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前世で処刑された公爵令嬢、幼女からやり直して家族の破滅フラグを全部折ります  作者: NN


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カスパルの暗躍

 王宮の一室。夜。


 蝋燭が一本だけ灯された部屋で、二つの影が向かい合っていた。


 宰相ヴィクトール・ド・ガルニエ。


 王太子付き侍従カスパル・ディートリンデ。


 「報告を」


 宰相の声は静かだった。摂政選出で敗北した直後とは思えない平穏さ。だが目だけが——鷹の目が——蝋燭の炎を映して光っている。


 「アレクシス殿下は、摂政選出以来、変わりました」


 「変わった、とは」


 「自分で考えるようになりました。以前は閣下のご指導に従順でした。マティアス様の教えを疑いませんでした。ですが今は——質問をするのです」


 「質問?」


 「『なぜそうするのか』と。以前は理由を聞かずに従っていた殿下が、理由を求めるようになった。マティアス様のご指示に対しても」


 宰相の指が机を叩いた。規則的なリズム。思考の癖だ。


 「公爵令嬢の影響か」


 「間違いなく。セレスティア・フォン・アルヴェイン嬢は殿下に『自分で考えろ』と教えているようです。摂政選出の際も——殿下はアルヴェイン嬢に相談した後、声明を決意しました」


 「証拠は」


 「直接的な証拠はありません。ですが殿下の言動の変化と、アルヴェイン嬢との接触の時系列が一致します。学園の石段で昼食を共にする習慣。放課後の短い会話。それだけで——殿下は変わった」


 宰相は黙った。蝋燭の炎が揺れ、影が壁で踊った。


 「九歳の少女が——」


 「十歳になりました。先日」


 「十歳の少女が、王太子を教育している。私が十年かけて築いた教育体系を、石段の昼食で覆している」


 宰相の声に怒りはなかった。冷たい分析。だがその冷たさの中に、かすかな——何かがあった。


 苛立ちか。あるいは——興味か。


 「カスパル。指示を出す」


 「はい」


 「二人を引き離せ。物理的に引き離すのは不自然だ。心理的に引き離せ」


 「方法は」


 「殿下に不信感を植えろ。アルヴェイン嬢に対する疑念を、少しずつ」


 「具体的には——」


 「『なぜ彼女はそこまで聡明なのか』。この疑問を殿下に意識させろ。九歳——いや十歳の少女が、貴族院の票読みをし、王妃の摂政就任を設計し、投票のタイミングまで計算している。異常だ。誰がどう見ても異常だ」


 「殿下は彼女を信頼しています。不信感を植えるのは容易ではありません」


 「だからこそ——巧みにやれ。直接的な悪口は逆効果だ。疑問の種を蒔け。殿下自身が考えて、自分で疑問を持つように仕向けろ」


 「……承知いたしました」


 「アルヴェイン嬢を直接攻撃することは、しばらく避けろ。アルヴェイン公爵は王妃陛下と親交がある。正面からぶつかれば、こちらが損する。迂回路を使え。殿下の心から崩す」

 「承知いたしました」


 カスパルが一礼した。


 「もう一つ」


 「はい」


 「アルヴェイン嬢の魔力について——ルシアンが報告した件。実技試験で見た黒い光。闇属性の可能性」


 「マティアス様経由で報告を受けております」


 「他に目撃者は」


 「ルシアン殿下の他に——我が家のイザベラが見ています」


 宰相の目が鋭くなった。


 「イザベラは報告しなかった」


 「はい。週次報告に記載がありませんでした」


 沈黙。


 蝋燭の炎が一瞬大きく揺れた。


 「イザベラが——報告を省略した」


 宰相の声に、初めて感情が滲んだ。怒りではない。もっと冷たいもの。失望か。あるいは——計算の修正。


 「娘の件は私が直接対処する。カスパル、お前は殿下に集中しろ」


 「はい」


 「期限は——次の学期が終わるまで。それまでにアレクシスとアルヴェイン嬢の間に亀裂を入れろ。完全に引き裂く必要はない。疑念の種があればいい。疑念は——時間が育てる」


 カスパルが退室した。


 ◇


 廊下に出た。


 カスパルは静かに歩いた。足音を立てないのは習慣だった。十五年間、王太子の傍で磨いた習慣。誰にも気づかれずに動く。


 殿下は変わった。


 カスパルには分かる。毎日顔を見てきた。幼い頃から。殿下は以前、宰相の教えを疑わなかった。なぜそうするのかを問わなかった。答えがあるから従う、ではなく、従うから答えを求めない。そういう子供だった。


 それが今は——問う。


 石段での昼食。セレスティア・フォン・アルヴェインという少女が殿下に植えた何か。カスパルは直接聞いていない。だが殿下の口ぶりから分かった。あの少女の影響だ。


 疑問の種を蒔け、と宰相は言った。


 だが殿下は既に動き始めている。カスパルが何かをする前に。問題は、その疑問がどこに向かっているかだ。宰相ではなく——信頼できる人間を選ぶ方向へ。


 廊下の窓から、夜の庭が見える。星明かり。


 殿下が自分で考えるようになったなら、不信感を植えるのは難しい。あの少女は殿下に「疑え」と教えた。ならばカスパルの言葉も疑われる。そういう構造になっている。


 宰相の方法では足りない、とカスパルは思った。だが宰相にそれを告げる言葉を、カスパルは持っていない。


 廊下を曲がった。夜の王宮は静かだった。


 ◇


 宰相は一人、蝋燭の前に残った。


 机の上の書類を見た。摂政選出の投票記録。二十五対二十七。


 二票差。


 「……ブリュンヒルデか」


 呟いた。最後の一票がどこから来たのか。宰相の計算では二十六対二十六の同数になるはずだった。ブリュンヒルデ男爵は棄権するか宰相に入れると読んでいた。


 読み違えた。


 何が男爵を動かしたのか。政治的な取引ではない。ブリュンヒルデは金にも地位にも興味がない。


 分からない。三十年間、人間を動かす術を極めてきた宰相に、分からない票がある。


 「花の手紙、か」


 宰相の情報網は、リリアーナがブリュンヒルデ男爵に手紙を送ったことを掴んでいた。だが内容は——花の話だったという。ラベンダーの育て方。男爵夫人の思い出。それだけ。


 花の手紙で票が動く。


 宰相は三十年間、そういう力学を軽視してきた。利益で動かせない人間には恐怖を使う。恐怖でも動かなければ繋がりを断つ。それが通常の手法だった。だがリリアーナ・フォン・アルヴェインは花の話を書いた。男爵夫人の思い出を書いた。それだけで男爵を動かした。


 分からない計算がある。三十年の経験に、穴がある。


 「修正が必要だ」


 蝋燭を吹き消した。闇が部屋を満たした。


 宰相は闇の中で立ち上がった。


 問題は——この少女が何者なのか、だ。


 十歳にしてはあまりにも聡明。あまりにも戦略的。あまりにも——老成している。まるで何十年も生きたかのような判断力。


 異常だ。


 何か——秘密がある。


 宰相は決めた。アルヴェイン嬢の調査を本格化する。魔力の秘密だけではない。この少女の「異常な聡明さ」の根源を探る。


 「カスパルは殿下を担当。イザベラの件は私が。そして——アルヴェイン嬢の調査は」


 闇の中で、宰相は名前を呟いた。


 「テオドール」


 かつてアルヴェイン家に仕えていた元従者。今はマティアスの庇護下にある男。あの男なら——公爵家の内部事情を知っている。

 五年前に解雇された経緯がある。恨みも持っている。恨みは——使いやすい感情だ。利益と組み合わせれば、確実に動く。


 テオドールに何を問うか。あの男はあの子供が三歳の頃から公爵邸にいた。「異常な子供」を間近で見ていたはずだ。何か気づいていたかもしれない。あるいは——異常の原因を知っているかもしれない。


 宰相ヴィクトール・ド・ガルニエは、負けた翌日から、次の手を打ち始めていた。


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