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前世で処刑された公爵令嬢、幼女からやり直して家族の破滅フラグを全部折ります  作者: NN
第5章 十歳の分岐と婚約

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神殿の動き

 神殿が動いた。報せを持ってきたのはアネリーゼだった。放課後、ほかの二人がいない時間を見計らい、石段の隅で声をかけてきた。


 「セレスティアさま。お話があります」


 アネリーゼの顔が強張っていた。いつもの穏やかさが消えている。


 「どうしたの」


 「大神官シルヴェストル様が、セレスティアさまの名前を、神殿の会議で出しました」


 セレスティアの動きが止まった。


 「わたしの名前を?」


 「はい。『聖魔力の持ち主が現れた可能性がある。もしそれが事実なら、神殿として保護する義務がある』と」


 聖魔力。ルシアンが実技試験で見た黒い光。イザベラが報告しなかった光。その情報が、神殿にまで届いている。


 「誰から聞いたの、大神官は」


 「わかりません。ですが神殿には独自の情報網があります。特に魔力に関することは、神殿の管轄です。王宮魔術師団より先に察知することもあります」


 大神官シルヴェストル。


 「大神官はどういう人? アネリーゼの目から見て」


 アネリーゼは少し考えた。


 「……狡い方です。ですが、悪い方ではないと思います」


 「狡いけど悪くない?」


 「神殿の利益を第一に考える方です。信仰よりも組織を優先する。でも、組織を守ることで、結果的に信仰を守ろうとしている。わたしにはそう見えます」


 「聖魔力の持ち主を神殿に保護する、というのは?」


 「建前は保護です。ですが本音は、管理です。聖魔力は『神の祝福』とされています。それを持つ者が神殿の管理下にいれば、神殿の権威が飛躍的に高まります」


 「……第三の勢力ね」


 「え?」


 「今まで、宰相と公爵家の二つが戦っていた。そこに神殿が入ってくる。三つ巴になる」


 アネリーゼは頷いた。


 「はい。大神官は、摂政選出の混乱を見て、今が動く好機だと判断したのだと思います。宰相は敗北して弱った。公爵家は勝利したが消耗している。その隙に」


 「アネリーゼ。もう一つ聞いていい?」


 「はい」


 「あなたに、何か言ってきた? 大神官は」


 アネリーゼの目が揺れた。答えを聞く前に、わかった。


 「……言われたんだね」


 「……はい」


 アネリーゼの声が小さくなった。恥じるように。申し訳なさそうに。


 「何を言われたの」


 「……セレスティアさまに接触し、神殿への帰依を促すように、と」


 「アネリーゼ」


 「ごめんなさい。わたし、言うべきか迷いました。黙っていた方がいいのか、正直に言った方がいいのか」


 「正直に言ってくれてありがとう」


 セレスティアは笑った。心からの笑みだった。


 「アネリーゼ。あなたは神殿に恩があるんでしょう」


 「……はい。わたしは孤児です。神殿に拾われました。治癒の術を教えてもらいました。食べさせてもらい、屋根を与えてもらいました」


 「だから大神官の命令を断れない」


 「断れません。でも、セレスティアさまを裏切ることもできません」


 アネリーゼの目に涙が浮かんでいた。


 「泣かないで」


 「でも」


 「泣かなくていい。わたしが考えるから」


 セレスティアは空を見上げた。春の空。高い雲。考えろ。


 神殿と全面的に対立するのは得策ではない。宰相の犯罪を追いながら神殿とも争えば、対処すべき問題が広がりすぎる。


 かといって、神殿の管理下に入るのも論外だ。聖魔力を神殿に管理されれば、自由に動けなくなる。


 服従でも全面対立でもない、「第三の選択肢」が必要だ。


 「アネリーゼ」


 「はい」


 「大神官に、こう伝えて。『セレスティア・フォン・アルヴェインは神殿の信仰を尊重する。ただし、聖魔力の保有については確認されていない。噂に過ぎない。確認が取れるまでは、いかなる措置も時期尚早である』」


 「……否定するのですか。聖魔力を」


 「否定はしない。確認されていないと言うだけ。嘘ではないでしょう? 正式な魔力測定は受けていないんだから」


 技術的には事実だ。ルシアンが見た「黒い光」は目撃証言に過ぎない。王宮魔術師団の正式な測定を受けたわけではない。


 「でも、大神官は信じないと思います。情報は既に持っているでしょうから」


 「信じなくていい。時間を稼げればいい」


 「時間?」


 「今、宰相の件で手一杯なの。テオドールの保護、アレクシス殿下の疑念、ヘルマンの警告、全部同時に来てる。ここに神殿まで加わったら、対応しきれない」


 アネリーゼは目を見開いた。


 「……そんなに多くのことを、同時に?」


 「うん。だから、神殿は後回しにさせて。今は、時間がほしい」


 「わかりました。大神官に伝えます。ですが、大神官は待たないかもしれません」


 「待たなかったら、その時はその時」


 セレスティアはまた空を見上げた。問題が多すぎる。宰相のテオドール調査。カスパルの離間工作。アレクシスの疑念。そして神殿の介入。全方向から攻められている。


 だが、全方向を同時に防ぐ必要はない。優先順位をつければいい。


 今、最も差し迫っているのはテオドールだ。テオドールが宰相の「証拠」にされたら取り返しがつかない。


 アレクシスの疑念は、待つと決めた。殿下が自分で考える時間を尊重する。


 神殿は、時間を稼ぐ。否定せず、肯定せず、曖昧に。


 「アネリーゼ。もう一つお願い」


 「なんですか」


 「大神官の動きを、教えてほしい。神殿が何を考えているか、何をしようとしているか。わたしに教えてくれる?」


 アネリーゼの表情が複雑になった。


 「それは、スパイになれということですか」


 「違う」


 セレスティアは首を振った。


 「スパイじゃない。友人として、心配だから教えてほしいだけ。神殿がわたしのことをどう見ているか、知りたい。知らないと、怖いの」


 「怖い?」


 「知らないところで何か決められるのが怖い。だから教えて。神殿が何を決めたか。何を考えているか。わたしは敵じゃないから、知っていれば、うまくやれる。神殿とも、アネリーゼとも」


 アネリーゼは長い間、セレスティアの目を見ていた。そして、頷いた。


 「わかりました。わたしが知っていることは、お伝えします。でも、一つだけ」


 「なに」


 「わたしは神殿を裏切りたくありません。神殿を傷つけるようなことには、使わないでください」


 「約束する」


 「……ありがとうございます」


 アネリーゼが微笑んだ。涙はもう乾いていた。


 ◇


 その夜、セレスティアは自室で分析ノートを開き、暗号で書き始めた。


 『第三の勢力、神殿が動いた。


 【現状の関係者と立場】

 加害計画の中心:宰相ヴィクトール(テオドール調査、カスパル離間工作)

 意図未確定:大神官シルヴェストル(聖魔力を理由に管理を狙う)

 判断保留:アレクシス殿下(疑念あり。考える時間を求めている)

 継続的な協力者:父、母、フェリクス、ヴォルフ、ナターシャ、ヘルマン

 継続的な協力者:ヴィオレッタ、リディア、コンラート、フリーデリケ

 協力者だが制約あり:アネリーゼ(神殿との板挟み)

 独自に判断し始めている者:イザベラ(証拠を父に報告しなかった。協力を強要しない)


 時間が、足りるだろうか。


 セレスティア 記す』


 ノートを閉じ、枕の下にラベンダーの小袋を入れた。フリーデリケが届けてくれた新しい香りに包まれて、目を閉じる。


 明日はフェリクスから返事が届き、テオドールの保護と神殿への対応が動き出す。やることは多すぎる。それでも今夜は、ラベンダーの中で眠ろう。


 丸いパンの記憶を抱くうち、心臓は静かなリズムを取り戻した。とくん、とくん。とくん、とくん。


 心臓が鳴っている。


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