第72話 グライダー
夏の日差しが照りつける街道を歩くこと、およそ一刻。
やがて、見渡す限りの田園地帯が視界いっぱいに広がった。
青々とした稲が風に揺れる田んぼ。その向こうには、透明な膜に覆われた見慣れない建物が整然と並んでいる。
カレンの農園だった。
「……変わったところね。」
ゼンは慣れた様子で農園へ入っていき、カレンを探し始める。
「ちょ、ちょっと待ってよ、ゼン!」
田んぼの脇には細い水路が走り、澄んだ水が絶え間なく流れている。
その奥、ビニールハウスの中に、人影が見えた。
「カレン!」
シャロンが声を上げる。
ハウスの中で作業をしていた小柄な女性が顔を上げた。
「あっ、シャロン!ゼンも一緒でしたか!」
カレンは作業用の手袋を外しながら、ハウスの入口へ小走りでやって来た。
「シャロン、お元気そうで何よりです。」
「また、会えて嬉しいわ!」
挨拶を交わした後、シャロンは深々と頭を下げる。
「それと……この間はありがとう。また、あなたに助けられた……。危険な目にあわしてばかりでごめんなさい。」
「いえいえ。あれは、騎士団の方たちとフローレンスさんの成果ですよ。」
カレンは安心したように柔らかく微笑んだ。
「ゼンは、もう大丈夫そうですね。」
シャロンは、ゼンを指で指しながら言った。
「一ヶ月も眠ってたくせに、病院から勝手に抜け出して、今日は粉まみれになって水車小屋から帰って来たわ。」
「……ゼンらしいですね。」
ゼンは会話の内容を気にもせず、話をはじめる。
「醤油がなくなった。ちょっと持って帰っていいか?」
「いいですよ。後で用意しますね。」
「悪いな。小麦粉はまだ有ったか?」
シャロンが割って入った。
「ちょっと、いいかしら。大事な話なの。」
その声色の変化に、カレンも静かにシャロンを見つめる。
「何かありましたか?」
「……『管理者』って、何?」
カレンの表情から、笑みが消えた。
しばし沈黙が流れる。
風が水田を吹き抜け、青々とした稲が波のように揺れた。
カレンは小さな溜め息をつく。
「……言ってしまいましたか……。」
「まずかったか?俺は、よく聞いてなかったからカレンに聞けって言ったんだが。」
「なるほど……。まずいというより、こうなる事を予想していたので黙ってたんですが……。」
言葉を継ぐ。
「少し長くなります。中で話しましょうか。」
シャロンとカレンは家の中に入り、ゼンはハウスの中で野菜を見ていた。
二人は椅子に腰を下ろした。
カレンは少し考えてから、静かに口を開く。
「南の魔王が言うには、この世界には魔王と勇者によって一定の均衡が保たれる仕組みが存在するそうです。」
「均衡……。」
「はい。そして、その仕組みを維持している存在が——『管理者』です。」
シャロンは黙って話を聞く。
「魔王が倒されれば、その座は空席になります。しかし、空席になったままでは世界の均衡が崩れてしまう。」
「だから……新しい魔王が現れる……?」
「そのように言っていましたね。」
カレンは静かに頷いた。
「実際、北の魔王が倒された後、新たな北の魔王が現れました。」
シャロンは思わず拳を握った。
「じゃあ……私たちがいくら魔王を倒したって……。」
「根本的な解決にはならない可能性があります。」
「そんな……。」
シャロンは俯いた。
勇者として魔王を倒す。
それこそが人々を救う唯一の方法だと、ずっと信じてきた。
だが、魔王を倒せば次の魔王が現れる。
勇者が死ねば、光の力は次の勇者に受け継がれる。
永遠に終わらない。
「……そんなのおかしいわ。」
シャロンが小さく呟いた。
「魔王が現れて、人が殺されて……それを倒すために勇者がいて……。」
膝の上で握った拳に力が入る。
「どちらかが死んだら、また次を戦わせるなんて……。」
カレンは何も言わず、シャロンを見つめていた。
「そんなの……ずっと殺し合えって言ってるようなものじゃない。」
「……そうですね。シャロンにとっては苦しい現実ですが……。」
カレンは静かに同意した。
シャロンは顔を上げた。
「だったら……その管理者に会うしかない。」
迷いのない言葉を言い放ち、僅かに目を見開いた。
「会って、直接聞いてみる。」
「どうしてこんなことを続けるのか。」
「本当に必要なのか。」
「もし、終わらせる方法があるなら——私は、この戦いを終わらせたい。」
それは勇者として誰かに命じられた使命ではなかった。
王からの命令でもなければ、人々から求められた役割でもない。
シャロン自身が初めて選んだ、自分の意志だった。
カレンはしばらく彼女を見つめた後、穏やかに微笑んだ。
「分かりました。」
シャロンの表情が明るくなる。
「じゃあ、カレンも——」
「私は行きませんよ。」
「えっ!?」
あまりにもあっさりとした返答に、シャロンは目を丸くした。
「な、なんでよ!?」
「私は勇者ではありませんから。」
「そうだけど……。」
「それに、今のところ私が管理者に会いに行く理由もありませんから。」
カレンは窓から見える、広がる水田へ視線を向けた。
日差しを受けた稲が、青々と輝いている。
「私には、この田んぼと農園があります。」
「今は、ここの作物をきちんと育てることの方が大切です。」
「…………。」
シャロンは何も言えなくなった。
どこかで聞いたような話だった。
「……ゼンと同じこと言ってる……。」
「そうですか?」
「そうよ! 『俺には関係ない』『戦うのは嫌いだ』『そっちで解決してくれ』って!」
「ふふっ。」
「笑わないでよ!」
カレンは口元に手を添えて、小さく笑った。
しかし、すぐに穏やかな表情へ戻る。
「……シャロン。」
「……何?」
「あなた一人ではどうにもならない時は、私を頼ってください。」
シャロンはカレンを見つめた。
「大切な友達が困っているのなら話は別です。」
カレンはいつもの柔らかな笑みを浮かべた。
「その時は、出来る限りのことをします。」
「……ありがとう。」
シャロンも小さく微笑んだ。
そして、青い空を見上げる。
「よし……決めたわ。」
「この戦いを終わらせる方法を聞き出してやる。」
カレンは静かに頷いた。
「ええ。」
「ですが、一つ大きな問題がありますね。」
「何?」
カレンは少し困ったように首を傾げた。
「私も、その管理者がどこにいるのか知りません。」
「…………。」
シャロンは固まった。
「……え?」
「南の魔王から存在を聞いただけですから。」
「ちょっと待って。」
「はい。」
「じゃあ……どうやって探せばいいのよ?」
「それを、これから考えないといけませんね。」
「そんなぁ……。」
勢いよく立ち上がったばかりのシャロンは、がっくりと肩を落とした。
カレンはそんな彼女を見て、楽しそうに微笑む。
青い夏の空が広がっていた。




