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6-8 外縁の子

 イリスの見ているものは、目の前の大樹ではなかった。


 大樹から伸びた無数の光が夜の外縁へ広がっている。谷を越え、川を渡り、森から森へ、瘴気を避けながら張り巡らされた光の網。


 その網の目一つ一つに妖精達がいた。妖精が飛べば光が走り、立ち止まれば光が留まる。枝先から枝先へ、妖精から妖精へ、森で起きた出来事が光となって運ばれていく。まるで夜の外縁の上に、もう一つの街道が築かれているようだった。


 白牙村へ向かう光の流れも見えていた。


 即応隊を追いかけるように、数匹の妖精が光の道を飛んでいる。


 そのうちの一匹が、不意に進路を変えた。光の流れが二つに分かれる。


「あっ」 イリスが目を開く。


「どうしたの?」 エイラが微笑みながら尋ねる。


「妖精が二つに分かれた……」


 意識を集中させる。


「でも、なんで……」


 眉をひそめる。見えてはいる、だが分からない。


 妖精達を通して得られる情報は、どうしても曖昧だった。嬉しい。驚いた。移動した。それくらいなら分かる。けれど何を見て、なぜそうなったのか、そこまでは届かない。霧越しに景色を眺めているような曖昧な感覚だった。


「これならどう?」 エイラが静かに手を重ねた。


 祭祀場に流れていた光の一部が、イリスへと流れ込む。


「――っ」 視界が変わる。「……なに、これ」


 世界が鮮明になる。ぼやけていた輪郭が形を持つ。


 妖精達の位置。風の流れ。森の魔素の濃淡。今まで見えていなかったものまで見えてくる。


 イリスは立ち上がりかけた。「瘴気の揺らぎまで見える?!」 振り返ると、エイラは穏やかに笑っていた。


「これを毎日?」 エイラは答えない。ただ楽しそうに微笑むだけだった。


「すごい……」


「妖精や精霊達の感情の揺らぎを押さえておけば、だいたいの状況は分かるの」


 エイラが静かに言う。「経験を積めば、もっと色々なこともね」


 イリスは再び意識を白牙村の周辺へ向けた。


 ふと違和感を覚える。


 妖精の動きが、妙に落ち着いている。彼女たちはもっと気まぐれだったはずだ。こんな環境だと特に……。


「今日はトウジがいるから」 エイラがくすりと笑った。


 イリスは思い出した。帰らずの森。神格種と遭遇した後の妖精達……あれもそんな様子だった……。


「エイラ、それなんですが」


「なあに?」


「トウジは、なぜあんなに妖精と近いのですか?」


 長らくの疑問だった。精霊語を使い、妖精達、精霊の反応も、全てがおかしい。


「精霊語が使えるようになっているのは、たぶん私の加護のおかげなんでしょうけど」


「加護?」 イリスが目を瞬く。「エイラの?」


「あら?」 今度はエイラが不思議そうな顔をした。「気付かなかった?」


 ――まただ。脳裏にある光景がよみがえる。


 聖女アエルナが、加護を授けようとして、不思議そうな顔をしていた。あの時のあれ。


「そういうことだったの……?」


 エイラがくすくす笑う。


「でもね」 そこで視線を大樹へ戻した。


「あの子、最初から妖精達とは仲良かったのよね」「最初から?」「ええ」 エイラが頷く。


「あの子がここへ来た時、言葉が分からなかったって話は聞いた?」「カリンさんから」「そう」


 エイラは懐かしそうに笑った。


「あの頃のトウジ、本当に何も分かってなかったの」「何……も?」


「でもね、森に連れて行ったとき、妖精達とは普通に接していたのよ」「……え?」「一言もしゃべらないけど、普通に寄り添ってた。」


 エイラはその時の様子を思い出しているかのようだった。ちらっとイリスを見てエイラが吹き出す。


「そんな顔しなくても」


 イリスは相当おかしな表情をしていたのだろう。


「いや、します!」 イリスは思わず立ち上がった。「トウジ、人族ですよ!?」


「そうね」 エイラも頷く。「私もそう思ったんだけど」


「……もしかして」 イリスがじっとエイラを見る。「エルフ?」


「私の隠し子とでも?」 エイラが笑う。「そんなわけないでしょう」


 イリスも苦笑した。


 それはさすがにない。どう考えてもない。でも、それくらい説明が付かなかった。


「あっ」


 今度はイリスが声を上げる。


「どうしたの?」「トウジ達の近く」 意識を森へ向けたまま言う。「濃い瘴気が出てきた」


 即応隊の進路上だった。


 妖精がざわついていた。焦り。警戒。不安。そんな感情が伝わってくる。


「すぐ知らせてあげて」 エイラが言う。


「え?」 イリスが振り返る。「でも、どうやって?」


「こうするの」 エイラは微笑んだ。


 意識が伸びていく、妖精達の輪の中へ。遠く、白牙村近くを飛ぶ二匹へ。


 波長が重なり、個々の感情、癖、思考、それらを一瞬で読み取る。そして、その片方へだけ警告を流し込んだ。


 イリスは息を呑む。


 そんな芸当があるのか。精霊網へ接続している妖精達の中から目的の一匹だけを選び、指示を送る。千年王国フェイルアークの宮廷精霊術師でも、これができる者はほとんどいないだろう。


 ましてや、この規模――無理。


「無理です」


 エイラが楽しそうに笑う。「いずれ出来るようになるわよ」「なりません」「なるなる」「なりません」




 白牙村の防衛線で、魔物群の横っ腹へ風穴を開けている最中だった。


 カリンの戦斧が唸る。ムグルとモグルの曲刀が閃く。トウジとシュクリもその後ろから魔物を切り崩していく。


 防衛線の外側へ張り付いていた魔物達が次々と倒れていった。


「押せ押せ!」 白牙村の獣人達が吠える。


 村を囲む防護柵の上からも矢が飛ぶ。


 戦況は明らかにこちらへ傾き始めていた。


 肩へ張り付いていた妖精が、突然飛び上がった。


「?」 トウジが目を向ける。


 妖精は後方へ飛ぶ。かと思うと、慌てたように戻ってくる。再び後方へ飛び、戻る。落ち着きなく同じ動きを繰り返していた。


 トウジが小さく精霊語で問いかける。


 妖精は必死だった。焦り、警戒、危険。そんな感情だけが流れ込んでくる。


 トウジの顔から表情が消えた。


 攻撃の手を止め、そのまま振り返った。


 夜の森、即応隊の後衛とを結ぶ方向。そこへ、濃い瘴気が流れ込んできていた。薄墨色の濁流が、木々の間を埋め尽くしながらこちらへ押し寄せてくる。


「後方に瘴気出現!」 トウジが叫ぶ。カリンが即座に振り返り、一瞬だけ確認した。


「トウジ!」「うん!」「行ってよし!」


 戦場の優先順位が分かっている。あの濃度の瘴気が後衛を巻き込めば大八車も巫女も危険だった。


「すぐ戻る!」「わかった!」 カリンが戦斧を振り抜く。魔物の首が吹き飛ぶ。「こっちは任せろ!」


 トウジが隣を見る。「シュクリ」「ん」


 シュクリが踵を返すのとトウジが走り出すのとが同時だった。


 後方へ、瘴気へ。甘ったるい匂いが濃くなる。


 妖精も羽音高く二人の前を飛んでいた。急げ、急げ。羽音がそう言っているかのように聞こえた。


 トウジとシュクリは全速で瘴気の中へ飛び込んだ。




 イリスは安堵の息を吐いた。


 精霊網を通じて伝わる妖精達の感情も、先ほどまでの切迫したものから落ち着きを取り戻しつつある。


 どうやら分断は避けられたらしい。


 瘴気そのものへの警戒はまだ必要だろう。だが後衛も無力ではない。巫女もいる。簡単に崩されることはないはずだ。


 その様子を見ていたエイラも、そっと息を吐いた。


「ひとまず大丈夫そうね」


「ですね……」 イリスは肩の力を抜く。そして苦笑した。


「これ、自分が動けない分、ずっとやきもきしますね」


「そうなのよね」 エイラがくすりと笑う。「それが一番の問題かもしれないわ」


 祭祀場の中に穏やかな空気が戻る。


 大樹の幹を流れる光も、先ほどより静かに脈打っているように見えた。


 しばらくその様子を眺めていたイリスが、口を開く。


「エイラ」「なあに?」


「トウジ、本当に何もわからないままで、ここへ?」


「そうね」 エイラは懐かしそうに頷いた。


 少し遠くを見る。


「話しかけても反応が薄くて」


「言っていることを理解していないのは分かったわ。文字も読めなかったのよ」


 イリスは黙って聞いていた。


「最初はね、頭を打ったのかと思ったの。それとも、どこか遠い土地の子なのか」


「でも、変だなぁって思ったのは、その後ね」「変?」


「覚えるのが早すぎるの」


 イリスが眉を上げる。


「半月もしないうちに、きちんと会話ができるようになったわ」


「半月?」 思わず聞き返す。「ええ」 エイラは頷く。


「気が付いたら普通に返事をしてて、昨日まで分からなかった言葉を、翌日には理解しているの」


 それだけでも十分早い。


「一か月も経った頃には、読み書きもできるようになっていたかしら」


「そんなに早く?」「私も驚いたもの」 エイラは小さく笑う。


「あれは覚えるんじゃなくて、元から知っていたことに届くようになっていく感じだったの」


 祭祀場に静かな沈黙が落ちる。


 イリスは大樹の光を見つめながら考えていた。


 記憶はない。けれど言葉はすぐに身につく。


 それは確かに奇妙だった。



「変と言えば……。最初、気付かなかったんだけど」


 エイラは懐かしそうに笑う。


「礼儀がね」「礼儀?」「私が部屋へ入ると立ち上がるの。食事を出せば頭を下げる。物を受け取れば礼をする。しゃべれないまま、自然にそうしてた」


 イリスは目を瞬いた。


「あと、道具の扱い方も」「道具、ですか?」


「包丁でも鉈でも鍬でも使い終わると綺麗に拭いて元の場所へ戻すのよ」「……」


「最初は几帳面な子だと思ったわ。でもあれは、たぶん習慣づいたもの……」


 その言葉にイリスは黙る。


「あとになって本人に理由を聞いたことがあるの。『なんでそうするの?』って」


「『え? そういうもんでしょ?』って」


 イリスが頷いた。「トウジらしいですね」「ね」 エイラも笑う。


 そして少しだけ真面目な顔になる。


「記憶は無くても、身体が覚えてたってことなんでしょうね」

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