コンテスト後の反響
翌朝、学院の廊下はいつもより賑やかだった。
コンテストの話題は、前日の夜のうちに寮全体に広まっていた。ベアトリス・ランベールが院長賞を取ったこと、そして一年生が「特別賞」という新設の賞を受賞したこと。後者については、「審査員が評価の仕方に困って新しい賞を作った」という噂が既に出回っていた。
リゼットは朝の図書館から一時限目の教室へと移動する廊下を歩きながら、その雰囲気を「普段より音量が高い」という事実として認識したが、それ以上の感慨はなかった。今日の課題は昨日の実演で得た地脈の記録を整理して、本格的な修正術式の設計に移行することだ。
しかし、廊下の途中で足が止まった。
正確には、前を歩いていた上級生のグループが振り返って話しかけてきたからだ。
「シルヴァーヌさん、ですよね」
発言したのは、薄い金髪の二年生だった。見覚えはある。同じ図書館をよく使う。
「そうです」
「昨日のコンテスト……見に行ったんですが、あの術式、正直わかりませんでした」
「記号の説明が不足していましたか。発表時間が限られていたので省略した部分があります」
「いえ、そういうことじゃなくて……わからないのに、すごかったです。機能してるのは見えたし、審査員の人たちが困惑してたし……」
リゼットは少し考えた。
「評価する側の知識体系の外にある術式だったので、困惑は自然です」
「それって……怖くないですか。評価できないって言われることが」
「評価できないことと、機能しないことは別です。術式は機能しました。評価は後から追いつくものです」
金髪の二年生が、なんとも言えない顔をした。周囲にいた数人も、それを聞いて少し表情が変わった。
「……先生って、呼んでいいですか」
別の生徒が言った。二年生の、水属性の術師らしい少女だった。
「(先生という呼称は、正式には教師資格を持つ人間に使用するものですが……)」
リゼットは一拍置いて答えた。
「構いません。ただし、被験体として実験に協力してくれる方に限ります」
「被験体……!?」
「測定に協力できる方が必要なので」
その場が少し笑い声に包まれた。笑いの意味はリゼットにはよくわからなかったが、雰囲気が悪くないことは把握できた。
* * *
昼休み、ベアトリスが中庭の樫の木の下へやってきた。
珍しいことだった。ベアトリスは自分の学年のグループと行動することが多く、一年生の昼休みの場所に来ることは通常なかった。
「シルヴァーヌ様」
「ランベール様。どうぞ座ってください」
「……ありがとうございます」
ベアトリスがリゼットの向かいのベンチに座った。少し気持ちを整えてから、口を開いた。
「院長賞を取りました。でも、話題はあなたの方が大きい」
リゼットはノートから顔を上げた。
「話題の大きさは院長賞の価値に関係しますか?」
「……感情の問題として、少し、複雑です」
「それは理解できます。あなたは完成度の高い術式を出した。私は未完成の術式を出した。にもかかわらず、院長賞より「理解不能賞」の方が話題になる。不当だという感情は合理的です」
ベアトリスが少し目を細めた。
「……「不当」とは思っていません。ただ、複雑だと言っているんです」
「違いを教えてもらえますか」
「「不当」は、正しい評価が行われていないという判断です。「複雑」は、正しい評価がされていても、感情が追いついていないということです」
「……なるほど」
リゼットはそれを聞いて、ノートに一行書き込んだ。
「(正しい評価 ≠ 感情的に受け入れやすい評価。その差分を「複雑」と表現する)」
「私が書き留めてもいいですか」
「……何を書いているんですか」
「感情の語彙についての観察です。「複雑」の用法が正確でした」
「……普通の会話をしているつもりなのですが」
「そうですね。有益でした」
ベアトリスが小さく息を吐いた。
「言いたいことは、そういうことではなく……」
「はい」
「院長賞の作品は設計が精緻でした。完成度が高い。それが正確な評価です。ありがとうございます。先ほどそう言っていましたね」
「そうです」
「そしてあなたの作品は未完成、と昨日言っていました」
「そうです。今回の試作版は収束率が理論値の八十七パーセントです。残り十三パーセントの改良が必要です」
「……未完成なのに特別賞」
「機能はしています。未完成ではありますが」
ベアトリスは少しだけ、笑った。
「そういう発想がシルヴァーヌ様らしいです。「未完成でも機能する」」
「機能していなければ提出しませんでした。未完成でも機能する状態であれば、提出する価値があると判断しました」
「……私は、完成したものしか出したくない性質なので」
「それは良い基準です。完成度の高さは、術式の信頼性に直結します。ランベール様の術式が評価されるのはその点です」
「あなたに言われると……素直に受け取れます」
リゼットは少し首を傾けた。
「なぜですか」
「あなたは、称えることと批判することを同じ感情でやっていないので」
「そうですか」
「批判でなく、称えるためでもなく、ただ事実を言っている。それが……信頼できます」
リゼットはその言葉を受け取った後、少しだけ間を置いた。
「……ありがとうございます」
それだけ言った。
ベアトリスが驚いた顔をした。
「シルヴァーヌ様が「ありがとう」と言いましたね」
「信頼できると言ってもらえたので、礼を言いました」
「……「礼を言いに来た相手にインタビューしてしまった」件については、どうですか」
「あれも、純粋に興味があったので聞きました。礼は別途、今日しておきます。先日の演習場での件で、ありがとうございました」
「……今さらですが、ありがとうと言われると不思議な感じがします」
「わかります。私も最初はそうでした」
ベアトリスが「……「最初は」?」という顔をしたが、その前にカルロスが走り込んできた。
「先生! ランベール先輩! 聞きましたか!? 今朝、二年生の人たちが「先生」って呼んでいいですか、って言ってたって!」
「聞きました。被験体に協力できる方に限ると答えました」
「……それで良いのか……?」
カルロスが複雑な顔でベアトリスを見た。ベアトリスが「慣れます」と短く答えた。
「そうなのか」
「ある程度は」
カルロスがベンチに座り、いつも通り昼食を取り出した。
ベアトリスは少し居心地よさそうな様子で、隣のベンチに腰を落ち着けた。
「シルヴァーヌ様、次の術式の完成はいつですか」
「年度内に収束率九十五パーセント以上を目指します。それで実用化の基準を満たせます」
「実用化……学院の結界に実際に使うということですか」
「それが最終目標です。院長との面談でその許可が取れれば」
「……院長に直接提案するんですか」
「院長から面談の申し込みが来たので、その場で提案します」
ベアトリスとカルロスが、同時に「え」という顔をした。
「院長から面談の申し込みが来た。それは、シルヴァーヌ様から院長への提案の機会でもある、と」
「そうです。効率的です」
「……それは確かに効率的ですが……」
ベアトリスは「この後輩の思考速度についていけるか不安になる瞬間が定期的に来る」と思いながら、静かに自分の昼食を取り出した。
中庭の樫の木の下のベンチは、今日から一人ではなく三人の昼休みの場所になった。
リゼットはそれに特に言及しなかったが、ベンチの位置を少しだけ詰めて、三人分の空間を確保した。
その行動が示すものを、彼女自身は意識していなかった。




