第71話 トウモロコシ
――ゼンが病院から脱走してから一週間。
シャロンは、ゼンの居所に向かっていた。
ゼンの家が視界に入ると、辺りを見渡しその姿を探す。
穏やかな陽光が降り注ぐ中、踏み荒らされた小麦畑では牛が犂を引き、牛方がその横で手綱を操っていた。
ゼンの姿はない。
シャロンは牛方の男に尋ねた。
「すみません。ゼンはどこに行きましたか?」
「水車小屋に行ってるよ。もうじき帰って来ると思うよ。」
その言葉を聞いて、家の前で少し待つ事にした。
しばらくすると、粉をかぶって真っ白になった男が、リヤカーを引きながら歩いてきた。
シャロンは帰って来た男に小走りで駆け寄り、声をかけた。
「……ちょっとゼンッ!病院にいなきゃダメって言ったじゃない!」
「そうは言っても、家に帰りたかったからしょうがない。」
シャロンは、粉まみれになったゼンの姿を見つめた。
一ヶ月もの間、ただ眠り続けていた男が、いつものように歩いている。
それだけのことが、なぜだか無性に嬉しかった。
けれど、そんな気持ちを素直に口にするのも癪だった。
「なんでそんなに勝手なことするの。私がどれだけ心配してたかわかってるの!?」
彼は服に付いた小麦粉を払いながら答えた。
「そうか。悪かった。」
ゼンは一旦家に入ると、何か後ろ手に隠して戻って来た。
「シャロン、これが何か知っているか?」
そして、後ろ手に持っていたものを目の前に差し出す。トウモロコシだった。
「さすがに、これは知っているわよ。トウモロコシでしょ。なんでもそっちの世界にしか無いと思わないでよ。」
「そうだ。ただのトウモロコシだな。これを焼いて食べる。」
「普通の食べ方じゃないの。焼くか茹でるかでしょ。」
「そうだな。少し中で待ってろ。」
シャロンは家の中に入りいつもの椅子に腰を下ろす。
ゼンは窯に火を入れ、トウモロコシに何やら調味料を塗って焼き始めた。
しばらくすると、香ばしい匂いとともに戻って来た。
「待たせたな。今、出来た。」
ゼンは、こんがりと焼けたトウモロコシを差し出した。
その表面には、黒く艶やかな液体が塗られている。
シャロンは差し出されたトウモロコシをまじまじと見つめた。表面には、見たこともない黒い液体が艶やかに絡みついている。
「なによこれ……。知らない匂い。でも、すごく美味しそう……。」
彼女は、目を輝かせながら受け取った。
「いただきますっ!」
恐る恐る一口かじった。
香ばしく焼けた醤油の塩気と、トウモロコシの甘みが口いっぱいに広がる。
「……美味しい……。」
シャロンはトウモロコシをかじりながら、向かいに座るゼンをちらりと見た。
ゼンが元気になり、こうしてまた一緒に食事ができる。そのことを嬉しく思っている自分に気づき、シャロンは慌てて視線を落とした。
ゼンは淡々と言った。
「これは、醤油だ。小麦と大豆、それに塩なんかを使って作る調味料だ。」
「大豆や小麦には無限の可能性がある。」
シャロンは呆れながらも感心していた。
「ゼンって、パンだけじゃないのね。」
「故郷の味だな。カレンと色々試して、なんとか近いものを作った。」
「とっても、美味しかったわ!これは、色んな物に合いそうね!」
深く頷いてから、言葉を返した。
「最近、自分たちだけで食べて終わるのはもったいないような気がしてきた。」
「そうねぇ。この醤油もそうだし、ゼンのパンは王都で出しても一、二を争うくらいのレベルだと思うわ。」
「それはそうなんだが、俺が王都に行ってしまうと、小麦の作り手がいない。」
「ここからだとちょっと距離もあるし、なかなか難しいわね……。」
ゼンはふと思い出したように言った。
「そういや、今日の用件は。」
「あっ!そうだった!カレンにお話を聞きたくって来たの。ここから西で良いのよね!?」
「俺も一緒に行く。今ので醤油がなくなった。」
二人は、西に向かう街道を並んで歩き出した。




