第51話 約束1
――翌日。
YANMAR YT120。
ディーゼルエンジンの地鳴りのような重低音が畑一面に響き渡る。
鮮やかな真紅のボディーカラーをまとったトラクターが、ゆっくりとゼンの小麦畑を進んでいた。
ロータリーが土を細かく砕き、乾いた土の匂いが風に乗って漂う。荒れていた畑は、まるで何事もなかったかのように柔らかく耕されていく。
運転席に座るカレンは、慣れた手つきでハンドルとレバーを操作していた。
一定の速度を保ちながら真っ直ぐ進み、畑の端まで来ると滑らかに旋回する。その動きには無駄がなく確かな手際が感じられた。
ゼンは畑の端に立ち、その様子を黙って眺めている。
畑は彼にとって生活そのものだった。
だからこそ、こうして手入れされた土を見ていると、不思議と胸の奥が少し軽くなる。
カレンは今日、救援拠点を撤収し農園のある自宅へ帰る。
これは避難民のために畑を貸してくれたゼンへの、彼女なりの感謝の形だった。
やがて作業を終えると、ロータリーがゆっくりと止まり、ディーゼルエンジンも静かに息を潜める。
急に訪れた静寂の中、虫の鳴き声だけが耳に届いた。
カレンは運転席から降り、額の汗を拭いながらゼンのもとへ歩み寄る。
「昨夜の事なんですが……」
ゼンは少し俯いたまま答える。
「……シャロンなら多分、平気だろう。南の魔王は俺に『とても敵いそうに無い』とか言っていたが、多分あれは本音だろう。」
少し考えるように言葉を区切る。
「俺を襲撃してきた手下も、まるで手応えが無かった。ちょっと腕の立つ人間レベルだ。それに王都にはフローレンスとかいう強そうな騎士もいる。」
一度息を吐き、どこか自分に言い聞かせるように続ける。
「そもそも、俺には関係ない事だ。頼まれたから手を貸していただけだ。」
その言葉は淡々としていた。しかし、最後だけはほんの少しだけ歯切れが悪かった。
カレンもまた、複雑な表情でゆっくり俯く。
「そうですね。今回はシャロンに加勢する明確な道理もありませんし……。こちらの復旧作業も、まだ完全には終わっていませんから。」
倒壊した家屋。
荒れた畑。
壊れた水路。
彼女にはまだ、この地でやるべき仕事が山ほど残っている。
ゼンは静かに頷いた。
「そうか。……そろそろ行くのか。」
「はい。」
カレンは穏やかに微笑む。
「自宅に戻って復旧作業を続けます。まだ困っている人はたくさんいると思うので。」
そして深々と頭を下げた。
「ありがとうございました。」
「……いや。」
短いやり取りを交わし、カレンは歩き出す。
やがてその小さな背中は木々の向こうへ消えていった。
一人畑に残されたゼンは、ゆっくりと空を見上げる。
どこまでも高い青空。
綿をちぎったような白い雲が、ゆっくりと南へ流れていく。
「……何かを忘れているような気がする。」
考えても思い出せない。
ゼンは腕を組んだまま、ぼんやりと空を見上げる。
——ふと、東の砂漠で交わした約束が脳裏をよぎった。
◇
『ゼン。こうなったら、あなたは南の魔王討伐にも同行してもらうわ。約束よ』
『……わかった。……しょうがないな。』
東の砂漠での激戦。
イバイを拘束し、その命を奪わず解放した直後の約束だった。
◇
「……あ。」
ゼンは思い出す。
「そうか……そうだった。」
そう呟くと、迷うことなく踵を返す。
自宅へ戻り、棚からバッグを取り出した。
そこへパンをいくつか放り込み、水筒を詰める。
そして白雲が流れていく南の空へ向かって、歩き出した。




