十歳の誕生日の午後
午後の図書室。
窓の向こうに、中庭の石段が見える。
フリーデリケとリディアがまだそこにいた。二人で何か話している。フリーデリケが何か言って、リディアが笑った。リディアが何か言い返して、今度はフリーデリケが笑った。アネリーゼはもう部屋に戻ったらしく、姿がない。
セレスティアは窓辺の椅子に座って、本を開いていた。
読んでいなかった。
文字が頭に入らなかった。今日はただぼんやりしていたい日だった。
◇
前世の十歳は、どんな一日だった。
考えてみる。
学園にいた。王立クレセンティア学園の一年生、三年目。前世の十歳の誕生日は、誰も祝ってくれなかった。いや、正確には違う。学園の係が「本日は誕生日の方がいます」と発表した。クラスの子たちが、義務のように一度拍手した。それだけだった。
昼食は一人で食べた。端の席に座って、窓の外を見ていた。
食堂の窓から見える景色は、庭ではなく石畳の廊下だった。人が行き来するのを見ていた。誰も止まらなかった。誰も振り返らなかった。
一人で食べることに慣れていた。慣れすぎて、慣れていることにも気づかなかった。
◇
前世の十歳の誕生日に、食べたものを覚えている。
食堂のスープ。少し冷えていた。パンが二切れ。デザートはなかった。
食べながら、日付のことを考えた。今日は誕生日だ。十歳になった。ということは、処刑まであと八年だ。今の八歳の段階から数えたら、という計算を、誕生日ごとにしていた。十歳になったから、あと八年。そんなことを考えながら、冷えたスープを食べた。
誕生日のことを覚えている唯一のことが、その計算だった。
でも今、あの日のスープの冷たさを覚えていることが不思議だ。あの年の冬の寒さ。食堂の石床の冷たさ。スープをかき混ぜた時の金属音。遠くで誰かが笑っていた声。振り向かなかった。振り向けなかった。
◇
窓の外でフリーデリケがまた笑った。
声が聞こえた。屈託のない笑い声。リディアが何か言った。二人で話している。
二人とも、今日がセレスティアの誕生日だということを知っている。朝に「おめでとう」と言ってくれた。フリーデリケが焼いたクッキーを持ってきた。歪んだ形のクッキーだった。「うまくできなくて」と言いながら持ってきた。リディアが南方の祝いの言葉を教えてくれた。意味が分からないと言うと、「めでたいってことよ、たぶん」と言って、「たぶん」の部分が二人で笑うきっかけになった。
午後の授業が終わってから、石段に座っていたのを図書室から見ていた。
来い、と言えば来てくれる。
でも今日は一人でいたかった。前世の十歳のことを、きちんと思い出してやりたかった。
朝、アレクシスからも手紙が届いていた。「十歳の誕生日を祝う」と書いてあった。短い手紙だった。でも——王太子が誕生日の朝に手紙を送った。そのことが嬉しかった。机の引き出しに大切にしまってある。
◇
右手を開いた。
小さな石がある。白い、滑らかな石。
リディアが八歳の誕生日にくれた石だ。「南方では、誕生日の人は石ころを贈られる。お守りになるんだって。たぶん」と言って。たぶん、と付け加えたけど。
二年間、ずっとポケットに入れていた。
洗濯の日だけポケットから出す。洗い終わったら戻す。失くさないように、毎朝確認する。ポケットの中を触って、石があることを確かめてから、一日が始まる。
「八歳に生きた証の石」。今は十歳の証になっている。来年は十一歳の証になる。
洗濯の日にポケットから出す時、手のひらに乗せて眺める習慣ができていた。重さを確かめる。形を確かめる。二年間、少しも変わっていない石。変わらないものが手の中にあることが——安心感だった。
前世の十歳に、もし何かを渡せるとしたら。
この石を渡してやりたかった。誰かがくれた石を。「あなたはひとりじゃない」と言いながら。
受け取らなかったかもしれない。手を伸ばすのが怖かったから。でも手のひらに置かれたなら——持っていたと思う。石は嘘をつかないから。重さが本物だから。
言われても信じなかったかもしれない。前世のセレスティアは、信じることが苦手だった。信じようとすると怖かったから。信じた後で裏切られることが、怖かったから。
でも言いたかった。
信じなくていい。信じられなくても構わない。ただ、この石を持っていろ。持っていれば、証になるから。
◇
窓の外でフリーデリケが立ち上がった。
リディアの手を引いて、何かを指差した。庭の端の方に何があるのか、ここからは見えない。二人でそちらに向かって歩いていった。笑いながら。
見えなくなった。
胸が少しだけ温かくなった。
あと八年。
前世の時間軸で計算すれば、あと八年だ。断頭台の前に、あと八年ある。
◇
石を握った。小さくて、白い。
「ありがとう、リディア」
声に出した。一人の図書室で。リディアには聞こえない。でも言いたかった。
八歳の誕生日に石をもらったことが、今も続いている。毎朝ポケットの中で確かめる習慣になっている。それが嬉しかった。
ナターシャからも贈り物があった。刺繍の入ったハンカチ。「下手ですが」と言って差し出した。どこが下手なのか分からないと言ったら「針目が揃っていないのです」と指先で示した。言われなければ分からない程度のことを、ナターシャはいつもきちんと知っている。
「めでたいってことよ、たぶん」というリディアの言葉があった。
「たぶん、じゃないと思う」とセレスティアが言ったら、リディアが「確証はないけど気持ちが大事よ」と返した。話が雑すぎて笑ってしまった。リディアは笑われた意味が分からない様子で「何が可笑しいの」と真顔で言った。それがまた可笑しかった。
「たぶん」の部分で笑ったことを覚えている。
◇
夕方になった。
石をポケットに戻した。
今夜は日記を書く。十歳になった証として、今の全てを記録する。策略も、状況も、変えられたことと変えられていないことも、前世の自分に申し訳なく思っていることも、前世の自分に言ってやりたいことも。全部。
窓の外の石段はもう空だった。フリーデリケもリディアも部屋に戻った。夕日が石段を橙に染めている。誰もいない石段でも、さっきまで笑い声があった場所は少し違う空気がする。
人がいた場所は、温かさが残る。
扉を叩く音がした。
「お嬢様。夕食の時間です。——今夜は厨房の方が特別にチーズスープを作ってくださいました。フリーデリケさんが昼間に頼みに行ったそうです」
「フリーデリケちゃんが?」
「はい。『セレスティアさまの誕生日なので、温かいスープを出してください』と」
セレスティアは本を閉じた。
フリーデリケが頼みに行った。それだけのことが嬉しかった。
「ナターシャ。今日ありがとう。ハンカチも」
「お口に合うかどうか——」
「合ってる。ちゃんと」
ナターシャが目を細めた。「お誕生日、おめでとうございます、お嬢様」
廊下でフリーデリケとリディアに会った。「チーズスープ、ちゃんとお願いできてよかったです」とフリーデリケが言った。「あなたって直接行くのね」とリディアが返した。三人で廊下を歩いた。夕日が窓から差し込んでいた。橙色の光。
今夜は、石をポケットに入れて眠る。昨日も、今日も、明日も。石の重さは変わらない。




