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7-3 大海嘯地帯 その1

 翌朝。まだ陽が昇り切る前から、アイラ村は慌ただしかった。


 村の中央広場には商人達や村人が集まり、荷車と荷馬車の最終確認が行われていた。


「忘れ物はねぇな!」「こっちは大丈夫だ!」「縄締め直せ!」 威勢の良い声が飛び交う。もっとも、賑やかさの割に荷車の数は少ない。持ち込んだ荷の半分以上を村へ下ろし、帰路で薬草や魔獣素材、精霊木材などを受け取る予定だった。


 大海嘯地帯へ向かう隊商は、少数の荷馬車に大勢の護衛という、ちょっとした遠征隊のような陣容になっていた。


 副団長が呼ばわった。「――出立!」


 トウジは村人達へ手を振っていた。「行ってくる」「気を付けろよ!」「無茶するなよ!」


 村人達の横では、「トウジー!」「お宝ー!」「忘れるなー!」 子供達が騒いでいた。その後ろでシュクリが腕を組んで立っている。手を振ると、シュクリは笑顔で頷いた。


 隊列の中央付近で歩くイリスの周囲では三匹の妖精がふわふわと漂っていた。小さな光が、時折くるくる回りながら楽しそうに飛んでいる。


「エイラからいろいろ仕入れてきたよ」 イリスが胸を張る。妖精達も嬉しそうに光った。「外縁を出るまでは任せて!」「頼もしいですね」 エストが微笑む。「迷子にならないでくださいね」「ならない!――たぶん」「いきなり不安になりました」


 村人達の見送り。子供達の歓声。シュクリの小さく振る手。それらが少しずつ遠ざかっていく。




 行程の前半は快適だった。


 近隣の村々を結ぶ街路が以前より大幅に整備され、荷車も問題なく進む。だが、その街路も半日ほどで終わる。


 そこから先は、獣道だった。トウジには見覚えがある道。幼い頃には、森にはこうした細い道しかなかった。


 まず斥候を出す。瘴気だまりがないか、魔物の痕跡はないかを調べ、見つければ迂回する。その繰り返しで、徐々に森を踏破していく。この日は大きな遭遇もなかった。


 旅程も一日を超え、大地溝帯に近づくにつれて景色が変わり始める。


 最初に消えたのは高木だった。空を覆っていた樹冠が薄くなる。木々の背丈が低くなる。やがて森は途切れ、残ったのは低木と草だけになっていった。


 さらに進むと、今度は低木すら疎らになる。代わりに増えたのは岩だった。ひび割れた大地の上に灰色の岩。その隙間を埋めるように草が生えている。


 気が付くと、風が吹くと草原が波打つ、視界の果てまで続く灰色と緑だけの荒涼とした景色が広がっていた。


 それでも完全な不毛ではない。ぽつり、ぽつりと小さな森が、取り残された島のように荒野に残っている。


 エストが辺りを見回す。「本当に変わるんですね」


「魔素が濃いところだからな」 グロザが答えた。「木は育たねぇ」


「前にイリスも言ってましたね……」 エストが頷く。その隣でイリスも小さく頷いた。


 この辺りまで来ると、瘴気も目に見えて増えていた。薄い靄が大地のあちこちに溜り、漂い、魔物との遭遇も頻繁になる。


 草むらから狼型。岩陰には猪型。時折、巨大な昆虫型まで現れる。数こそ多くないが、確実に増えていた。その度に隊商は止まりルガル傭兵団が討伐する。


 そうした、何度目かの遭遇戦を終えた頃だった。


 トウジは違和感を覚えた。魔物が出ない。狼型も、猪型も、あれほど頻繁に現れていた気配が、いつの間にか消えていた。


 だが、隊列の空気は軽くならない。むしろ重い。前を行く獣人達の視線は鋭くなり、弓手は矢を番えたまま周囲を警戒している。


 魔物との遭遇がなくなった。傭兵達の表情が引き締まり、見張りの数も増える。弓手が前へ出、隊列の間隔も狭まった。


 副団長のザルグが声を張る。


「いいか! 新兵ども!」 若い獣人達が顔を上げる。「この辺りから出てくる魔物は今までと違う! 気を抜くんじゃねぇぞ!」


「なるべく平常心で事に当たれ! むやみやたらに感情を高ぶらせるな! それだけで瘴気の引き金になる! 落ち着いていけ!」


 若い獣人達が一斉に頷いた。


 トウジは目を瞬かせる。「そうなんだ」「そうなんだじゃねぇよ」 副団長が呆れた。


 グロザが笑う。「初心者殺しってやつだな」「初心者殺し?」


「ビビる、焦る、怒る、取り乱す」 指を折る。


「そんだけで周囲の瘴気が反応する」


「知らねぇ奴ほど引っかかる」


「なるほど」 トウジは素直に頷いた。


 グロザはトウジ、イリス、エストを順番に見て、ニヤリと笑った。


「ま……お前達なら大丈夫そうだがな」


 トウジは首を傾げる。イリスは笑う。エストは苦笑する。



 最初に異変へ気付いたのはイリスの肩口をふわふわと漂っていた妖精達だ。


 三匹のうち一匹が、ぴたりと空中で止まり、くるり、何かに怯えたように隊列の左手を向いた。


 それをきっかけに妖精達がざわつく。イリスの表情が変わった。


「――止まって」


 その声は普段よりかん高かった。


 トウジも気付く。甘い、熟れ過ぎた果実のような発酵した蜜のような濃い瘴気の匂い。風に乗って流れてくるそれを嗅ぎ、左腕の黒い筋辺りに鋭い痛みが走った。「っつ――」


 反射的に顔を上げる。


「来る!」


 その声にエストも同時に反応した。周囲へ結界を展開しようと祈りの言葉を紡ぐ。



 隊列左手、草原の一角で瘴気が弾けた。轟音と共に、薄墨色の靄が噴き上がった。「うわぁっ!?」「敵襲!」


 前衛の獣人達が飲み込まれる。辺り一面が薄墨色に染まり、視界が落ちる。


 若い獣人の一人が動転する。「ど、どこだ!?」「落ち着け!」「見えねぇ!」


 その声を嘲笑うかのように、瘴気の中から影が現れた。一体、二体、三体。いずれも中型、狼とも熊ともつかない異形の瘴気を纏った魔物達だった。


「前だ!」「来るぞ!」 が、その警告自体が遅かった。飛び込まれ、前衛の一角が吹き飛ぶ。


 盾を構えた獣人が地面を転がる。別の獣人が弾き飛ばされる。


 隊列が崩された。「くそっ!」「持ち堪えろ!」 悲鳴と怒号が上がり、視界の霞む中、算を乱す若い獣人達。


 その中へトウジは駆け入った。


 後方でイリスが妖精語を唱える。妖精の一匹がそれに応えるかのようにトウジへ向かって飛び、そのままトウジの前へ躍り出た。


 視界の先で光が踊る。「こっち」 まるでそう言わんばかりの光の明滅の先を見据える。


 ――魔物だ。剣を抜き、飛んできた爪を弾く。そのまま身体を捻り、別方向から迫る牙を避けた。


「下がれ!」 崩れた前衛へ叫ぶ。「慌てなくていい!」


 剣を振る。火花が散り、衝撃で腕に痺れが走る。


「下がって前線を立て直せ!」 その声でようやく獣人達が動いた。若い獣人達が後退する。古参達がその間隙を埋めようと動く。


 なんとか立て直せるか、っと思った矢先に別の魔物が横からトウジへ掴みかかってきた。


 更にもう一体も斜め前から突進してくる。


 気付けば三体、中型の魔物全部がトウジへ殺到していた。


「ちっ」


 左を避け、右を受け、正面を斬る。忙しい。一瞬でも判断を誤れば終わる。


 魔物の爪が肩を掠めた――熱い。脇腹が裂け、鈍い痛みが走る。次の瞬間には別の牙が迫る――避ける、避ける、かする。さすがに全部は避け切れず、傷が少しずつ増えていく。


 三体同時はきつい。それでも、自分へ注意を引き付ける。前衛を立て直せれば、それでいい。


 魔物の一体が大きく踏み込んできた。十字にした腕で魔物の突きを防ごうとする。


 そこへ銀光が弧を描き、魔物の腕が目の前で宙を舞った――黒い血飛沫が宙を舞う。


「ったくよ!」


 聞き慣れた声。副団長だった。大剣を肩へ担ぎながら笑っている。


「前と同じじゃねーか!」


 トウジの隣へ並ぶ。何度もそうしてきたように背中を預ける。


 トウジも思わず笑う。「ちょっとは成長してるでしょ?」


「なりだけはな! 馬鹿野郎が」


 副団長が魔物へ突っ込む。「独りでやろうと、すんなっ!」 大剣が唸り、魔物の首が飛ぶ。


 それに合わせてトウジも地面を蹴った。副団長に気を取られた魔物の目をえぐる。副団長の返す剣がその魔物を両断する。


 トウジは、身をかがめ、副団長の動きの下を掻い潜り、脇の下から背後の魔物の足を凪ぐように切り飛ばす。


 一瞬で、中型の魔物三体が制圧された。



 隊商の中ほどでグロザは仁王立ちになったまま前線を見ていた。


 薄墨色の瘴気が草原を這っている。視界は決して良くない。だが、飛び交う怒号や剣戟の音、獣人達の動き回る音、息遣い、匂い、それだけで前がどうなっているかはわかっていた。


「ちぃっとマズイ感じか……」 ぽつりと呟く。その横でイリスが首を傾げた。「まずい?」 妖精達が肩の周りを飛び回っている。「持ち直したように見えるけど」


 グロザは牙を見せた。「まだ序の口だからよ」 言いながら隣の古参兵を見る。「おい」「はい」「ザルグに抑えめにしとけ、って言ってこい」 古参兵が一瞬だけ顔をしかめた。「……了解です」 と言ってすぐに駆け出した。


 イリスが眉をひそめた。「抑えめ? 副団長だよ」 エストが代わって答えた。「熱くなると前へ出過ぎるんでしょう」「正解だ」 グロザが笑う。「トウジと組ませると特にな。相性が良すぎってな」


 エストの視線が宙を彷徨った――それはまずい。非常にまずい。たぶん二人とも似たような戦い方をするんだろう。ひたすら、前へ、前へ……「嫌な予感しかしません」「だろ?」


 グロザは肩を竦めつつ、改めて周囲を見回す。


 隊列全体に視線を配りながらつぶやく。「来るなら……そろそろか?」


 途端に、イリスの周囲を飛んでいた妖精達が一斉に騒ぎ始める。イリスがはっとして振り返る。「――後ろ!」


 獣人の叫ぶ声が後方から上がった。「後方に瘴気!」


 緊張が走る。


「魔物!」「中型二つ!」「小型多数!」「来ます!」


 グロザが舌打ちした。「陽動かよ!」 吐き捨てる。「しゃらくせぇ」「手ぇ空いてる奴ぁ後ろへ回れ!」


 即座に反応したのは古参兵達だった。待機していた数名が武器を抜いて後方へ駆け出していく。


「持たせろよ!」 グロザが声をかける。「わかってる!」


 古参兵達の背を見送りながら。「長引きそうなら撤退も視野に入れる」 低い声だった。供回りの獣人達が頷く。


 隊商の目的は、そもそも商売だ。過大な損耗が出れば本末転倒になる。


 イリスがグロザを見る。何か言いたそうだった。グロザはそれ見て、フッと笑う。


「言いてぇことは分かる」 グロザが先に口を開いた。「だがよ、損耗と天秤って話だ」


 肩こりをほぐす様に、グロザが首を回す。「分かんだろ?」


 イリスは何も言わなかった。納得したわけではない、でも理解はしていた。――むすっ。


 グロザは思わず吹き出した。「気の強ぇ嬢ちゃんだよ」「悪い?」 目が少し剣呑だ。「いや」 牙を見せる。「娘にしてぇぐれぇだ」 イリスはふんと鼻を鳴らした。グロザが修羅場と思えないような笑い声を立てた。


 その様子を見ていたエストは小さく息を吐く。やれやれ。そんな表情だった。

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