第74話 真夜中をつっぱしれ1
「シャロン、今日は我が家に泊まっていきませんか? 出発は明日の朝にされたほうが賢明かと思います。」
シャロンは申し訳なさそうに、けれど嬉しそうに微笑みながら言った。
「……そうさせてもらえると有り難いけど。急に押しかけて迷惑じゃないかしら……。」
カレンは温かい笑顔を返した。
「全然、大丈夫ですよ。今日はゆっくりしていってください。」
「ゼンは、どうしますか?」
「俺は帰る。リヤカーの小麦粉を片付けたい。」
ゼンはカレンから醤油の入った小瓶を丁寧に受け取ると、「ありがとう」と一言を残して家路についた。
その日の夜。
夕食を和やかに終えた二人は、暫くの間他愛のない雑談を交わしてから床についた。
王都での暮らしのこと。それぞれの家族のこと。ゼンのこと。
シャロンにとって、誰かの家に泊まり、こんなにも穏やかな夜を過ごすのは久しぶりのことであった。
楽しかった会話の余韻が胸の奥で揺れ、まぶたが自然と重くなっていく。
『また明日ね』と互いに交わした短い挨拶を最後に、部屋は深い静寂に包まれていった。
ザッ、ザッ、ザッ、ザッ……。
湿った黒土を踏みつける無数の足音。
「……カレン。」
シャロンは跳び起き、枕元に置いていた剣を手に取った。
「……わかっています。」
カレンとシャロンは身を潜めながら、窓から外の様子を覗き込んだ。
青白い月明かりの下、カレンの家を幾重にも取り囲む人影。
全員が微動だにせず立ち尽くしている。
その中央には、神々しくも禍々しい白い翼を背に広げた異形の人影が三つ、静かに宙に浮かんでいた。
そして——紫の装束を身にまとった、見覚えのある男。
「……嘘でしょ。」
シャロンは、その男の顔を知っていた。
「イバイ……!?」
「間違いありませんね。あれは……『東の魔王』イバイ・サラザールです。」
「だからあの時、斬っておくべきだったのよ……。これは、全部ゼンの意味のわからないお人好しのせいだわ。」
シャロンは剣の柄を握りしめ、そのまま外へと飛び出そうとする。
「……少し、落ち着きましょう。私たちは包囲されています。このまま向かっていくのは自殺行為です。」
カレンは血気走るシャロンの腕を掴み、なんとか宥めた。
「じゃあ、どうするっていうのよ。ここでじっとしていてもジリ貧で同じことじゃない!」
「……一旦、ここを脱出してゼンと合流します。」
シャロンは苦虫を噛み潰したような表情になる。
「……わかったわ。あなたの指示に従う。」
「裏口から抜けます。今なら、裏の倉庫に車があるはずです。私がドアを開けたら全力で走ってください。」
「任せて。」
カレンが裏口のドアを開くと、二人は勢いよく屋外へ飛び出した。
包囲網の僅かな隙を突き、二人は倉庫を目指して必死に夜の闇を走る。
ザッ、ザッ、ザッ、ザッ!
暗闇の中から無数の影が、二人を追って迫ってくる。
二人はなんとか滑り込むように倉庫へとたどり着いた。
そこに停車してあったのは——高機動車であった。
シャロンを助手席に座らせ、カレンは颯爽と運転席へと乗り込む。
カレンはキーを差し込み一気に回した。
ドッ、ドッ、ドッ、ドッ……!
ディーゼルエンジンの重低音が、静まり返った夜に響きわたる。
「行きます! ちょっと揺れますよ!」
倉庫の扉は、車が通り抜けるには明らかに狭すぎる。
だが、カレンは迷うことなくアクセルペダルを目一杯踏み込んだ。
ディーゼルエンジンが唸りを上げ、高機動車の巨体が一気に加速する。
「えっ!? ちょっと待って! カレンッ!?」
バギィィッ!!
強い衝撃とともに木製の扉が弾け飛び、車体の両脇が壁を削り取る。
砕けた木片と粉じんを盛大に撒き散らしながら、車は強引に倉庫を突き破った。
「ちょっ!? カレンッ! 無茶苦茶よッ!?」
「大丈夫です!」
そのまま迫りくる包囲網を強引に突破し、ゼンの家へと続く夜の街道を疾走する。




