コンラートの誓い
コンラート・ヴァイスハウプトが騎士見習いの試験に合格した報せは、学園中を駆け巡った。
十歳での合格は異例の速さだった。通常、騎士見習いの試験を受けるのは十二歳以降。辺境伯家の嫡男とはいえ、二年も早い合格は学園創設以来の快挙だ。
「すげえだろ!」
中庭。噴水のベンチ。コンラートが満面の笑みで叫んだ。試験結果の羊皮紙を頭上に掲げている。
「父上が『まだ早い』って言ったんだけどさ、俺が無理やり頼み込んで受けさせてもらったんだ。で、受かった! 実技満点! 筆記は……まあ、ギリギリだったけど」
「筆記ギリギリなの」
ヴィオレッタが呆れた声を出した。隣に立って腕を組んでいる。
「剣馬鹿ね。いつか筆記で落ちるわよ」
「うるせえな。剣が振れれば騎士はやっていける。ヴィオレッタ、お前は勉強ばかりしてるから身体が弱いんだ」
「弱くないわ! 学年一位の成績を維持するのがどれだけ——」
「はいはい、二人ともけんかしないで」
フリーデリケが間に入った。両手を広げて仲裁する。
セレスティアは少し離れた場所で、四人の賑わいを見ていた。
コンラート。ヴィオレッタ。フリーデリケ。そしてリディアが石段に座って本を読みながら、時折顔を上げて微笑んでいる。
騎士見習い合格の祝いに、自然と人が集まった。誰が呼んだわけでもない。コンラートが中庭で叫んだら、みんなが寄ってきた。
「殿下は?」
コンラートが辺りを見回した。
「アレクシス殿下がいないぞ。真っ先に報告したいのに」
「殿下は——放課後の特別講義だと思う」
セレスティアが答えた。アレクシスの放課後は、カスパルが管理する教育プログラムで埋まっている。友人の騎士見習い合格を祝う時間すら、奪われている。
コンラートの顔が曇った。
「最近、殿下と全然話せないんだよな。いつも忙しいって」
「カスパルが殿下のスケジュールを組んでいるから」
リディアが石段から顔を上げた。静かな声。だが正確な指摘。
「カスパルって、あの侍従だろ。なんかあいつ、殿下にべったりで気に入らないんだよな。殿下が一人になる時間がなくなってる」
「あとで殿下に会いに行くよ。講義が終わるの待ってさ」
「コンラートさま。それは——やめた方がいいかもしれない」
セレスティアが言った。言葉を慎重に選んだ。
「なんでだ? 俺は殿下の友達だぞ」
「カスパルが殿下のそばにいる時に会いに行くと、カスパルがコンラートさまのことも監視するようになるの」
コンラートが首を傾げた。「監視」の意味を咀嚼している。
「……カスパルって、やっぱりただの侍従じゃないのか」
「うん。でも今は——その話はしないでおく。いつか、全部話すから」
「……分かった。セレスティアが言うなら」
コンラートは不満そうだったが、引き下がった。
◇
昼休みが終わり、午後の授業に向かう廊下。
コンラートがセレスティアの隣に来た。歩幅を合わせている。
「セレスティア」
「なに」
「騎士見習いに受かったからさ。俺、来年から騎士団の訓練にも参加することになった」
「そうなんだ。すごいね」
「で、その——」
コンラートが頬を掻いた。言いにくそうだ。
「殿下の護衛騎士候補に、内定した」
セレスティアの足が止まった。
「護衛騎士……候補?」
「ああ。正式な任命は殿下が十五歳になった時だけど、候補としての訓練は来年から始まる。近衛騎士団の団長が面接してくれてさ。『お前の剣には見るべきものがある。だが頭はもう少し鍛えろ』って」
頭はもう少し鍛えろ。まったくその通りだ。
「コンラートさま。殿下の護衛騎士になるということは——」
「分かってる。殿下の盾になるってことだ。殿下を狙う全ての敵から、身を挺して守る」
身を挺して。
「コンラートさま」
「ん?」
「殿下を守ってくれて、ありがとう」
「まだ何も守ってないぞ。これからだ」
コンラートが笑った。赤い髪が揺れた。太陽のような笑顔。
「でもさ、セレスティア。俺、殿下を守るのが夢だけど——」
笑顔が引き締まった。真剣な目になった。十歳の少年が、一瞬だけ大人の目をした。
「お前のことも守りたい」
セレスティアは目を瞬いた。
「わたしを?」
「ああ。お前、なんか——危ないことに首突っ込んでるだろ。細かいことは分からないけど、俺は見てるからな。お前の目が時々、すげえ遠くを見てる時がある。戦場にいる奴みたいな目」
戦場にいる奴の目。
「俺の剣は殿下を守るためにある。でも殿下だけじゃない。友達も守る。お前も、フリーデリケも、ヴィオレッタも——あいつはうるさいけど——リディアも、アネリーゼも。みんな」
「コンラートさま。ありがとう。でも——わたしは自分で守れるようになるから」
「知ってる。お前は強い。俺よりずっと。でもさ——」
コンラートが右手を差し出した。握手を求めている。
「強い奴にだって、背中を守る奴が必要だろ」
背中を守る。
セレスティアの右手が、コンラートの手に収まった。少年の手は大きく、硬く、温かかった。剣だこがある。十歳で剣だこ。辺境伯の血は伊達じゃない。
「約束だ。俺は殿下の盾になる。で、お前が戦ってる時は、お前の背中を守る」
「……約束」
◇
放課後。
コンラートは結局、アレクシスの特別講義が終わるのを待った。セレスティアが「やめた方がいい」と言ったのに。
だがコンラートは待ち方を工夫した。カスパルの目に留まらないように、教室棟の裏の芝生で素振りをしながら。
アレクシスが講義を終えて出てきた時、カスパルは別の廊下を歩いていた。コンラートは芝生からアレクシスに声をかけた。
「殿下ぁ!」
アレクシスが振り返った。
「コンラート? どうしたんだ、こんな所で」
「騎士見習い、受かった! 報告しに来た!」
アレクシスの顔が——変わった。
最近のアレクシスは、社交的な微笑みを貼り付けた顔をしている。王太子としての仮面。だがコンラートの声を聞いた瞬間、仮面が剥がれた。
「本当か! すごいぞコンラート!」
駆け寄ってきた。政治学の教科書を脇に挟んだまま。仮面の下から、九歳の少年が飛び出してきた。
「実技満点だろ? お前なら当然だ! 筆記は?」
「ギリギリ」
「やっぱりな!」
アレクシスが笑った。本物の笑顔。カスパルの教育が作り出す「適切な笑顔」ではない、子供の喜びが溢れた笑顔。
セレスティアは校舎の窓から、その光景を見ていた。
「……ありがとう、コンラートさま」
窓辺で呟いた。声は届かない。でもいい。
◇
その夜。公爵邸。
帰省したセレスティアは、食事の前にフェリクスの書斎を訪ねた。
「コンラートが護衛騎士候補に内定したの」
「聞いたよ。辺境伯閣下がお喜びだそうだ。エドヴァルト兄さんからの手紙にあった」
フェリクスが分厚い眼鏡を押し上げた。研究ノートを閉じ、椅子の背にもたれている。
「コンラートが殿下の護衛になれば、殿下の身辺に味方が一人入ることになる。カスパルとの均衡が——わずかだが改善する」
「そう思う。でも——カスパルはコンラートを警戒するわ。殿下に近づける騎士を、宰相が見逃すとは思えない」
「だろうね。コンラートの身辺にも注意が要る」
フェリクスの目が遠くなった。何かを計算している。
「エドヴァルト兄さんが辺境伯の騎士団で人脈を築いている。コンラートの父——ギュンター辺境伯は、騎士団の中で最も武力のある領主だ。この繋がりが、いずれ——」
いずれ。
家族会議でセレスティアがエドヴァルトに頼んだこと。「辺境伯のおそばで、味方を増やしてください」。その布石が、コンラートの護衛騎士内定と繋がりつつある。
「フェリクスおにいさま。ニコラスから新しい情報は」
「ある。マティアスのことだ」
フェリクスが引き出しから封筒を取り出した。
「テオドールという元使用人——前に報告した人物だが、先月もマティアスの私邸を訪れている。今回は滞在時間が長かった。三時間」
三時間。偽証の「練習」をさせられているのかもしれない。マティアスはテオドールを使って、将来の法廷に備えている。
「テオドールの現住所は特定できた?」
「王都の下町。三番街区の安宿に長期滞在している。元使用人にしては生活費が潤沢だ。誰かが金を渡している」
マティアスが生活費を支給し、テオドールを囲い込んでいる。逃げられないように。
「今は——まだ動けない」
「分かっている。今テオドールに接触すれば、マティアスに気づかれる。時期を見なければ」
時期。いつか——テオドールを救い出す日。だがそれは今ではない。
「フェリクスおにいさま」
「うん」
「おにいさまは——怖くない?」
フェリクスが眼鏡の奥の目を細めた。
「何が」
「裏社会の情報屋と取引すること。宰相の闇を探ること。見つかったら——」
「怖いよ」
フェリクスはあっさり認めた。
「学者は本来、書斎にいるべき人間だ。裏社会なんて、僕の専門外だ。ニコラスに会う時は毎回手が震える」
「でも——やめないの」
「やめない。僕は学者だけど、アルヴェイン家の人間でもある。妹が戦っているのに、兄が書斎に閉じこもっていられるか」
フェリクスの声は穏やかだった。怒りでも義務感でもない。ただの——家族への愛情。
「それに、知識は使うためにある。使わなければ、ただの紙の束だ。ヨハン先生の研究も、ニコラスの情報も、使って初めて意味を持つ」
「おにいさま。ありがとう」
「礼はいいよ。それより——」
フェリクスが別の封筒を取り出した。
「ヨハン先生の研究ノートの解読が、もう一段進んだ。固有周波数の安定化に関する核心部分——暗号の最後の層を突破した。次に会う時、結果を見せる」
固有周波数の安定化。グレーテルの三拍子の訓練。オスヴァルトの理論。そしてヨハンの遺した最後の知見。
「楽しみにしてる」
「ああ。僕もだ。——学者として、これほど興奮することはない」
フェリクスの目が輝いた。
セレスティアは書斎を出た。廊下に冬の冷気が漂っていた。




