#2-1 二日目・学生服、女児下着 ①
チャイムが鳴る。
僕は教室の隅で、深呼吸した。
「……どうしよう」
呟いた。その声は小さく、ちょっとだけ声は高い。……きっと、誰にも気づかれてはいないんだろうけど。
すう、はぁ、と深呼吸して、学ランの襟を正した。自分の体を隠すように。
「あれ、降谷だっけ。男のほう。……あいつ、こんなに可愛かったっけ」
誰か、クラスメイトの言葉。ドキッとして、ひゅっと息を潜め、胸に手を当てた。
その胸は昨日——はじめて「女の子になった」日の前より、確実に柔らかくなっていて……そのうえを覆うパッドの独特な硬さが、少し窮屈にしまった胸をさらに苦しくする。
高鳴る心臓を呼吸で抑えつつ、小さく決意した。
バレないようにしなきゃ。女の子の下着を着てるってこと。
——いま、半分女の子だってこと。
僕をこうした犯人——妹のれんを睨むと、彼女は目を合わせて、小さくウインクした。
*
どうしてこうなったか、というと。
「いお兄! 今日はこれ着て!」
朝、寝間着姿の僕に、れんは開口一番に告げたのだ。数枚の布を持って。
「……これ、なに?」
眠気眼をこすりつつ彼女の持つ布を見て尋ねると、れんは「ふふふー」と笑いながらそれを広げた。
「これっ!」
「それって……まさか」
眠気が一気に冷めていくのを感じた。だって、それは——。
「そう! 私のもう使わない下着!」
——おそらく綿で作られたキャミソールとショーツだったからだ。しかも、あからさまに女児用の。
「へ、へんたい……」
「いお兄絶対似合うよー」
「れん。きみは僕をなんだと思ってるの?」
「めっちゃかわいい変態の兄さん」
「どうしようなにも言い返せない」
目頭を押さえる僕に、れんは笑いながらその二枚の布を押し付ける。
「ねー着てよー」
「……なんでさ」
睨みつける僕に、れんは「ふっふっふ」と笑いながら、メガネをくいっと押し上げた。
「いお兄には、学校でも女の子の身体で過ごしてもらいます」
「なんでさ!」
声を張り上げた僕に、れんはニヤッと笑い、告げる。
「だってこういうシチュ好きでしょ」
好きだけどさぁ!
「だからなんで女児下着なの……?」
「そのほうが誤魔化しやすいでしょ?」
「ごまかすってなにを」
「おっぱい。あとちんち」
「わかった。わかったからその口閉じて」
華の女子高生が言っていい言葉じゃない。
第一、ごまかすもなにも、普通に男物の服を着ていれば男の姿でいられる……はずなのだ。
昨日、はじめて女装して女の子の姿になったあと、服を脱いだら元の姿に戻った。若干身体が柔らかくなった気はするけど、寝間着のスウェット姿のいまは普通に冴えない不細工な男の体である。
「その、制服はどうするのさ。今日は学校なのに」
つぶやくと、れんは「え、普通に学ランを着てもらうけど?」とこともなげに告げる。えぇ……。
完全にドン引きした僕に、彼女は「いいから!」とその柔らかい布を押し付けて部屋を出ていった。
ため息をついて、僕はそれを凝視した。
パステルカラーの薄くて柔らかい布地にワンポイントの小さなロゴが目を引くキャミソール。細い肩紐の根本、胸に当たる部分は若干分厚くて、中には少し硬めのパッドが仕込まれている。
それにくるまれていた小さな布は、もう少し低年齢に向けたものらしい。くしゃっとしたシルエット。柔らかい布にくるまれたゴム。キャラクターこそ描かれていなかったものの、ピンクを基調にした柄付きのそれはあからさまに「女児ぱんつ」そのもので。
……たしか、一昨年くらいまで使ってなかったか、これ。さすがに胸が大きくなったから買い換えるとか聞いた気がするけど……。
妹が確かに使っていた下着。明らかに新品ではない少しシワのついたそれに、僕は唾を呑んで——。
*
(結局着ちゃったあたり、やっぱり僕も言い逃れのしようがない変態なんだよなぁ……)
改めて実感したその事実に、大きめのため息を吐いた。
男子トイレの洗面台で鏡を見てみても、一見普段とはそこまで変わらない。だけど、髪を触ってみると普段より少し長くて明らかにさらさらしている。心なしか女の子みたいな顔立ちになっているような気もする。
体つきもいつもより華奢に見えて、手は学ランの袖に半分隠れてしまっている。
(まるで、男子高校生のコスプレをしてるみたいだ)
可愛い女の子が無理して男の格好をしているような、そんな不格好さというか若干の違和感が見てとれた。
もし制服が女子と同じブレザーだったなら、きっともう僕は男の姿ではいられなかっただろう。きょうび珍しくなった古風な詰襟の制服に感謝だ。
なお、トイレを出ると通りがかりの生徒から二度見された。……やっぱり先行きは不安である。
朝のホームルームが終わり、軽く肩甲骨を回す。……いつもより少し肩が軽い気がする。女の子の身体って男のそれより柔らかいのかな。
周りのクラスメイトがグループをつくって話している中、僕は淡々と次の授業のために教科書とノート、筆箱を出す。
……この黒い筆箱、だいぶ古くなってきたな。たしか、小学生の頃からずっと使ってたやつ。四年生の——。
思い出したくないのでこれ以上深掘りするのはやめておくとして、使い慣れたそれを開き、シャーペンを取り出す。
「そーいえばれんれんってお兄さんと仲いいよねー」
「そう?」
「たまにあだ名で呼んでるじゃん? 『いお兄』ってさ」
「……詮索するのやめて。兄さんとは普通の関係だし」
「ごめーん。地雷だった?」
「べつにそうじゃないけど」
家と外では雰囲気が違う妹を一瞥して、僕は机に突っ伏した。
……僕も、あれくらい器用に振る舞えればなぁ。
嘆いても、僕が陰気な変態なのは変わりようのない事実だ。高校に入学して二ヶ月近く経とうとしてるのにほとんど誰とも雑談したことがないのも事実。仕方ない。
……。
なんだか虚しくなってきたので、教科書をパラパラ読むことにする。現国の教科書に載ってる小説、暇なときに読むと楽しくて——。
「教科書とか読んでて楽しいん? 降谷クン」
…………。
「無視すんなや」
「えっ、僕、です?」
顔を上げて自分のことを指さした僕に、その男は上から目線で——僕は座っていて彼は立っているので、文字通り見下ろしながら「そうや。男の降谷はあんたしかいないやろがい」と嘆息する。
「……えと」
「北村や」
「えっとぉ……なに、北村くん」
「女々しいやっちゃな……。クラスメイトとの雑談ぐらいで、んな身構えんといてや」
後頭部を掻く彼に、僕は。
「…………」
「固まりよった。おーい、生きてますかー?」
大阪か京都かはわからないけど近畿の方言で話す彼の大きめの手が目の前にかざされて「へあっ、あの、えと」と戸惑う僕。
「んまあ、無理せーへんでもかまへんけど。あ、そろそろ時間や」
言うが早いか、チャイムが鳴り出した。
「ワイは君とも仲良ぉしたいねん。これからよろしくなー」
ひょうきんな笑顔で軽く手を振った彼に、僕は半ぐち開けて小さく手を振り返す他なかった。
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