第64話 決起
――五日後。
かつての古びた要塞は、五日間の作業を経て、見違えるほど堅固な姿へ変わっていた。
要塞の正面には深く掘られた空堀が走り、その内側には先を尖らせた丸太の柵が幾重にも組み上げられている。
さらにその手前には、異彩を放つ黒い鉄条網が隙間なく張り巡らされていた。
土嚢を重ねて作った防壁の上には投石用の石が山のように積み上げられ、その傍らには投石紐が用意されている。
空堀の底には大量の枯れ草と松脂を塗りたくった薪が敷き詰められ、いつなんときでも火を放てる準備が万全に整えられていた。
この五日間。
守備兵、騎士団、そして術戦士隊。
誰一人として弱音を吐くことなく、全員が一丸となって働き続けたその苦労の結晶が、そこには確かに存在していた。
——その時であった。
北方領域へと派遣されていた斥候の騎兵が、血相を変えて土煙とともに戻って来た。
「報告ッ! 北方の魔物どもが、こちらへ向かって一直線に進軍してきておりますッ!」
フローレンスが即座に問う。
「数は、どれくらいだ!?」
「……数え切れません! かなりの軍勢であります!」
「……それと……進軍経路にあった農地や集落が……。」
その歯切れの悪い報告だけで、カレンはすべてを察した。
「……ゼンの畑は?」
斥候兵は喉を詰まらせ、言葉を濁しながら答える。
「……魔物の軍勢が、そのまま敷地内を通過いたしました……。」
カレンはしばらく無言で静かに俯いた後、重々しく言った。
「……そうですか。」
「いつ頃、魔物はここに接敵しますか?」
「……明日には、この砦の前へと到達いたします。」
「……わかりました。ご苦労様でした。」
カレンはすぐさまフローレンスへと明確な指示を出した。
「作業はこれにて終了とします。歩哨を除き、明日まで全人員に休息を取らせてください。」
——そして、翌日。
「北方に敵影ッ!!」
見張り台からの大きな叫び声が、要塞中に走る緊迫感を一気に跳ね上げた。
兵士たちは一斉に城壁の上へ駆け上がり、北方へ続く暗雲垂れ込める街道へ視線を注いだ。
遠く地平線の彼方。
漆黒の太い帯のような塊が、地鳴りを立てながらゆっくりとこちらへ接近してくる。
やがてそれは、地表を埋め尽くす無数の怪異な魔物の群れであることが、誰の目にも明らかとなった。
大地を微震させる進軍の足音。
天空を覆い尽くす不吉な土煙。
風に乗って届く無数の醜悪な咆哮。
そのあまりにも圧倒的で絶望的な光景を前に、守備兵たちの顔面から見る見るうちに血の気が引いていく。
「なんだ……あの途方もない数は……っ。」
「勝てるのか……本当に……っ。」
「たったこれだけの要塞で……本当に止められるというのか……っ。」
恐怖と絶望は伝染病のように人から人へと瞬く間に伝播し、要塞内の空気を鉛のように重く沈殿させていった。
しかし、軍勢を見つめるカレンの瞳だけは、どこまでも深く静かであった。
彼女の脳裏には、あの東の酷暑の砂漠で遭遇した、地平線そのものを黒く覆い尽くした東の魔王の大軍勢が鮮明に浮かんでいた。
「……東の魔王の軍勢に比べれば、恐怖を感じるほどの数ではありません。」
冷静に敵の動きと統率の程度を見極めたカレンは、力強い一歩を前へ踏み出す。
「皆さん。」
透き通った澄んだ声が、要塞の隅々にまで朗々と響き渡った。
動揺していた兵士たちの視線が、一斉に小柄な彼女へ集中する。
「慌てる必要は一切ありません。」
「敵の強みは、見かけの数だけです。」
一瞬の静寂。
そして、カレンは力強い決意を込めて言い放った。
「所詮は野良化していた個体の集まり……ただの烏合の衆に過ぎません。」
「統率も、連携も、訓練の蓄積も、我々の敵ではありません。」
彼女は完成した防衛陣地へ誇らしげに視線を向けた。
「この五日間、皆さんが血と汗を流して築き上げた防衛陣地があります。」
「空堀。」
「丸太柵。」
「鉄条網。」
「土嚢壁。」
「この要塞は、もはや昔の崩れかけた要塞ではありません。」
カレンは城壁に並ぶ兵士たち一人ひとりの顔を、温かく見渡した。
「勝つのは……我々です。」
「それは必定です。」
その断言には、一切の揺らぎも迷いも存在しなかった。
彼女の圧倒的な自信に触れ、兵士たちの消えかけていた瞳へと、再び熱い光が宿り始めていく。
「お……おおおっ!!」
「そうだ……やってやるぞッ!」
「王都と家族は……俺たちが絶対に守り抜くッ!」
死を覚悟した古い要塞に、士気みなぎる魂の雄叫びが轟き渡った。




