第25話 ラクダ
畑からゼンが静かに戻ってきた。
「……よし、そろそろ行くか。」
短く素朴な一言だった。
しかし、その言葉にシャロンの心は跳ねた。
いよいよ、本当に始まるのだ。
魔王討伐のための新たなる旅立ち。
しかも、共に旅をする仲間は他でもない二人の魔王。かつての自分であれば、夢にも思わなかった前代未聞の組み合わせであった。
「まずはこの主要街道を使って、まっすぐ東へと向かいます。」
カレンが手慣れた手つきで古びた地図を広げた。
「砂漠の手前までは馬で移動しましょう。ただ、砂地に入ると脚が埋まり、馬への負担があまりにも大きくなってしまいます。」
カレンは細い指先で地図の一点を指し示した。
「ここに、東の砂漠の入口となる小さな交易都市があります。そこで馬を厩舎に預け、代わりにラクダを借りる予定です。」
「ら、ラクダ……?」
シャロンが聞き返すと、カレンは至極当然のように淡々と答えた。
「砂漠の過酷な環境においては、最も適した移動手段です。水と食料は通常よりも多めに買い込んで準備しましょう。砂の海では補給こそが生命線になりますから。」
ゼンは小さく頷いた。
「ああ、わかった。」
「……って、ちょっと!本当にそれだけなの!?」
シャロンが呆れたように声を張り上げる。
ゼンは不思議そうに首を傾げた。
「何がだ?」
「何がって……これから世界の命運を賭けた魔王討伐に向かうのよ!?なのに、ずいぶん普通というか……緊張感がないというか……っ!!」
ゼンはしばらく考え込むような素振りを見せた後、真顔で返した。
「別に……他に何か要るのか?」
シャロンは返す言葉を完全に失った。
こうして奇妙な三人は、静かに村を後にした。
ゼンの畑。カレンの農園。
それぞれが守ってきた場所を背に、一行は東へと続く街道を進んでいった。
道中、馬を並べて歩かせながら、シャロンは以前から気になっていた疑問をゼンに投げかけた。
「……ねぇ、ゼン。ゼンは魔王になって強大な力を得た時に、世界を支配しようとか、暴力で他人を力尽くで従わせようとか……そういうことを少しでも考えたことは無いの?」
「……お前、この前も似たような事を聞いてこなかったか?」
ゼンは前を見据えたまま答えた。
「一度も無い。」
「……だって、それだけの力があれば何だって出来ちゃうじゃない。何も思わない方がむしろ不自然というか。」
ゼンはしばらく沈黙を守った後、ぽつりと語り始めた。
「……俺は子供の頃から、格闘技の道場でひたすら練習をしてたんだ。その時に道場の先生から『そんな事に自分の力や暴力を使ってはいけない』と厳しく教わったからな。」
ゼンが自分自身の過去について自ら語ったのは、これが初めてのことだった。
「……そうだったんだ……。じゃあ、ゼンはどういう時だったら力を使うの?」
ゼンは視線を一切ブレさせず、静かに言った。
「自分と……あとは誰かの身体や名誉を守る時……だったかな。多分な。」
——二日後。
砂漠の入口にある小さな街へ到着した三人は、乗ってきた馬を預けた。
「ここから先は過酷な砂の海ですよ。」
厩舎の主人が汗を拭いながら注意を促す。
「馬じゃ足を取られて進めやしません。ラクダを使うのが一番です。」
街の外れには、数頭のラクダが繋がれていた。シャロンは長い首と背中に大きな瘤を持つ奇妙な生き物を、物珍しそうに眺めた。
「……これに乗っていくの?」
「そうです。」
カレンが答えると、一頭のラクダが「グルル……」と不機嫌そうに喉を鳴らした。
シャロンは少し驚いてゼンに尋ねる。
「……ねぇ、あの子、なんだか怒ってるんじゃない?」
「いや……ただ疲れてるだけだろ。」
「……あなた、動物の気持ちまで分かるの?」
「多分。」
ラクダの背に荷物を積み替え、砂漠へ向かう準備が整った。
三人はそれぞれラクダの背に跨がり、東の魔王が待ち受ける灼熱の地へと、歩みを進めていった。




