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前世で処刑された公爵令嬢、幼女からやり直して家族の破滅フラグを全部折ります  作者: NN


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監査の波紋

 監査委員会の調査は、予想以上に速く進んだ。


 ゲルハルト監査委員長の手腕だ。六十八歳の老人は退屈だが有能だった。財務省の帳簿を精査し、三日で矛盾を発見した。特別会計の支出と収入が合わない。五年間で累計——公式には「事務的な記帳の誤差」とされたが、ゲルハルトはその「誤差」が全て同じ方向に偏っていることを見抜いた。支出超過。国庫から金が消えている。


 消えた先は——財務省の記録上は「機密費」とされていた。だが機密費にしては額が大きすぎる。そして機密費の使途を記録する別帳簿が、なぜか「紛失」していた。


 「偶然の紛失ではありえません」


 ゲルハルトが貴族院の本会議で報告した。


 「帳簿の紛失は、五年間の支出超過と時期が一致しています。組織的な隠蔽の可能性があります。監査委員会は、財務卿カール・ヴェンデルへの喚問を要請します」


 貴族院が揺れた。


 ◇


 この情報はナターシャ経由で翌日にはセレスティアの手元に届いた。だが今回は、もう一つの経路からも情報が入った。


 ヴィオレッタだ。


 「お父様から手紙が来たわ。宰相派の内部が動揺しているって」


 寮室。消灯前。ヴィオレッタの声は低く抑えられている。


 「お父様の書き方が変なの。いつもは命令文なのに、今回は——焦っている感じ」


 モンテヴェルデ侯爵が焦っている。宰相派の末端にまで動揺が波及している証拠だ。


 「何て書いてあった?」


 「『財務卿の件で宰相閣下がお怒りだ。しばらく慎重に行動せよ。余計なことをするな』って」


 「お怒り……」


 宰相が怒っている。だが何に怒っているのか。匿名告発そのものにか。それとも——告発を防げなかった部下にか。


 「もう一つ。お父様の手紙に、気になる一文があった」


 「何?」


 「『カールは自業自得だ。あの男の始末は宰相閣下にお任せするしかない』」


 始末。


 その言葉の冷たさに、セレスティアは背筋が寒くなった。


 「ヴィオレッタさま。今回の報告書は——」


 「分かってるわ。今まで通り書く。ただし——」


 ヴィオレッタの目が光った。


 「一つ、本当の情報を混ぜていい? お父様が焦っていることを」


 「お父様が焦っている……を報告するの? お父様自身に?」


 「違うわ。お父様には書かない。でも——セレスティアに伝えるべき情報でしょう? 宰相派の内部動揺の証拠として」


 「ありがとう。それは助かる」


 「礼はいいわ。——それより、ラベンダーの枝、もう一本ちょうだい」


 「もうなくなったの?」


 「枯れたのよ。あれ、意外と効くのね」


 セレスティアはもう一本手渡した。暗闇の中でヴィオレッタの手が触れた。


 「おやすみ」


 「……おやすみ」


 二つのベッドにまた同じ香りが満ちた。


 ◇


 貴族院の喚問は、告発から二週間後に行われた。


 カール・ヴェンデル財務卿。五十代の肥満体の男。普段は自信に満ちた態度の人物だが、喚問の席では——別人のように萎縮していたという。


 ナターシャの報告。


 「財務卿は弁明に終始しました。『記帳の誤差は部下の怠慢による事務的な問題だ』『特別会計の支出は全て正当な機密活動費である』『帳簿の紛失は管理体制の不備であり、自身の関与はない』」


 「監査委員会の反応は」


 「ゲルハルト委員長は信じていません。追加資料の提出を命じました。三日以内に」


 三日。帳簿を改竄するには足りない時間。正直に提出すれば不正が確定する。提出しなければ議会侮辱罪。


 「そして——宰相の反応は」


 ナターシャが一瞬、間を置いた。


 「宰相ヴィクトール・ド・ガルニエは、喚問の席に同席を求められましたが、辞退しています。『財務省の内部問題であり、宰相府は関与していない。監査委員会の公正な調査を支持する』と声明を出しました」


 声明。「監査を支持する」。つまり——カール・ヴェンデルを守らない、と公式に宣言した。


 切り捨て。


 セレスティアは目を閉じた。


 財務卿は宰相に五年間仕えた。それを、窮地に陥った瞬間に見捨てる。「関与していない」の一言で。


 「カール・ヴェンデルは——気づいたでしょうか。見捨てられたことに」


 「気づいたと思います。喚問の後、財務卿は宰相府に面会を申し入れましたが、断られたそうです。『宰相閣下はご多忙です』と」


 面会拒否。最後通牒だ。お前は一人で沈め、という合図。


 「ナターシャ。カール・ヴェンデルの今後を追ってほしい」


 「監視を続けますか」


 「監視じゃない。見守り。あの人はこれから孤立する。宰相に見捨てられ、貴族院に追及され、居場所を失う。その時に——」


 セレスティアは言葉を選んだ。


 「あの人が助けを求められる場所を、残しておきたい」


 ナターシャが目を見開いた。


 「お嬢様。カール・ヴェンデルを味方にするおつもりですか」


 「今すぐではない。今は無理。でも——いつか。あの人が宰相を恨み、真実を語る覚悟を持った時に。その時、受け皿がなければ、あの人は黙ったまま消える。あるいは——消される」


 消される。宰相は口封じを躊躇わない。切り捨てた手先が反逆しないよう、永久に沈黙させる可能性がある。


 「カール・ヴェンデルの身の安全にも注意してほしい。宰相が『始末』を選ぶ可能性があるから」


 「了解いたしました」


 ナターシャの声が硬い。彼女もまた、宰相の冷酷さを知っている。


 ◇


 数日後。


 カール・ヴェンデルは財務卿の座を辞した。「健康上の理由」という名目。実態は事実上の更迭だ。


 貴族院の監査委員会は調査を継続するが、財務卿が辞任したことで追及の勢いが鈍った。辞めた人間を追い詰めても政治的な得点にならないからだ。ゲルハルト委員長は不満そうだったが、委員会の多数派は「辞任で幕引き」を選んだ。


 宰相の計算通りだ。手下を一人犠牲にして、火を消した。


 だがセレスティアには——見えていた。


 火は消えていない。熾火が残っている。カール・ヴェンデルという熾火が。


 辞任後のヴェンデルは王都の自邸に閉じこもった。誰とも会わず、門を閉ざした。時折、深夜まで窓の灯りが消えないことがある——とナターシャは言った。


 怒りは冷えて固まりつつある。


 だがいつか——カール・ヴェンデルは扉を開ける。


 その時、ノックする者がいなければ、扉は永遠に閉じたままだ。


 セレスティアは待つ。


 ◇


 帰省の馬車の中。ヴォルフが手綱を操っている。


 窓の外に冬の始まりが見えた。木々の葉が落ち、灰色の枝が空を引っ掻いている。


 「ヴォルフ」


 「はい、お嬢様」


 「きょうはね、フリーデリケちゃんとラベンダーを摘んだの」


 「……」


 「それと、授業で地理を習った。南方の海はきれいな青なんだって。リディアさまの故郷の海」


 「……」


 ヴォルフは何も言わない。いつも通り。だがバックミラー越しに見える横顔が、ほんの少しだけ和らいでいた。


 「おうちに帰ったら、グレーテル先生の訓練があるの」


 「はい」


 「がんばるね」


 「はい。お嬢様」


 短い沈黙が続いた。ヴォルフの背中は動かない。馬が規則正しく蹄を鳴らしている。


 馬車が冬の道を走る。車輪が落ち葉を踏む音が、規則的に響いている。


 セレスティアは窓に頬をつけた。冷たいガラス。冬の匂い。


 ——少しだけ。ラベンダーの匂いを思い出しながら、目を閉じる。


 馬車が揺れている。ヴォルフの背中が見える。


 安心できる揺れだった。


 窓の外で、枯れ葉が一枚、風に舞った。


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