第12話 北の魔王1
「いい加減にしろ! 北の魔王! この野郎! 早く出てこい! コラァ!!」
目の前で繰り広げられる、あまりにも理不尽で強引な「魔王への呼び出し」。シャロンの培ってきた常識は、ゼンという不条理な嵐によって粉々に打ち砕かれようとしていた。彼が放つ規格外の圧倒的な戦闘力と、それとは裏腹な子供じみた怒号のギャップに、彼女の心は激しくかき乱される。
その時、次元の裂け目が今までに見たこともないほど禍々しく、そして不気味に静かに広がり始めた。
溢れ出したのは、先ほどのベルゼブブのような騒々しい生命の気配ではない。全てを凍りつかせるような、絶対的な死の沈黙だった。
闇の亀裂の中からゆっくりと姿を現したのは、分厚い黒の鎧に身を包んだ、一切の言葉を持たぬ静寂の王。
その鎧はただの黒ではなかった。
新月の夜の底に沈んだかのような、すべての光を呑み込み、照り返しすら拒絶するほどの闇の色。
その圧倒的な存在感だけで、周囲の空気が何十倍もの重圧となって淀んでいく。
「……っ!!」
目の前に現れた、息を呑むほどの威圧感を放つ騎士の姿に、シャロンは息をするのすら忘れて立ち尽くした。
「これが……北の魔王……。言葉も、感情も、何ひとつ感じられない……ただ、世界を破壊するためだけに存在するような化け物よ……っ!!」
漆黒の兜の奥に潜む底知れない深淵を睨みつけながら、シャロンは全身の毛穴が逆立つような激しい戦慄を覚える。
「ゼン……! 呼び出したのはあなただけど……これは、本当にあなたが対応できる相手なの……っ!? 冗談じゃ済まないわよ……っ!!」
しかしゼンはその警告を完全無視し、漆黒の王へ向かって不機嫌そうに指を突きつけた。
「おい! お前のところの配下の魔物が、うちの畑を荒らしやがったんだよ! まず謝罪しろよ! お前らのせいで他の近所の人らもみんな困ってんだよ!」
「……は? 畑……? 謝罪……?」
唐突で日常的、それでいて世界観を崩壊させる怒りの理由に、シャロンの思考は完全に停止した。
「ゼン、あなた……何を言ってるのよ!? 今、目の前にいるのは世界の平和を脅かす北の魔王よ!? 畑の被害の謝罪なんて……そんなことで済む相手なわけないでしょ!!」
「おいテメェ聞いてんのか! 二度と他人に迷惑をかけないと、今ここで約束するなら見逃してやる! なんとか言えよ、この野郎!!」
漆黒の鎧を纏い、一言も発さず静止する北の魔王。その絶対的な絶望の静寂と、ゼンが放つ生活感に満ちた怒号。その異様な高低差によって、そこはもはや戦場というより、近所の言い争いのような空気になっていた。
混乱と羞恥、そして得体の知れない畏怖が混ざり合い、顔を真っ赤に染めながらも、シャロンは聖剣を握る手に必死に力を込める。
「ゼン……! もう、勝手にしなさいよ!!」
ゼンの怒号に対し、北の魔王は言葉ではなく、絶対的な拒絶の意思をもって応えた。
大剣がゆっくりと、しかし確実に鞘から抜き放たれる。その切っ先がゼンへと向けられた瞬間、周囲の空気が張り詰める。
静寂は終わり、今まさに世界の理を揺るがすような、不条理な決戦が幕を開けようとしていた。
「……剣を……構えたわ……っ!」




