表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
前世で処刑された公爵令嬢、幼女からやり直して家族の破滅フラグを全部折ります  作者: NN


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

111/130

ヴィオレッタの告白

第110話「ヴィオレッタの告白」


 学園に戻った日の夜。


 消灯まで一時間。寮室の窓から秋の夕暮れが差し込んでいる。橙色の光が二つのベッドを染めている。


 ヴィオレッタは机に向かって手紙を書いていた。父への報告書だろう。ペンの走る音が規則的に続いている。


 セレスティアは自分のベッドに座り、教科書を膝に開いていた。読んではいない。ヴィオレッタの背中を見ていた。


 痩せた背中。制服の肩が少し余っている。食事の量が減っていることを、同室者として知っていた。最近、朝食のパンを半分残す日が増えた。


 「ヴィオレッタさま」


 「なに。今、書き物してるの」


 「終わったら、すこし——おはなししたいことがあるの」


 ペンが止まった。


 「……何。改まって」


 「大事なことだから」


 ヴィオレッタは振り返った。琥珀の目が夕日に照らされて、赤く見える。


 セレスティアの顔を見た。何かを探る目。スパイの目——ではなかった。不安の目だ。大事な話と言われて、何が来るか分からない怯えの目。


 「……今でいいわ。手紙は後で書く」


 ヴィオレッタが椅子ごとこちらを向いた。膝の上で手を組んでいる。防御姿勢。


 セレスティアは教科書を閉じた。


 「ヴィオレッタさま。わたし——知ってるの」


 「何を」


 「ヴィオレッタさまが、お父様から命令されていること」


 空気が凍った。


 ヴィオレッタの顔から血の気が引いた。指が膝の上で白くなった。


 「わたしの情報を集めて、報告しなさいって言われてるでしょう。何をしているか、誰と話しているか、どんな手紙を書いているか」


 声を平らに保った。責めるトーンではない。事実を述べるだけの声。


 ヴィオレッタの唇が震えた。


 「いつ——いつから」


 「さいしょから」


 最初から。入学した日から。同室になった瞬間から。


 ヴィオレッタの目が見開かれた。瞳孔が広がっている。恐怖。暴露された恐怖。スパイが標的に正体を知られた——それは処刑宣告に等しい。


 「……じゃあ——あなたが引き出しの中を整理したのは」


 「うん。見られてもいいものだけ残した」


 「あの日のハンカチも——水を持ってきたのも——全部——」


 ヴィオレッタの声が震えた。全部計算だったのか。全部演技だったのか。スパイだと知っていて、手懐けるための——。


 セレスティアは首を横に振った。


 「ちがう。ちがうよ、ヴィオレッタさま」


 「何が違うのよ!」


 声が大きくなった。怒りが噴き出している。だが怒りの下に涙がある。


 「スパイだって知ってて——優しくして——ハンカチまで——全部、利用するためでしょう! 公爵家の令嬢が侯爵家のスパイを手懐けるなんて、お父様と同じじゃない!」


 お父様と同じ。


 その言葉が——刺さった。


 セレスティアの胸に、深く。


 セレスティアは立ち上がった。椅子から降りて、床に足をつけた。ヴィオレッタの前に立った。


 見上げる形になる。ヴィオレッタの方が背が高い。椅子に座っているヴィオレッタの方が、立っているセレスティアより目線が上だ。


 それでもいい。見上げて話す。


 「わたしがハンカチをわたしたのは、ヴィオレッタさまが泣いてたから。水を持っていったのは、ヴィオレッタさまがのどかわいてそうだったから。嫌がらせのこと報告しなかったのは、ヴィオレッタさまが傷つくのがいやだったから」


 声が震えた。自分でも驚いた。八歳の声帯が、感情を抑えきれずに揺れている。


 「スパイだって知ってても——ヴィオレッタさまはヴィオレッタさまだよ。わたしの同室で、わたしの花言葉の先生で、わたしを庇ってくれた人。それは——うそじゃない」


 ヴィオレッタの目から涙が溢れた。


 堰を切ったように。


 「——っ」


 声にならない嗚咽。両手で顔を覆った。肩が震えている。八歳の少女の、壊れそうな肩。


 「もう嫌なの——」


 手の隙間から、声が漏れた。


 「お父様の言いなりも、宰相の道具も、スパイなんて——もう嫌。ヴィオレッタ・モンテヴェルデは、スパイなんかじゃないのに。でも逆らえない。逆らったら——家が潰される。お母様も弟も——」


 セレスティアはヴィオレッタの手に触れた。そっと。指先だけ。


 「ヴィオレッタさま。わたしに、ひとつ提案がある」


 「提案……?」


 涙で赤くなった目が、手の隙間からセレスティアを見た。


 「お父様への報告、やめなくていい」


 ヴィオレッタが息を呑んだ。


 「報告はつづけて。でも——報告する内容を、わたしが一緒に考える」


 「……どういう意味」


 「偽の情報を流すの。わたしが『本当だと思わせたい嘘』を作る。ヴィオレッタさまはそれをお父様に報告する。お父様は宰相に伝える。宰相は嘘を信じる」


 ヴィオレッタの涙が止まった。


 驚きが涙を追い越した。


 「偽情報を——スパイのまま——」


 「二重スパイ。宰相派には今まで通りスパイのふりをして、実際にはわたしたちの味方として動く」


 ヴィオレッタの目が変わった。涙の膜を通して、何かが光った。


 「そうすれば——お父様に逆らわずに済む。報告を続けるから、家は安全。でも報告の中身は嘘。宰相は間違った情報で動く」


 「ヴィオレッタさまは誰も裏切らなくていい。お父様にも逆らわない。でも——宰相に使われるのをやめる。自分の意思で、自分の選択で動く」


 ヴィオレッタの唇が震えた。だが今度は泣くための震えではなかった。


 「……それって——すごく危ないわよ。嘘がばれたら」


 「ばれないようにする。わたしとナターシャで、報告内容を毎回チェックする。本当の情報に嘘を少しだけ混ぜるの。九割は本当。一割だけ嘘。そうすれば嘘は見破れない」


 「九割本当で一割嘘……」


 「侯爵家のやり方でしょう? ヴィオレッタさまなら分かるはず。嘘の混ぜ方」


 ヴィオレッタが——笑った。


 涙の跡が残る顔で。赤い目で。鼻声で。


 でも笑った。


 「あなたって——本当に変な子ね。八歳で二重スパイ工作なんて考えるの、どこの国の子供よ」


 「変かな」


 「変に決まってるでしょう。でも——」


 ヴィオレッタが涙を拭った。素手で。乱暴に。


 「でも——悪くないわ。宰相に騙されるよりは、自分で騙す方がずっとまし」


 「ヴィオレッタさま。ひとつだけ約束して」


 「何」


 「もしつらくなったら——やめていい。無理しないで。わたしは、ヴィオレッタさまが安全でいることの方が大事だから」


 ヴィオレッタが口を開きかけ、閉じた。また開いた。


 「……あのハンカチ」


 「え?」


 「あの夜、あなたがくれたハンカチ。まだ返してない」


 「返さなくていいよ」


 「……なんで」


 「だって、ヴィオレッタさまがもってたほうが、わたしうれしいから」


 ヴィオレッタが目を逸らした。耳が赤い。


 「……馬鹿じゃないの」


 ◇


 消灯の鐘が鳴った。


 二人はそれぞれのベッドに入った。いつもの位置。いつもの距離。


 だが今夜は——何かが違った。


 部屋の空気が軽い。ハンカチの夜から積み重なってきた嘘の壁が、一つ崩れた。全部ではない。まだ言えないことはたくさんある。前世のこと。聖魔力のこと。宰相との戦いの全貌。


 でも一つの壁が崩れた。そこから風が吹き込んでいる。


 「セレスティア」


 暗闇の中のヴィオレッタの声。


 「なに」


 「偽情報の第一弾。何を流す?」


 「グレーテル先生のこと。公爵家が魔力の家庭教師を雇ったこと。これは本当」


 「本当の情報から始めるの?」


 「うん。最初は本当のことだけ流す。信用を積み上げるの。嘘を混ぜるのは、三回目か四回目から」


 「なるほど。最初に本当の情報を流して、『ヴィオレッタの報告は正確だ』と思わせる。信用ができてから、嘘を混ぜる」


 「そう。で、グレーテル先生のことを報告する時に——一つだけ色をつけて」


 「色?」


 「『セレスティアは魔力の制御に苦しんでいるようだ。家庭教師を雇ったのは、暴走を恐れているからではないか』って」


 沈黙。暗闘の中で、ヴィオレッタが考えている。


 「弱く見せるのね。本当は強くなっているのに、弱いふりをする」


 「うん」


 「宰相が警戒を緩めるわね。『セレスティアは制御できていない。脅威ではない』と」


 「そのあいだに、わたしは本当に強くなる。グレーテル先生のもとで」


 長い沈黙があった。


 「……あなたって、怖い子ね。時々」


 「こわい?」


 「八歳の女の子が、宰相を騙す作戦を考えてる。普通じゃないわ」


 「ヴィオレッタさまだって、八歳で二重スパイをやろうとしてる」


 「それもそうね」


 暗闇の中で、二人とも笑った。


 声を殺した笑い。共犯者の笑い。


 「おやすみ、ヴィオレッタさま」


 「おやすみ。——セレスティア」


 「なに?」


 「ありがとうとは言わないから」


 「いわなくていいよ」


 ヴィオレッタの寝息が聞こえ始めた。


 セレスティアは天井を見つめていた。


 セレスティアの目から涙が一筋流れた。


 窓の外で、風が木の葉を揺らした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ