にして声に出した。今の自分は、まだ見習いにすぎない。それでもいつか第三段階を修め、セレスティアさまの心を治す。


 薬棚の隅に、乾燥したラベンダーの束があった。神殿の薬草園で育てたもの。


 一握り取って、布袋に詰めた。明日、セレスティアさまに渡そう。フリーデリケのとは別に。治癒師からの、処方箋として。アネリーゼは微笑んだ。


 石段の仲間に、治癒師が一人いる。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。