#1 一日目・しまむらのワンピース
呼吸する。息を荒げて、「わたし」を見る。
鏡に映った自分の姿を。——「僕」ではなくなっていた「わたし」の姿を。
「……これが、わたし……?」
我ながら、ありふれた言葉。けど、この状況には相応しいのかもしれない。
前々から興味があった女装に手を出した。
しまむらで買った、女性服。それを着た。
比較的若者向け。魔法少女を名乗るインフルエンサーとのコラボらしい、カジュアルだけれども思いっきりガーリーに振り切ったような服。フリルやリボンの装飾が施されたサックスと白のワンピース。
下着もだ。ティーンズ向けでワンピースとお揃いのサックス色をしたブラとショーツ。どっちもガーリーで可愛らしくデザインされている。
さっさと買って、急いで帰って、走って部屋に飛び込んで、それから一呼吸おいて——学ランを脱ぎ、買ったものを広げ、身につけた。
変態だ。自分でも思っている。似合わない。わかっている。気持ち悪い。僕が一番思っている。
ただただ身につけたかった。「可愛いものを身につけたい」という欲望、いや欲求に突き動かされていた。
思えば子供の頃からだったのかもしれない。
僕は女の子の服装に憧れていた。ニュースで見かける魔法少女やアイドルのような、可愛らしい服に。
フリル、リボン、ハート、スカート。パステルカラーに彩られた少女性に、あこがれを抱いていた。
自分が男の服を着ていることに、どこか違和感のようなものを抱いていたのだ。
高校。初バイト。はじめて得た「自由な金」を親孝行にも使わずこんな変態行為に使ったのは、もはやきっと宿命のようなものだったのだろう。
長々と脳内で言い訳しながら、僕は四苦八苦して下着をつけ、ワンピースを身に纏った。
そして、まだ家に誰も帰ってきていないことを確認して、妹の部屋の姿見を見た。
こうして至ったのが、現在である。
鏡から、可憐な少女が僕を見つめ返していた。
茶髪のロングヘア。さらさらで前髪ぱっつんの彼女のくりくりした目は僕を見つめて固まっている。
彼女はフリフリでサックス色のワンピースを着ていた。恐る恐るというような感じでスカートの裾をめくり上げると、つるつるの素足の根本にはワンピースと同じ色をしたショーツが見えて。
そのショーツに膨らみのようなものは見受けられず。
「……ほんとに、これが……わたし……」
茫然自失として出した声は、おおよそ物心ついてからの十五年で覚えてきた自分の声とはまるきり違っていた。
固い黒髪も、剃っても薄く残る髭も、ゴツゴツした手足も、醜く男らしくなってしまった顔面も、筋ばった首も、男性器さえも……「降谷 伊織」を構成する身体要素は、消えてしまっていて。
不思議で。——まるで、魔法のようで。
「……だれ?」
後ろから聞こえた声に、僕は思わず「ひっ」と怯えた声を出した。
自分の世界に入りすぎて、周りのことに気付けなかった。
ばっと後ろを向くと、そこには。
「もしかして……いお兄?」
「……れん」
妹がいた。双子の妹、蓮がいた。
いまの僕と瓜二つの姿をした、ブレザーの制服を着た少女。細めのメガネの先に見える目は、若干ツリ目。そんな彼女はスマホを構えていて。
「なにやってるの?」
「へ、あの……」
「てかこれウィッグ? よくできてるじゃん」
「ち、ちがっ」
「つーかすごい可愛いんだけど」
「かっ、かわっ……やめてっ!」
さっと顔を隠すような素振り。それと同時に、ぱしゃっと音がした。
「……撮ったの?」
小さく尋ねると、彼女は歯を出してしたり顔で告げた。
「どうせ撮るつもりだったんでしょ? 可愛いもの好きの変態お兄ちゃん」
「消してっ!」
「すっごく可愛く撮れてるよ? 後で送ったげようか?」
「いらな……っ」
そこで少し迷ってしまうあたり、僕は生粋の変態なのだろう。……自撮りなら、まだ夜のお供にする罪悪感も薄れただろう。
もう半ばヤケになって。
「渡して、れんっ!」
彼女に飛びかかるが。
「だーめ」
さっとスマホを上に挙げられて。
よろけた僕は、そのまま床に倒れ——なかった。
「……いお兄、少し痩せた? ……にしてはぷにぷにして……」
受け止められていた。妹に。
「……重くない?」
「いや全然。……おっかしいな……もしかして」
何かを思いついたかのように、彼女は僕の体をもぞもぞとまさぐる。
「ひゃっ……んぅ、やめてっ!」
「喘がないでよ。……てかやっぱ、いお兄……」
まさぐる手が胸までたどり着いて。
「…………えいっ」
「ひゃぁあんっ!?」
揉まれた。ひときわ大きな喘ぎ声が漏れた。
ビリッと体を貫くような快楽に、思わず体を曲げ。
「やっぱりいお兄……女の子になっちゃってる……」
唖然とするような声を背景に、僕はビクンビクンと痙攣して、床に倒れ込んだ。
「んぅ……あ……」
「ふふ。いお兄、すっごくかわいい。いつもこうだったらいいのに」
「……それ、は」
いいかも、なんて少し思ってしまった。
チカチカする視界。快楽でぼんやりする頭。呼吸を整えながら僕は、ゆっくり彼女に視線を向けた。
——彼女は、ニヤニヤと笑いながらスマホの表層を指でなぞり。
「……コスプレ、やってみない?」
そう、提案した。
「こすぷれ……?」
緩慢に尋ねると、れんは「そ。……今度、撮影会あるんだ。やってみない?」なんて唇を尖らせる。
「なんで……」
「なんでも」
「……理由になってな」
「じゃないとこの写真、クラスのグルチャにばらまいちゃうよ? 陰キャの降谷くんの秘蔵女装コスプレ写真って」
「やめてっ!」
れんと僕は同じ高校で同じクラスである。僕はグループチャットには入れられてないのでわからないが……クラスメイトに注目されるのは嫌だ。
「じゃあ、決まりね」
したり顔の妹に、僕は軽く眉間にシワを寄せた。実質的に一択じゃないか。
「……わかりました」
唇を尖らせる僕に、れんはフフンと「よろしい」なんて息を荒くする。しかし、ふと気になって尋ねる。
「けど、なんでそんな、コスプレの撮影会なんて知ってるの?」
その言葉に、彼女は一瞬固まって。
「教えないとダメ?」
「僕も恥ずかしいとこ見られたんだし……」
そのくらいの情報共有はあってしかるべきだ。言外ににじませた仕返しの意図を汲んだのか、彼女は少し押し黙って、それから。
「……笑わないでよ」
「笑わないよ」
「ほんと?」
「僕のが恥ずかしいし」
「それもそっか……」
否定はしないんだ。
そんなやりとりをした後に、ゆっくりとクローゼットの方に向かい——ガバっと観音開きの扉を開けた。
そこには、色とりどりの衣装があった。
ハンガーに掛けられているそれらは横向きで少ししか見えないのに、それでもフリルやレースで鮮やかに彩られているのがわかる。
「……私、コスプレやってるんだ」
あたかもそれが悪いことのように、罰が悪そうに、恥ずかしそうに、彼女は告白した。
「一人の時だけ。誰にも見せないし、見せたこともない。自撮りはしてるけど、見せる気もない。リアルの人には、ぜったいに」
その告白に、さっきまでの元気は見受けられない。
「だってさ。……ヘン、でしょ。私みたいなモブが、こんなこと……似合いもしないのに。ガラじゃないのにさ」
どこか憂鬱そうに告げる彼女に、僕は目をそらし——再び、姿見に映った自分の姿を見た。
……「わたし」はかわいい。それはつまり、瓜二つのれんだって——。
否定しようと思えばできたと思う。けれど。
「……教えてくれて、ありがと」
秘密を共有してくれた。僕はなし崩しだったけど、目の前の彼女は自発的に。
その勇気に対して、ただそれしか言えず。
けれど、微笑んだ僕にれんは少し目を丸くして、それからかすかに笑って。
「ありがと」
と、一言告げた。
「母さんとか、他の人にはナイショね」
「もちろん。……パパやママに知られたら、なに言われるかわかんないし」
言って、彼女は軽く伸びをしてからクローゼットを閉め。
「それじゃ、よろしくね。いおりん」
「うん」
握手をした。
「……ところでいおりんってなに?」
「この姿じゃもう『お兄ちゃん』じゃないでしょ?」
赤面もした。
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