学年末の魔術実技
初等部一年目の学年末、魔術実技試験が行われた。大講堂の中央には、攻撃魔術が外へ漏れないよう、オスヴァルト自身が設計した直径十メートルの円形結界が張られている。
「学年末魔術実技試験を実施する。二人一組の対戦形式。攻撃・防御・制御の三要素を総合的に評価する。一回戦は三分間。制限時間内に相手を結界外に出すか、戦闘不能にした方が勝ち。致命的攻撃は禁止。審判は私が務める」
オスヴァルトの声が講堂に響いた。セレスティアは観客席の端に座り、対戦表を確認した。目が止まった。
二回戦。セレスティア・フォン・アルヴェイン 対 ルシアン・レグナシオン。
相手は、第一王子ルシアン。十歳になるアレクシスの異母兄で、側室の子として王宮の片隅に置かれ、副宰相マティアスの教育を受けている少年だった。以前接触してきた時の、台本を読むような話し方を覚えている。
あの時のルシアンは不器用だった。操り人形の糸が見えるような、ぎこちない接触。だがあれから時間が経っている。
「お嬢様。ルシアン殿下の魔力属性は火です。魔力量は五百二十。お嬢様の五分の一以下ですが」
試験前、ナターシャはそう報告していた。
「でも?」
「殿下は攻撃魔術に特化した訓練を受けています。マティアス様が選んだ家庭教師は、防御や制御ではなく攻撃を重点的に教え込んでいます」
ナターシャは帳面を一頁めくった。
「もう一つ。ルシアン殿下は、先月の訓練で上級生を一人負傷させています。火属性の魔力弾を至近距離で放ち、相手の防御が間に合わなかった」
◇
一回戦。各組の対戦が進む。コンラートは相手を十秒で結界外に押し出した。火属性の魔力で足元に火花を散らし、相手が怯んだ隙に突進する。騎士の戦い方。力任せだが効果的だった。
イザベラは氷の魔術(水属性の派生)で相手の足元を凍らせ、動けなくしてから冷静に勝利を宣言した。一切の無駄がない。
フリーデリケは相手の風魔術に吹き飛ばされかけたが、土属性の壁を作って耐え、時間切れで引き分けた。負けなかったことが偉い。
アレクシスは風属性の精密な制御で相手を翻弄し、最後は結界の端に追い詰めて勝った。リディアは、南方魔術を使った。
講堂がどよめいた。リディアの魔力は属性分類に当てはまらない。手のひらから緑と金が混ざった光が放たれ、相手の魔力を絡め取るように封じた。
「何、あれ」「見たことない」「南方の魔術?」
オスヴァルトの目が、未知の魔術体系を前にした学者のものへ変わった。そこに浮かんでいるのは、純粋な知的興奮だった。
◇
二回戦。
「セレスティア・フォン・アルヴェイン。ルシアン・レグナシオン。結界内へ」
オスヴァルトに呼ばれ、セレスティアは立ち上がって結界の中へ入った。向かい側からはルシアンが歩いてきた。
十歳の少年の顔立ちはアレクシスに似ていたが、髪と目の色は違う。母親から受け継いだ赤みがかった茶髪と灰緑色の目を持ち、その目でセレスティアを見ながら笑っていた。
以前に見せた作り笑いではない。何かを試せることを、心から楽しんでいるような不穏な笑みだった。
「よろしくね、アルヴェイン嬢。ちょっと試してみたくてさ。君の本気が」
君の本気を試したい。その言葉だけが、妙に耳へ残った。
「よろしくお願いします、ルシアン殿下」
「堅いなあ。もっとリラックスしてよ。たかが試験だし」
たかが試験だと言いながら、ルシアンの目には冷たい光が宿っていた。
「開始」
オスヴァルトの合図と同時にルシアンが動いた。その反応は予想以上に速い。
右手から放たれたのは、直径三十センチほどの赤い火球だった。一発ではなく、三発が同時に扇状へ広がりながら飛来する。
セレスティアは光の盾を張った。白い光の壁が三発の火球を受け止め、熱を拡散させる。
防御には成功したものの、衝撃で二歩下がった。ルシアンの火球は魔力量の割に密度が高い。攻撃だけに特化した訓練の成果だ。
「へえ。防いだ。流石だね」
ルシアンは笑いながら次の術を放った。今度は火球ではなく、蛇のように細長い炎が地を這い、セレスティアの足元へ迫る。
横へ跳んで炎を避けたが、着地した瞬間、頭上から火球が降ってきた。とっさに光の盾を展開し、火球を弾く。
「おお。やるね。でもまだまだ」
ルシアンの攻撃が激しさを増した。火球の数が増える。五発。七発。間隔が短くなる。
防御に徹する。光の盾を次々と展開し、全ての攻撃を受け止める。反撃はしない。
「なんだ、反撃しないの? つまんないなあ」
ルシアンの声に苛立ちが混じった。
「歴代最高の魔力量って聞いたから、期待してたんだけど。防御だけ? がっかり」
セレスティアは無視した。盾を張り続ける。残り時間は一分半。このまま耐えれば引き分けで終わる。ルシアンの目が変わった。苛立ちが、怒りに変わった。
「本気、出しなよ」
声から、それまでの軽さが消えた。十歳の少年の背後に、別の誰かの意志が透けて見えるようだった。
「本気を出さないなら、出させてあげる」
ルシアンの両手が赤く輝いた。全魔力を掌に集中している。火属性の全力攻撃。
赤い光は直径一メートルを超える巨大な火球へ膨れ上がり、結界内の空気を熱で歪ませた。
「これ、避けた方がいいよ。防御じゃ持たないかもね」
笑っている。だがルシアンの手は震えていた。全魔力を一撃に注ぎ込んでいる。制御の限界に近い。暴走寸前の攻撃。これは、試験の範囲を超えている。
オスヴァルトが動きかけた。審判として止めるべき水準だ。だがルシアンが撃つ方が一瞬速かった。火球が放たれた。
巨大な赤い球体がセレスティアに向かって飛来する。熱風が髪を巻き上げた。
最大出力で張った白い光の盾が、火球と正面から衝突した。激しい衝撃に足が滑り、盾が軋む。このままでは持たない。
光の盾に亀裂が入り、赤い炎が白い壁を食い破ろうとする。光だけでは支えきれないと感じた瞬間、心の奥底で闇が反応した。
だめだ。ここで闇を出したら。
抑え込む。湖の底に。沈めろ。沈め続けろ。消えろ。
だが火球の圧力が強すぎる。光の盾へさらに亀裂が走り、あと数秒で貫かれる。そう悟った瞬間、まばたき一回分にも満たない黒い光が漏れた。
セレスティアの右手の指先から、黒い光が閃いた。
黒い光が白い盾に混入した瞬間、盾の強度が跳ね上がった。火球が弾かれた。
赤い球体が砕け散り、結界壁に衝突して消えた。
「ここまで!」
試合の中断を告げるオスヴァルトの声が、講堂に響いた。
「ルシアン殿下の攻撃が試験の許容範囲を逸脱しています。本戦は無効試合とします」
全魔力を使い果たしたルシアンは、息を切らして膝をついていた。それでも目はセレスティアの右手に向けられ、先ほどの黒い光を確かに捉えていた。
背筋が冷えた。見たのはルシアンだけとは限らない。結界のすぐ外にいた生徒の中にも気づいた者がいるかもしれず、セレスティアは急いで視線を巡らせた。
コンラートは首を傾げている。何かを見たが、理解していない。フリーデリケは心配そうにセレスティアを見ている。リディアは、目が鋭い。何かに気づいたはずだ。アレクシスは、表情が読めなかった。そしてイザベラ。
宰相の娘はセレスティアの右手を見つめ、紫の瞳を一点に固定している。イザベラも見たのだ。そこへ、オスヴァルトが結界内に入ってきた。
「アルヴェイン。退場しろ。ルシアン殿下も。二人とも医務室で検査を受けろ」
セレスティアは結界を出た。足が震えていた。
講堂の空気が変わっていた。さっきまでの歓声は消え、代わりに「今の、見た?」「黒い光……」「何、あれ」と囁く声が広がっている。どれも小声なのに、石壁に反響して四方から降り注ぐように聞こえた。
背中にも横顔にも指先にも視線を感じるのに、セレスティアが目を向けると、誰もが逸らした。
闇が漏れた。
一瞬だった。まばたき一回分だった。だが、見た者がいる。ルシアンと、イザベラ。
「お嬢様」
ナターシャの声が聞こえた。講堂の出口で待っていた。
「ナターシャ」
「見ました。お嬢様の右手。黒い光」
「……うん」
「どなたが見ていたか、確認します」
「ルシアン殿下。イザベラ様。あと、わからない。リディア様も気づいたはずだ」
ナターシャの顔が引き締まった。
「時間がありません」
その夜、セレスティアは灯りもつけず、寮の自室で膝を抱えていた。暗がりの中で、闇が漏れた右手の指先を見つめる。今はもう、何の光も浮かんでいない。
窓の外から、寮の庭で話す子供たちの笑い声が聞こえた。
右手を、ゆっくり握った。




