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7-4 大海嘯地帯 その2

 副団長ザルグとトウジが前方から隊商の真ん中へ戻ってきた。


 二人とも魔物の返り血と土埃にまみれている。


「雑魚沸きしたが」 ザルグが剣を肩へ担いだ。「抑えろってことだから戻ってきたぞ」「おう」 グロザが頷きながら、親指で後方を指した。「今度はあっちだ」


 ザルグが顔をしかめる。「マジかよ。どうりで騒がしいと思ったぜ」 後方からは、怒号と戦闘音が聞こえていた。


 トウジは即座に反応する。「行ってくる」


 一歩踏み出した――ガシッ。襟首を掴まれた。「ぐえっ」 トウジの首が締まる。ザルグだった。


「ったく、落ち着けって!」 呆れた声。「でも」「でもじゃねぇ」


 そのまま持ち上げられる。少し足が浮き、母猫に首筋を掴まれた子猫のような姿になった。


 グロザがにんまりと笑いながら、「ホンっと変わってねぇな、おめえはよ」 完全に昔の小僧を見る目だった。


「トウジ」「ん?」「そろそろ全体を見る癖つけときな」


 トウジが首を傾げる。意味がわからない。


 グロザは肩を竦めた。「どうにもきな臭ぇ……」 ザルグも笑みを消した。「段取られてるってか?」 グロザは首を縦に振る。


 ようやくザルグの手から逃れたトウジは、エストとイリスへ視線を向けた。エストは、少し難しい顔していて、イリスは何故か機嫌が悪かった。


 トウジの視線に気づいたエストは、トウジに向かって少し苦笑をして見せた。


 トウジはよく分からないまま二人を見比べる。イリスに声を掛けようとした、その時だった。


 ――ギリッ。左腕に痛みが走った。「――ッ!」 息が止まる。焼けるような、締め付けられるような、黒い筋の奥を何かが這いずり回るような痛み。


 左腕を押さえる。膝が僅かに沈んだ。


「どうした?」 ザルグが即座に反応する。グロザもトウジを振り返る。「トウジ?」 イリスの声。エストも息を呑む。思わず駆け寄りそうになる足を止め、ただトウジを見つめた。


 ――熱い。


 異様な熱を感じる。粗密な断続的な視線。


 怨念。憎悪。執着。狂気。様々な感情が混ざり合い、鼓動となって、こちらへ向けられている。


 ナグルの湿地帯で感じたのと同じ、いや、それ以上に鮮烈な感情の波動――本能が警鐘を鳴らす。


 あそこだ! あちらを見るな。


 思えば思うほど目が向いてしまう。何かに吸い寄せられるように視線を向けてしまった。


 隊商から遥か離れた揺れる草の海。その中にぽつりと何かが浮いていた。


 黒い小さな渦。まるで空間へ穴が空いたような、それは絶対的な虚無と闇のようで、周囲の光すら飲み込んでいるように見える。


 周りを見る。しかし、誰も反応しない。イリスも、エストも、グロザも、ザルグもだ。


 見えていない。そう直感した。トウジだけが見ている、感じている。


「あそこに……」 声が漏れた。全員が振り向く。「あそこに何かある」


 トウジが指を向ける。


 黒い渦が――こちらを見た。



 ――ドンッ!!



 空気が爆ぜる。衝撃波が草原を薙ぎ払い、草が倒れ瘴気が吹きすさぶ。


 草原の中空の一点が歪み、その歪みがゆっくりと膨張と収縮を繰り返しはじめていた。


「おいおいおい……」 ザルグが思わず呟いた。「なんだありゃ?」 額へ汗が滲む。「やべぇってなもんじゃねぇぞ」


 グロザも険しい顔のまま渦を見据える。「ザルグ」 低く呼んだ。「いけるか?」


 ザルグは肩の大剣を担ぎ直す。口元が歪む。獰猛な笑みだった。


「オヤジが出張るほどじゃねぇだろ?」「ふんっ、言うじゃねぇか」「言うだけならタダってな」


 周囲から小さな笑いが漏れる。緊張を追い払うような笑いだった。


「おっちゃん」 トウジが口を開いた。グロザが視線を向ける。黒い瞳がじっとグロザを見上げていた。


 グロザは小さく息を吐く。


「……いいのかい?」


 その問いかけにトウジはきょとんとした。


「いいも悪いも」 トウジは向かうのは当然、そういう顔をしていた。


 グロザは一瞬だけ目を閉じ、ふっと笑った。


「そうかい」 やっぱり変わらない。そういう笑みだった。


 その様子をじっと見ていたエストが、トウジの目の前へ進み出る。


「エスト?」 自然と視線が下がる。銀色の前髪に隠れたエストの表情はよくわからなかった。


「少しだけ」 有無を言わせない声がかかる。トウジはその場から動かない。


 エストがさらに一歩近付く。右手をトウジの胸へ添え、左手を自らの胸元へ。そして、祈るように静かに目を閉じ、唇から小さな祈りが紡がれる。


 エストから柔らかな光が溢れた。白く淡い光が、春の日差しのような温もりで二人を包む。


 裂けていた脇腹が閉じ、肩の傷が消えていく。熱を持っていた箇所から熱ごと痛みも抜けていく。


 トウジ自身も驚くほどの速さで傷が癒えていった。


 周囲の獣人達から感嘆の声が漏れた。


「すげぇな……」「神官様ってのは」「いやあれ別格だろ」


 やがて光が収まり、エストはゆっくり息を吐いた。そのままの姿勢で小さく呟く。


「行くなとは言いません。でも……」「うん」 トウジが言葉を被せる。


 エストが顔を上げた。真っ直ぐに見上げる。


「戻ってくる」


 エストは数秒だけその顔を見つめ、小さく笑った。


「それでいいです」


 そのやりとり見ていたグロザが牙を見せる。


「さて」 肩を鳴らした。「別の修羅場が始まると思ったがよ」


 ザルグが吹き出す。「オヤジィ……」「るせぇ」 グロザがにやりと笑う。


 これから向かう相手は、今までの魔物とは違う。だからこそ、その短いやり取りは、思った以上に皆の心を落ち着かせていた。


「よし」 ザルグが大剣を担ぎ直した。「それじゃ行くぜ」 トウジも頷く。


 二人は同時に地面を蹴った。脈打つ草原へ向かって駆け出す。


 後方からグロザの声が飛ぶ。「気張れよ!」「おお!」「うん!」



 その背中を見送りながら、エストは小さく息を吐く。


 振り返えるとイリスがいた。なぜか少し興奮している。


「エスト!」「はい?」「なんかドキドキしたよ!」「え?」


 エストは瞬きをした。話が見えない。


 イリスは両手を胸の前で握る。


「ほら!」「さっき!」「戻ってくる、って!」「……」


 エストの頬が僅かに赤みを帯びた。


「な、何を言っているんですか」「え?」 今度はイリスが首を傾げる。


 本当に分かっていないらしい。エストは額へ手を当てた。「もういいです……」「?」


「それより」 イリスを見て心底ほっとしたような表情を浮かべる。「聖女様の加護があって本当に良かった」


 あれがなければ、トウジの治療にもっと時間が掛かっていた。


 イリスも頷いた。「うん、さすがアエルナだね」 うれしそうに笑う。


「それじゃ」 イリスが視線を前へ向けた。遠ざかる二人の背中。


「エストも頑張ったし、今度は私の番かな」「?」 エストが首をわずかに傾けた。


 イリスは目を閉じ、小さく精霊語を紡ぎ始めた。


 風が揺れる。草が鳴る。


 三匹の妖精達が反応し、イリスの周りをぐるぐると飛び回り始めた。


 イリスは微笑む。「力、貸してね」


 妖精達が嬉しそうにうなずき、そして三方向へ飛び立った。


 一匹はトウジの元へ。一匹は大海嘯の奥へ。そして、一匹は隊商が来た道へ。


 エストが目を瞬かせる。「イリス?」


「エイラほどは無理だけど」 再び精霊語を紡ぐ。視線は遠くを見ていた。


 大海嘯地帯。本来なら精霊域が成立しない土地。魔素が濃すぎ、流動が激しすぎる、妖精達が留まることすら難しい場所。


 これまでずっと思い込んでいた。精霊域とは、そこにあるものだと。そういうものだと。


 だが違った。エイラは違った。


 そこにある精霊域を、自分が使いやすいように編み直していた。


 森と森を繋ぎ、草木を繋ぎ、妖精達を結んで巨大な精霊網を築いていた。それは知識ではなく技術、だった。


 悔しかった。どうして今まで考えもしなかったのか。精霊網を自分で作りあげてしまえばいいってことを。


 だから今からそれを作り上げる。せめて、トウジ達がいる場所にだけでも。




 連続して起こる魔物達の襲撃に、怯えて荷車に逃げ込んでいた人族の商人たちは、荷車の陰からその光景をみて、思わず目を擦った。


「なぁ、おい……あれ……」 隣の商人も目を細める。「あ・あぁ……」「だよな?」


 少し離れた草原の真ん中に、灰色ががかった淡い金髪の少女が立っていた。先ほどまで、人族の少女だったはずの女の子が、今は姿を変え、エルフとしてそこにいる。


 なぜこんな少女を大海嘯地帯などという危険な場所へ伴っていくのかさっぱり理由はわからなかったが、商人たちは、みなそういうことだったのか、と納得していた。


 小さな声で何かを歌うように紡いでいる。言葉は聞き取れない。だが、不思議と耳に残る響きだった。


 その周囲で、草原から岩から、小さな淡い光が幾つも湧き上がってくる。


「せ・精霊召喚……?」 誰かが呟く。


 商人達は顔を見合わせる。これまで見たことのある、聖環院の奇跡とは違う。魔法士の術式とも違う。もっと自然で、厳かで、深淵な何かだった。


 その間にも少女の周囲には光が増えていく。


 草の上、岩の影、遠くの小さな森。あちらこちらで淡い輝きが灯り、それらが見えない糸で結ばれていくようだった。


 金髪の少女は目を閉じたまま、小さく微笑む。現れてくれた精霊たちに答礼をするかのように。


「……エルフってのは」 年嵩の商人がぽつりと言った。「森に愛されてるんじゃなくてよ」


 その視線の先で、草も岩も精霊達も、皆、少女へ応えていた。


「森と話をしてるんだな」


 誰も答えなかった。ただ、その光景から目を離せなかった。



 トウジとザルグは歪みへ向かっていた。


 近付くほどに異様さが増していく。目の前の景色そのものが大きくなったり、小さくなったり、脈打っている。


 どくん。どくん。どくん。


 空間の膨張収縮がまるで巨大ななにかの心臓のようだった。


「気持ち悪ぃな」 ザルグが吐き捨てる。「うん」 トウジも頷く。


 左腕が熱い。黒い筋が疼く。憎悪、執着、狂気、そんな感情を近付くほど強く感じる。


 目の端に光の帯が見えたと思ったら、くるりと回って肩へと着地した。妖精だった。


 トウジが目を細める。トウジが精霊語で短く話しかける。精霊は、小さく笑ったようだった。


「イリスが寄こしたみたい。こっちに集中しろって」「んなことがわかんのか?」「雰囲気?」「なんだそりゃ?!」 ザルグは一瞬だけ笑った。


 二人は脈動する空間の目前で足を止める。


 どくん。どくん。どくん。


 目の前の歪みを睨み据え、ザルグが大剣を構えた。


 その横でトウジも剣を抜く。だが「――ッ!」


 左腕の疼きが限界まで達した。黒い筋が焼けるように熱い。


 思わず剣を持つ手で押さえる。


 それでも収まらない。むしろ強くなる。


 疼きに呼応するように、空間の鼓動も歪みも膨れ上がっていく。


 どくん。どくん。どくん。


 バリンッ!!


 いきなり何かが砕け散った。世界に亀裂が走ったかのような破砕音。


「グォオオオオオオオオオオッ!!」


 その破砕音を打ち消す腹の底を掴まれるような咆哮が響き渡った。


 それは音ではなく、怨嗟だった。憎悪だった。狂気であった。


 空気が震え、大地が震える。そして……。


 どす黒い瘴気が爆発するように噴き上がった。

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