第62話 古い要塞2
フローレンスとカレンはゼンの家を後にした。
爽やかな風が黒土の小麦畑を静かに渡っていく。
二人が目指す目的地は、王都と北方領域とを結ぶ街道における要衝——古い要塞であった。
一頭の馬に乗り、街道を辿っていく。
やがて周囲から農地が消え、道の両側を険しい斜面が挟み始めた。
その狭隘な街道を塞ぐように、古びた石造りの要塞が姿を現した。
長い年月の風雨に晒されてきた要塞には、今は少数の守備兵たちが交代で駐屯している。
要塞へ到着すると、フローレンスは王都へ続く街道へと馬首を向けた。
「私は一度、王都へ戻り避難の段取りと騎士団を編成して参ります。そして、兵を率いてこの要塞へ戻りましょう。」
「はい。よろしくお願いします。」
二人は短く言葉を交わすと、フローレンスは馬に鞭をあて、土煙を上げながら王都の方向へと駆け去っていった。
残されたカレンは、守備兵に案内されながら、古い要塞の内部を静かに歩き始める。
要塞の石壁は各所が崩れ落ちており、長年まともに整備されてこなかった歴史を物語っていた。
見張り台は半ば朽ちて崩れ落ち、巨大な木製の城門もところどころが傷んで穴が開いている。
案内の守備兵が、申し訳なさそうに頭を下げた。
「……申し訳ございません。現在、この要塞を常駐で守っている者はごく僅かです。長年使われておりませんでしたので……。」
カレンは無言で頷き、石壁の正確な厚み、城門の横幅、そして周囲を取り囲む急峻な地形の特性を一つひとつ入念に確認していく。
やがて要塞の正面側へ回り込む。
街道は幅が狭く、その左右には登ることすら困難な急勾配の斜面が続いている。
「……やはり、地形自体は悪くありませんね。」
カレンは静かにそう呟いた。
「この地形なら、敵の進軍路をここへ一本化できます。」
だが、周囲を見渡すカレンの表情は、次第に険しくなっていった。
「しかし……あまりにも防御施設が足りなさすぎます。」
敵を阻むための空堀は浅い。
遮蔽物も少ない。
この無防備な状態のままでは、押し寄せる魔物の軍勢を食い止めるにはあまりにも心許なかった。
——ふと、カレンの視線が要塞の脇へ向いた。
要塞の脇に広がる空き地に、この異世界には存在するはずのない異質な資材が、整然と積み上げられていることに気づく。
「……これは……?」
そこにあったのは、黒く厳めしく巻かれた鉄条網。
自衛隊において「円匙」と呼ばれていた頑丈なシャベル。
そして「十字」と呼ばれていた作業用つるはし。
OD色のナイロン製の土嚢袋。
見慣れた陸上自衛隊の野戦築城資材の数々が、そこに静かに並べられていたのだ。
カレンはシャベルに近づきそっと手に触れる。
〈brigade〉——。
任務を完遂するために必要な最低限の装備品。
そして、生命を守るために不可欠な資材だけが現出する。
夜通し掘った掩体。
汗にまみれながら設置した鉄条網。
腕が上がらなくなるまで積み上げた土嚢。
彼女の能力は、すでに攻防戦の「答え」を提示していたのだ。
案内の守備兵が、不思議そうに首を傾げて尋ねた。
「これは……一体何なのでしょうか?」
カレンは振り返り、まっすぐ守備兵を見つめた。
「皆さんにお願いがあります。」
「これから、皆さんの力を借りてこの要塞を造り替えます。」
守備兵たちは驚きのあまり顔を見合わせた。
「造り替える……とおっしゃいますと……?」
カレンは円匙を一本手に取り、穏やかだが力強い笑みを浮かべた。
「我々には、知性という武器があります。魔物の進軍は必ず、ここで食い止めます。」
「ここからは、『野戦築城』を始めます。」
青空の下。
古びた要塞は、王国を魔物の侵攻から守り抜く最後の砦として、生まれ変わろうとしていた。
※鉄条網:有刺鉄線などを張り巡らせ、敵の侵入や移動を妨げるための障害物。
※掩体:敵の攻撃から人員や装備を守るために設ける防御設備。地面を掘って作るものなどがあります。




