報復の影
勝利の余韻は、三日で消えた。
宰相の報復は静かに、確実に始まった。
◇
最初の一撃は、フェリクスに来た。
「研究助成金が凍結された」
フェリクスの手紙は簡潔だった。王立学術院から支給されていた研究費が、突然の「予算見直し」を理由に停止された。
表向きは学術院の内部決定。だが学術院の予算委員長は宰相派だ。フェリクスの研究——魔力波形の理論研究——が政治的な理由で狙い撃ちされたことは明白だった。
「おにいさまの研究が……」
セレスティアの声が硬くなった。フェリクスの研究がどれだけ重要かは、誰より知っている。資料の購入も。実験器具の維持も。全部、費用がかかる。
「フェリクス様は動じていないようです。『金がなくても研究はできる。紙とペンがあればいい』と」
ナターシャが手紙の続きを読み上げた。だが実際には、実験用の魔力測定器や古文書の購入費が必要だ。紙とペンだけでは限界がある。おにいさまの負担を下げる方法を考えなければならない。
「ナターシャ。おにいさまへの返信を用意して」
「何と書きますか」
「『金の手配はこちらでつける。研究を続けて』」
「金の手配——どのように」
「王妃様に掛け合う。摂政の権限で、王室の予備費から補填できる。前もって確認してあった」
ナターシャが静かに目を細めた。「確認——いつですか」
「投票の前に。宰相が勝った場合も負けた場合も、どちらになっても次の手が打てるように備えていた。おにいさまの研究が狙われる可能性は、投票の前から読んでいた」
「先読みが恐ろしいです、お嬢様」
「先読みじゃない。嫌なことを全部想像しただけ」
羽ペンを取った。フェリクスへの返信は短く書いた。
『研究を止めるな。金の件は任せて。おとうとより、セレスティア』
◇
二番目の一撃は、父に来た。
公爵家の領地経営に対する特別監査が、貴族院の名で要求された。税収の精査。過去五年分。
父はどう受け取るか。焦るか、冷静か。
手紙を待った。二日後に返信が来た。
「監査は受け入れる。清廉であることを示す機会だ」
「清廉であることを示す機会だ」という言葉で、セレスティアの目が熱くなった。父が揺れていない。この男が父親でよかったと、何度でも思う。
◇
三番目の一撃は、ヴォルフの騎士団に来た。
「人事異動の打診がありました。ヴォルフ隊長を地方の辺境警備に転属させるという案が、軍務省から」
「ヴォルフは応じるの?」
「公爵閣下が拒否されました。ヴォルフ様は公爵家の私兵ではなく臣下です。軍務省の異動命令は公爵家の臣下には及ばない。法的に」
法を使った防御。父は冷静だ。だが——一つ一つを防ぐたびに、体力と政治的資源が削られていく。次の打ちかけにどう対応するか。その対応策を準備することに、時間と労力がかかる。
宰相は一撃で倒そうとしていない。じわじわと、あらゆる方面から絞めている。蛇が獲物を締め上げるように。
◇
四番目の一撃は、セレスティア自身に来た。
「お嬢様。学園の事務局から通知が」
ナターシャが紙を差し出した。
『セレスティア・フォン・アルヴェイン嬢に対し、学園の規則に基づき、寮外活動の制限を強化いたします。今後、保護者の書面許可なく学園外への外出は認められません。王宮教育局の指示によるものです』
王宮教育局。その局長は宰相派だ。
「これは——」
「公爵閣下の書面許可があれば外出はできます。ですが許可の申請に時間がかかる。即座に動けなくなる」
「ナターシャ。鳥便は?」
「鳥便は学園の規則外です。今のところ使えます。ですが——もし鳥便も制限されたら」
「その時は——リディアさまの南方の伝書鳥を使う。あの鳥は学園の管理外」
ナターシャが目を見開いた。
「リディア様の——」
「前に聞いたことがある。リディアさまの国には、魔力で方角を感知する鳥がいるって。もし持っていたら貸してもらえるか、聞いてみる」
「持っていなかったら?」
「その時はその時」
「ナターシャ。今日の連絡は全部記録して。日付と内容と、誰から来たかを」
「はい。既に記録しています」
「ありがとう」
◇
その日の放課後。セレスティアはリディアを廊下の端に連れ出した。
「リディアさま。以前話していた、南方の伝書鳥——手配できる?」
リディアが目を細めた。「何があった」
セレスティアは短く話した。フェリクスの助成金凍結。父への監査。ヴォルフの転属打診。学園の外出制限。
リディアは黙って聞いていた。全部聞き終えて、一言だけ言った。
「四方から絞めている。潰すつもりじゃなく——服従させるつもりだ」
「そう」
「南方鳥は二週間あれば手配できる。——それだけじゃないでしょう」
「学園内に情報が限定されたら、宰相の動きを掴めなくなる。リディアさまの国の人脈を、迂回路に使いたい」
「なるほど。——引き込む気ね」
「断るなら断っていい」
リディアが少しだけ口角を上げた。「引き込まれた時点で断う選択肢はない。知ってるでしょう」
◇
夜。
セレスティアは自室のベッドに座り、天井を見ていた。
疲れていた。身体ではなく、心が。
窓の外に星が見えた。学園の庭。昼間、仲間と笑っていた場所。今は暗くて、誰もいない。
外出制限がかかった今、学園の敷地の外に出るにも許可が要る。庭に出るだけなら、まだできる。でも夜中に一人で外を歩くことは——ナターシャが止めるだろう。
摂政選出で勝った。だが勝った直後から、宰相の報復が始まった。一つ解決すれば二つ問題が来る。二つ防げば三つ来る。終わりがない。
「前世では——何歳で潰されたんだっけ」
十八歳。処刑。
今、九歳。あと八年。
八年間、この圧力に耐え続けなければならない。八年間、じわじわと締め上げられながら。
耐えられるのか。
不安が胸に広がった。闇が反応した。心の奥底で、闇がざわめいている。恐怖を餌にして。
だが——暴走しなかった。
心臓がとくん、と鳴った。光と闇が同じリズムで脈動した。フェリクスが解読したヨハンの答え。心臓が止まらない限り、同期は崩れない。
枕の下に手を伸ばした。フリーデリケがくれたラベンダーの小袋。まだ微かに香る。
この香りが続く限り——悪夢は来ない。
目を閉じた。明日も戦いは続く。
でも今夜は——眠れる。
ラベンダーの香りの中で。
扉を叩く音がした。
「お嬢様。——まだ起きていますか」
「入っていい」
ナターシャが入ってきた。湯気の立つカップを手に持っていた。
「眠れそうになかったかと思って。カモミールです」
「ありがとう」
カップを受け取った。温かい。
「ナターシャ」
「はい」
「今日、四つ来た。明日も来る」
「そうですね」
「それでも——いてくれる?」
ナターシャが、カップを持つセレスティアの手にそっと手を添えた。
「お嬢様がいる限り、わたくしはここにいます。それだけです」
カモミールを少しずつ飲んだ。
全部で四つの打撃。防いだのではない、まだ戦っている最中だ。フェリクスの助成金はまだ止まっている。父への監査は続く。ヴォルフの件は次の手が来るかもしれない。自分の外出制限も残る。
でも今夜は——立っている。
「ありがとう、ナターシャ」
「早く休んでください、お嬢様」
扉が静かに閉まった。
セレスティアは目を閉じた。カモミールの香りがラベンダーと混ざった。




