第66話 新・北の魔王1
燃え盛る空堀を越えた先で、魔物たちは鉄条網と丸太柵に阻まれていた。
火から逃れた獣型の魔物が、鉄の棘に身体を絡め取られながら暴れ回る。その背後では、押し寄せたゴブリンたちが仲間の身体を踏み越えようとして、黒い網の前へ折り重なっていた。
「弓兵隊、撃てッ!」
フローレンスの号令とともに、城壁の上から矢が放たれた。
矢は鉄条網に捕らわれ、身動きの取れなくなった魔物たちを正確に射抜いていく。
喉を貫かれたゴブリンが声もなく崩れ落ちる。獣型の魔物も、矢を何本も受けながら砂地を掻きむしり、やがて動かなくなった。
「投石班、放てっ!」
土嚢壁の内側に待機していた兵士たちは革紐の中央に石を包み、頭上で大きく振り回した。
唸りを上げて放たれた石は、丸太柵の向こう側へ飛んでいく。
鈍い音とともに、柵に取り付いた魔物の頭部が打ち砕かれた。
大斧を持ったオークが、仲間の背を踏み台にして丸太柵へ迫る。城壁から放たれた石は、その額へ直撃した。
巨体が大きく仰け反る。
それでもオークは倒れなかった。
血を流しながら丸太柵へしがみつき、太い腕で杭を押し広げようとする。
「長槍隊、前へ!」
内側で待機していた兵士たちが、槍を構えて駆け寄った。
「突けッ!!」
隙間から突き出された長槍が、オークの胸を貫く。
「グオオオオオッ!」
一本。
二本。
さらに三本目の槍が腹へ突き刺さり、オークは大斧を取り落とした。
巨体は丸太柵へもたれかかるように崩れ落ち、やがて動かなくなった。
別の場所では、網をくぐり抜けたゴブリンが柵の隙間から飛び込んできた。
だが、待ち構えていた長槍隊がその身体を串刺しにする。
鉄条網に絡まり、丸太柵に阻まれ、弓と石と槍によって一体ずつ倒されていく。
要塞内部まで突破できた魔物は、一体として現れなかった。
やがて、炎の向こうで異変が起きる。
後方の魔物たちが、前へ進むことをやめたのだ。
燃え盛る空堀。
鉄の網。
そして、柵を越えようとすれば容赦なく降り注ぐ矢と石。
野良化していた魔物たちに、それを突破する術はなかった。
最初にゴブリンの群れが背を向けた。
次いで獣型の魔物が走り出し、オークたちもまた、炎から逃げるように北方へ引き返していく。
「退いていくぞ!」
「魔物どもが逃げていく!」
城壁の上に歓声が湧き上がった。
「勝った……!」
「俺たちが、大軍を追い返したんだ!」
だが、その歓声をかき消すように、空から低い羽音が響いた。
影が落ちる。
朝の陽光が遮られ、要塞の周囲が一瞬だけ暗くなった。
守備兵たちは、凍りついたように空を見上げる。
北方の空から現れたのは、黒い鱗に覆われた巨大な竜だった。
その翼は、まるで空そのものを覆うかのように大きい。
竜は燃え盛る空堀の上空で、巨大な翼をゆるやかにはためかせながら、その場に留まった。
その金色の瞳が、要塞を見据える。
「……竜だ。」
「嘘だろ……あんなの聞いてないぞ……。」
さっきまで歓声を上げていた兵士たちの顔から、再び血の気が引いていく。
低い声が大空に響く。
「我は北の魔王。」
「魔王でありながら、人間に与するか。西の魔王。」
カレンは竜を睨み、短いマントを風になびかせながら答える。
「結果はそうですね。何か問題がありますか?」
竜の口元が、嘲るように歪む。
「その、強大な力を手にしながら何をしている?」
カレンは眉一つ動かさない。
「見てわかりませんか? あなたたちのせいで、田んぼも畑も放ったらかしにして戦っているんです。」
フローレンスは敢然と啖呵を切るカレンに驚愕していた。
「カレン殿、そのように煽るのはあまりよろしくないかと……。」
しかし、カレンは構わず言葉を続ける。
「欠員補充で最近魔王になったくせに、『北の魔王』? 嬉しそうに名乗らないで下さい。」
「空いた席を埋めただけの存在が、烏合の衆を率いてる……あなたにこそ、『何をしている』と問いたいですね。」
「それと、あなたたちはここに来る時、私の友人の畑をむちゃくちゃに踏み荒らしましたね。」
「私、怒ってます。」
城壁の上から、誰かが息を呑む音がした。
カレンは燃え盛る空堀の上に浮かぶ新たな魔王を、真っ直ぐに見据えていた。




