第61話 古い要塞1
フローレンスは、カレンが想像していたよりも遥かに小柄な女性だったことに驚いた。
わずかな戸惑いを覚えながらも深く一礼し、緊張を帯びた声で静かに口を開いた。
「貴方が、カレン殿ですか?」
カレンが肯定すると、フローレンスはそのまま話を続ける。
「ゼン殿は、南の魔王を単身で討ち果たされました。」
南の魔王との戦いには介入しないはずだったゼンの名を聞き、カレンは驚愕に目を見開いた。
「……えっ……?」
「ですが、その代償として南の魔王が遺した強烈な死の呪いを受け、現在、王都にて昏睡状態に陥っております。」
フローレンスは、南の魔王との顛末を一部始終、包み隠さず語った。
ゼンが勇者たちの代わりに魔王と対峙したこと。
シャロンを庇い、最後の一撃を放ったこと。
そして、すべてを終わらせた後に、自らが死の呪いに囚われてしまったこと。
カレンはその重すぎる真実に、しばらく言葉を失っていた。
「そうですか……。」
カレンはそっと視線を、丹念に手入れされた足元の畑へと落とした。
この小麦畑は、ゼンがいつまで経っても帰って来ない異変に気付いてから、一人で手入れを続けてきた場所だった。
いつか必ず、帰ってくると心の底から信じていたからこそ、一人で守り続けてきた大切な空間だったのだ。
その帰りを待つはずの主人は今、遠く離れた王都で意識を失ったまま眠り続けている。
「……ゼンに何か、重大なことが起きたんだろうとは思っていました……ですが……。」
思わず漏れたその小さな呟きに、フローレンスは切なそうに首を垂れた。
「申し訳ございません。シャロン様も、懸命にゼン殿のお命を繋ぎ止めることで精一杯の状況なのです……。」
しばらくの間、二人の間には重苦しい沈黙が流れた。
やがてフローレンスは覚悟を決めたように、鋭く表情を引き締める。
「ですが、猶予はありません。さらに大きな問題が起きております。」
「北方にて、これまで野良化していた魔物どもが何者かによって統率され、恐ろしい大軍勢を形成しているのです。」
「このままでは、王都へ直接進軍してくる可能性が極めて高い状況にあります。」
しかし、カレンは驚く様子もなく、ただ静かに小さく頷いた。
「……そうですか。やはり、そういうことでしたか。」
フローレンスは絞り出すように言葉を吐き出した。
「シャロン様も、現在の状況ではとても戦力として見込めぬ……。」
「しかし、我ら騎士団の兵力だけでは、押し寄せる大軍勢に対してどうにも心許ない……。」
「カレン殿は強大な力をお持ちであると聞き及んでおります。なんとか、お力添えをお願いします……。」
少しの間、深く考え込んだ後に、カレンは強い意志を宿した瞳で言った。
「分かりました。私も、この戦いに協力します。」
フローレンスは僅かに目を見開いた。
「よろしいのですか……?」
「はい。」
カレンは目の前の美しい畑へ視線を向けたまま言い切る。
「困っている人を見捨てたりするつもりはありません。それに……。」
一拍置き、彼女はふっと小さく優しい微笑みを浮かべた。
「ゼンも、文句を言いながら結局は同じことをするでしょうから。」
その言葉に、フローレンスは深く納得した様子を見せた。
「……感謝いたします。あなたのお力添えに、心より敬意を。」
カレンは家の中へと足を踏み入れ、一枚の地図を持って戻ってきた。
それを綺麗にならされた地面へ広げると、王都とゼンの家を結ぶ街道の要所を、細い指先でなぞっていく。
「ここです。」
カレンの指がぴたりと止まった場所には、かつて防衛拠点として築かれた、崩れかけた石造りの古い要塞が描かれていた。
「古い要塞跡です。」
「現在は軍事的には使われていませんが、街道を塞ぐには最適な場所です。」
フローレンスはその古びた地図を覗き込み、戦術的な価値を瞬時に見極める。
「ここで敵の軍勢を迎え撃つ、と?」
「はい。」
カレンは地図を指し示しながら、理路整然と説明を続ける。
「王都の直前まで敵を近づけてしまえば、多くの市民を無用な戦禍に巻き込んでしまいます。」
「ですが、この古い要塞の狭い地形を利用すれば、敵の進軍路を一本道に限定できます。」
「これならば、少数の兵であっても防御側が圧倒的に有利に戦うことができます。」
しかし、フローレンスは地図の一点を見つめ、表情を曇らせた。
「それですと、この要塞の手前にあるここの畑や周辺の農村が、そのまま魔物の直撃する進軍経路になってしまうのでは……。」
カレンはわずかに俯き、胸を痛めながらも返した。
「……これが、被害を最小限に抑えるための最善策です。この進軍経路に当たりそうな住民は、一刻も早く全員避難させましょう。」
「そして、魔物に荒らされてしまった農村の復興には、戦いが終わったあと私も全力で協力します。」
フローレンスは感嘆の息を深く漏らした。
「なるほど……王国を守ることしか見えていなかった自分とは、視野の広さが違う。」
この小柄な女性は、すでに眼前の戦いだけでなく、戦場全体と民の生活の未来まで見据えていた。
「……分かりました。では、直ちに戻り防衛の準備を進めましょう。」
「はい。」
カレンは出発の直前、最後に一度だけ、自分が守り抜いてきた美しい小麦畑を名残惜しそうに振り返った。
冷たい風が吹き抜け、手入れされた黒土の豊かな香りが優しく鼻腔をくすぐった。




