7-7 大海嘯地帯 その5
グロザは隊商から少し離れた草原へ歩み出た。
肩に担いでいた巨大なバルディッシュを、ドンッと地面へ突き立てる。
風が吹き、草が揺れる。その風が、迫り来る魔物達の咆哮と足音を運んできた。
目の前に迫る黒い濁流のような群れ。
だがグロザの表情は変わらず、欠伸でもしそうな顔だった。
その左右をザルグとトウジがほぼ同時に駆け抜ける。
「すまねぇオヤジ!」「おっちゃん、ごめん!」
「バカ共がよぉ」 呆れた声だった。だが口元は笑っていた。
グロザはバルディッシュを引き抜いた。土が舞う。
そのまま肩へ担ぎ直す。
そして――消えた。
「は?」 後方の第二線で若い獣人が目を剥く。
瞬きすると、魔物の群れのど真ん中にグロザがいた。
縮地。――否。そんな生易しいものではない。最初からそこにいたような自然さだった。
「邪魔だ」
ぶぉん。
巨大な刃が円を一つ描く。
その円に合わせて、狼型が吹き飛び、猪型が千切れ、昆虫型が砕けた。
半径十数歩の魔物の前衛がいきなりごっそり消え、一瞬遅れて血飛沫と瘴気が噴き上がる。
若い獣人達が言葉を失った。「うそだろ……」 古参兵が鼻で笑う。「灰牙のルガルは、俺たちのことじゃねーんだよ」
その言葉通りだった。
そこから先は、グロザの独壇場だった。
消える。現れる。振るう。魔物が吹き飛ぶ。また消える。
巨大なバルディッシュは武器というより災害だった。魔物の群れの中を、暴風そのものが駆け抜けているようだった。
「グォォッ!」
魔物達も馬鹿ではない。正面から突っ込めば死ぬ。すぐに理解し、群れが散開する。左右へ、後方へ。グロザを避けるように隊商へ流れ始めた。
「やらせるかよ」 グロザが消える。散開した群れの先頭で再び血飛沫が上がった。
しかし、数が多すぎた。十を斬れば二十が来、二十を潰せば三十が回り込む。グロザ一人では流石に全てを止めきれない。
「漏れたやつぁ潰せぇ!!」 怒声が草原を揺らした。「おう!」 隊商前の第二線の護衛線が一気に前へ出る。
そこへ魔物達が飛び込んでいった。
槍が貫き、猪型が突撃する。それを斧が叩き割る。混戦が始まった。
その頃にはザルグも立ち止まっていた。
肩で息をしながら振り返る。「ったく」 大剣を担ぎ直す。「相変わらず化け物だな」「うん」 トウジも頷いた。
グロザはまだ暴れている。 だが魔物は減らず、次々と隊商の前へ流れ込んでくる。
ならやることは一つだった。
「行くぞ!」「わかってる!」
二人は踵を返した。グロザが漏らした魔物を狩るために再び戦場へ飛び込んでいった。
エストは傷ついた獣人の治療を終え、静かに立ち上がった。
掌から消えゆく治癒の光を見送り、額の汗を袖で拭う。
周囲には治療を終えた獣人達が横たわっていた。
重傷者はいない。だが全員疲労している。それは前線の兵も同じだろう。
エストは隊商全体を見渡した。
隊商の前後で起きていた戦闘はほぼ収束している。だが、代償は小さくない。兵達の疲労はかなり酷く、休息を取らせなければ、長くは持たない。
正面では、グロザがまだ戦っている。巨大なバルディッシュが振るわれるたび、魔物がまとめて吹き飛んでいた。だが散開した魔物へ対応するため、防衛のための兵が広がりすぎている。このままでは各個撃破される。
「少し戦線を下げた方がいいのでは……」
近くにいた古参兵へ声を掛ける。
獣人の男は即座に答えた。「オヤジは、あんたに任せたと言った」「指示してくれ」
エストは一瞬だけ目を伏せる。責任の重さを噛み締めるように。そして顔を上げた。
「戦線を縮小します」 声はよく通った。「前後の兵を収容。第二陣として待機」 古参兵が頷く。
「展開中の兵は後退しつつ再配置。隊商を中心に防衛線を構築してください」
エストは草原へ視線を向けた。
「魔物の圧を一定に保ちます。突出はさせないでください」
「わかった」 獣人が頷く。「伝令に出る」 すぐさま駆け出した。
エストは今度はイリスを見る。
「イリス」「うん?」「瘴気に大きな変動があったら教えてください」「任せて!」
イリスは妖精達へ意識を向けたまま元気よく返事をした。
エストは小さく頷く。
戦線を縮小しても状況は厳しい。防衛戦は本来得意ではない。それでもやるしかなかった。
視線が前線へ向き、自然と一人の姿を探していた。
トウジが魔物の群れを縫うように走っている。
剣を振り、躱し、また走る。
疲弊の色が見えない。いや、疲れていないわけではないのだろう。それでも止まらない、誰よりも前へ出続ける。
エストは小さく息を吐いた。
無茶ばかりする。目を離せば危険へ飛び込む。見ているだけで胃が痛くなる。それなのに――。
あの姿が前線にあるだけで、まだ大丈夫だと思ってしまう自分がいた。
「本当に……」 呆れたように呟く。
その言葉の続きを口にはしなかった。言わなくても、自分が一番よく分かっていたからだ。
狼型の首が宙を舞う。返す刀で昆虫型を切り裂く。
トウジは止まらない。ザルグもまた大剣を振るい続けていた。
第二線は辛うじて持ちこたえているが、状況は良くない。
魔物の数が多すぎる。
グロザが暴れ回っているおかげで戦線そのものは崩れていないが、それでも散開した魔物達が絶えず隊商へ流れ込んでくる。その処理だけで手一杯だった。
しかし、樹皮の巨体は参戦していない。
グロザの向こう。どす黒い瘴気の中に立ったまま、胸元の赤黒い魔核を明滅させている。
なぜ追ってこない? 配下の魔物は戦っている。なのに、あいつだけが動いていない。
目の前に迫る魔物を一匹排除する。次!
――どくん。左胸の奥が鋭く脈打った。思わず顔をしかめる。
痛みと共に流れ込んでくる、「――守れ」 と繰り返される樹皮の魔物の意思。さっきから聞こえ続けているそれがより一層強くなる。
――どくん。再び胸が強く脈打つ。
掴みかかってくる魔物を避けつつ、腕を切り飛ばして次へ向かう。
見られている。この感覚には覚えがある。帰らずの森、未踏破地域の奥で感じたのと同じだった。
懐の妖精に視線を落とす。妖精は必至で襟へしがみついていた。震えている。それでもこちらを見上げていた。
『キコエテル』 不意に頭の奥で声がした。 『ヨンデル』
猪型が突っ込んでくる。身を捻って躱す。その勢いのまま昆虫型へ蹴りを叩き込み、浮いたところを剣で貫いた。
『ダレ?』 妖精が不安そうに揺れた。トウジも同じことを思っていた。誰が、何のために。
目を上げると、遠くに樹皮の魔物がいた。
――どくん。左胸奥が大きく跳ねる。それと同時に、魔物の魔核が瞬くように明滅した。
こいつに呼ばれている、そんな気がした。
「……俺に来いってことか?」
左胸の疼きだけが少し強くなった。トウジは思わず顔をしかめる。
「いや、だから今それどころじゃ――」 言いかけて、周囲の戦況を見る。
一人だけ抜けて良い状況じゃない。
「あ~もう! 副団、ごめん!!」 ザルグに向かって叫ぶ。
ザルグが振り向いた。
「あ?」「ちょっと行ってくる」「は?」
次の瞬間には走り出していた。行き掛けの駄賃で魔物を一匹、蹴り飛ばした。
「おい! トウジ!」
ザルグの声を背中で聞きながら。一直線に樹皮の魔物へ向かって駆ける。
「――え?」 イリスが顔を上げた。
『キコエテル、ヨンデル』 トウジと一緒にいた妖精が、イリスの理解を超えた反応を示していた。
しかも、妖精からトウジ、トウジから樹皮の魔物へ奇妙な事に一本の線が繋がって精霊網になぜか組み込まれてしまっていた。
「どういうことなの?」
理解がまったく追いつかない。
だが、気持ち悪いぐらいの既視感は感じていた。帰らずの森、未踏破地域の神格種。
あの時も、トウジだけが何かを見ていた、感じていた。そして今、魔物に向かって走っている。
妖精が怯え、トウジが走り、樹皮の魔物が立ち止まって待っている。その構図だけは理解できた。できたけど……。
「あーもう!」 思わず頭を抱えた。「イリス?」 エストが声をかける。「知らない!」「はい?」「わからないの!」
とは言ったものの、精霊網から目は離せなかった。せっかく魔物に繋がったのだ、感情ぐらいは把握できないか?
イリスは、さらに精霊網へ心を沈めていった。
エストには、イリスの不満が理解できていた。なぜなら、自分も不満で一杯だったから。
ただ、あの顔を見てしまった。あれは無茶をするときの顔ではない、何かを見つけたときの顔だった。
理解も納得もしていない、あとで必ず説明してもらう。
今は、トウジが抜けた穴をどうやって埋めるのか、それだけを考える。
「……帰ってきなさい」
誰にも聞こえない小さな声で呟いた。
グロザは狼型を吹き飛ばした。返す刃で猪型を叩き割る。
その横をトウジが駆け抜ける。
「おい!トウジ!」 反射的に怒鳴った。
トウジは振り向きもしない。「行ってくる!」「どこへだ!」「あっち!」
グロザが思わず顔を引きつらせた。「あっちってなんだ!」
だが、トウジは止まらない。真っ直ぐ樹皮の魔物へ向かっている。
グロザは舌打ちした。
「くそガキが……ったく」
バルディッシュを担ぎ直す。
あの突拍子のなさは今に始まったことじゃないし、不思議と悪手になったこともない。
「おやじ!」 ザルグが魔物を切り飛ばしながらやってくる。
「ほっといてやれ!」「いや、でもな!」「ちったぁマシになった……んだろうよ!」「親バカかよ!」
グロザは鼻を鳴らした。「るせぇ」
ジロリ、とザルグを睨みつけて、再び魔物の群れへ飛び込む。ザルグがそれに続いた。




