死者たちの国9
一晩の監視を終えて、休まずに俺たちは移動を開始する。
体の表面は冷えていて、しかし体の中は温かい。
妙な感覚だ。体は冷え切っているはずなのに寒さは感じず、体内に確かに熱がこもっているのに、風邪をひいているのとは明らかに異なる。
寒さを感じないと言えばそうなのだろうが、決して気温が上がっている訳ではないことは呼吸と同じタイミングで立ち昇る白い吐息が証明している。
「オールアルファ、聞こえるか」
そこでインカムに聞こえてきたのは、昨日別れて以来となるビショップさんの声だった。
全員が目を合わせて状況を伝え、代表して角田さんが応答する。
「こちらアルファ6。全員良好です」
「よし。こちらは市街地を逃走中。現在は追跡をまいて練馬区との境付近に潜伏している。そちらは森に到着したな」
「現在高架跡から森に降りてすぐの高台。これより埼京線の線路に沿って移動します」
「了解だ。先程入手した情報だが、森林地帯にJ1614Rが配置されている。ゲリラ戦のエキスパートだ。十分に警戒してくれ」
J1614R。その型番は噂程度に聞いたことがあった。
公社の開発・使用しているJ1614型は他の国や企業向けに販売された実績はなく、公社専用の他律生体と言えるが、その中でも一切の情報が存在しないのがこのR型だ。
通称レンジャー個体と呼称されるこのタイプは、特殊部隊仕様のコマンド個体すら目撃例がある――そして実際に交戦した――にもかかわらず、一切の露出のない個体、そして部隊である。
その任務は今の情報にもあったようにゲリラ戦や非正規戦闘、長距離偵察等に特化していると言われており、山岳や密林での行動を得意とする。
その個体性能はコマンド個体に匹敵するとされるが、拠点制圧や市街地戦闘、急襲作戦を得意とするそれらとは大きく性格が異なると言われる。
――しかし同時に、存在するかどうかさえ定かではなかった部隊だ。
一切の露出がなく、公社のプロパガンダの中だけの存在とさえ言われていた部隊。
それがこの森のどこかに潜んでいるらしい。
「……アルファ6了解」
答えた角田さんの声もどこか強張っている。
いや、声を出せば俺たち全員が同じようなものになっただろう。
情報が正しければ向こうはゲリラ戦のプロだ。今俺たちのいる森、これそのものが全て敵に思えてきてしまう。
「……各員の間隔を維持。ペースを一定にして相互監視を崩すな」
指示に従い、周囲に常に隙間なく警戒を張り巡らせながら移動する。
俺たち全員が導入訓練で山歩きはやっているし、ばら売りで山や森に入っていったことだってある。
だが、それでも専門家相手にゲリラ戦を展開した経験はない。
持てるものを総動員して、あとは無事に切り抜けるように祈りながら進むより他にない。
「……」
常に視界に誰かが入っている状況を作りながら進む。
ホラー映画ではないが、経験上一番危険なのは味方の誰からもどこにいるのかが分からなくなった時だ。これは野原の真ん中でも、市街地の片隅でも共通している事だが、どこに行ったのか分からなくなった者はいつの間にか死んでいるなんてことがざらにある。不思議なほどに、はぐれた者から狙われるのだった。
互いがそこにいることを確かめながら、俺たちは進み続ける。
周囲を常に警戒しながら、同時に一歩たりとも漫然と踏み出さない。
地雷やトラップへの警戒は無論だが、草を踏み荒らしたり枝を踏み折ったりするのも、こちらの位置を知らせてしまう危険がある。そうした動作が発する音は無論の事、通過した後に痕跡を残してしまえば、敵にこちらの位置を教えているようなものだ。
同じ理由で足を踏み出す地面そのものも警戒しなければならない。幸いこの辺は元々市街地だったこともあって少ないが、足跡が残ってしまうような状態の土は極力避けた方が良い。
当然、スピードは落ちる。何もランドマークのない、360度同じような景色の中で、藪漕ぎをしながら傷を残さず、周囲を警戒しながら進むというのは簡単にできる話ではない。
だからこそ、草に埋もれながらなんとか辛うじて見えた線路の残骸を発見した時には、思わずため息が漏れたものだった。
「これ……」
「ああ。ようやく見つけたな」
俺たちの知っている世界とはだいぶ変わってしまったそれ。
ジャングルの中に突然現れたようなその二本の線路に沿って進めば、少なくとも目的地には着く。
その線路に沿って、再び森の中を歩きだす俺たち。
「……止まれ」
次に足が止まったのは、そこから少し歩いての事だった。
角田さんが指示を出し、全員が足を止める。
理由は明らかだった。
「これって……」
その“理由”を見上げてクロが呟く。
廃墟の残骸もほぼ土に覆われ、完全な密林となっていたそこに、それはあった。
湧水だろうか、不意に草が疎らとなった場所に出来た茶色の水たまり。
木々や茂みもそれを取り囲むように生えていて、ちょうどオアシスのようにその周囲だけ土がむき出しになっていた。
そしてその水たまりの上、周囲の木々から伸びた太い枝からロープで吊るされた死体が一つ。
部隊章も国籍の表示もないそれはしかし、あえて着せたままにしてあるのだろうボロボロに損壊した装備の残骸から北共の兵士であると思われた。
「ひでえな……」
思わず口を突く正直な感想。
すっぱい液体が逆流してきて、思わず喉をひりつかせながらそれを飲み込んだ。
太いロープで両腕を繋がれたそれは、よく見るとただ縛り上げて吊るしている訳ではなかった。
ロープが、手の甲で合掌した両手を貫通している。
身体中に出来た傷――というか貫通創は、刃物のような鋭いものではなく、太い槍や杭のようなもので出来たものだろう。
間違いなくわざとだ。こうして前近代的な方法で殺しているのも、その死体を吊るしておくのも、恐怖を煽り犠牲者への同情を引くには効果的な方法だった。
――そしてその死体や周囲にラップが仕掛けられているのも、この残虐な仕打ちもそれに誘引するものであるのもまた、容易に予想できた。
「迂回するぞ」
角田さんがそう告げてこちらに振り返る。
可哀想だが、触らぬ神に祟りなしだ。
「了か――」
言いかけたところで異様な寒気を背後に感じた。
そして同時に、角田さんが隣にいたシロを突き飛ばし、そうした腕を押さえて蹲る。
「!!?」
見えたのはほんの一瞬。
彼の腕に矢が生えていた。
呼びかける。駆け寄る――それは出来なかった。
「あっ」
代わりに出たのはそれだけ。
恐怖でも怒りでも警告でもない、ただ驚いた時に出るだけの音。
それと同時に左足が力を失い、がくりと体が地面に吸い込まれていく。
膝の裏側を斬られた――それを脳が理解した瞬間には視界が後ろから現れた闇に包みこまれていた。
「ッ――」
口を塞がれる。
世界が真っ暗になる。
首に一瞬だけ触れた冷たい感触だけが、五感の中で唯一残っているものだった。
その直後に世界が戻ってきた。
真っ暗闇だった視界は晴れて、遥か遠くからのように銃声が聞こえた。
「全員無事!?」
その銃声の後のはずだが、同じぐらいに聞こえるシロの叫び声。
そこで初めて自分が仰向けに倒されている事、膝の裏が痛みを発している事、あとほんの僅かでもシロの反応が遅れていれば喉を切り裂かれていた事、そのシロは同じくあと少しで死んでいたクロを助けた後で、クロスボウで狙撃した相手のいる方向に更に銃撃を加えている事に気づいた。
「ぐっ……!」
何とか上体を起こし、ポンプを注入する。
「全員来た道を戻れ!」
角田さんが叫びながら腕の矢を引き抜いてポンプを打ち込む。
それを受けて治った左足で早速移動を開始。
その時には既に狙撃者も、恐らくギリースーツを着込んでいたのだろう、背後から組み伏せにかかった伏兵もいなくなっていた。
(つづく)
投稿大変遅くなりまして申し訳ございません
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