6-5 アイラ村
カリンの先導で森を進む。ムグリとモグリが、トウジ達の荷物を軽々と運んでくれている。
日が傾き始めた頃、木々の向こうに、防護柵が見えた。
「着いたぞ」 カリンが顎をしゃくる。
トウジは足を止めた。
「……あれ?」 思わず声が漏れる。
記憶の中の村とまったく違っていた――大きくなってる?!
まず、防護柵が違う。昔は丸太を並べただけだったはずが、高さも厚みもある二重の柵になっていた。
見張り台も以前は一つだったはずなのに、今は複数が周囲を監視していた。
「変わっただろ」 カリンが笑う。トウジは頷いた。「うん。びっくりした」
村へ近づいていく。
柵の内側には家々が並んでいた。見覚えのある家もある。だが知らない建物も多い。柵ごしでも、以前より明らかに人が増えているのがわかった。
村の中央には広場。そしてその奥で、一本の大樹が空へ枝を広げていた。村の守り木であり、祭祀の中心でもある。
その周囲を囲むように並んでいる建物、そこがトウジにとっての家だった。
懐かしい光景だった。ただそこは、五年前よりずっと賑やかで、ずっと豊かになっていた。
村へ入ったところで、カリンが大きく息を吸う。
「おーい!」
「トウジが帰ってきたぞー!!」
声が響き渡った。
一瞬の静寂。
次の瞬間――村が爆発した。
「えっ!?」「トウジ!?」「ほんとか!?」「帰ってきたのか!」
あちこちから人が飛び出してくる。家から、畑から、見張り台から、広場に向かって。
気付けばトウジは人の輪の真ん中にいた。
「おー本当にトウジだ!」「おかえり!」「無事だったか!」「久しぶりだな!」「でかくなったな!」
口々に声が飛び、肩を叩かれ、頭を撫でられ、背中を叩かれる。もみくちゃになってトウジは完全に押し流されていた。
「ちょっ、待っ――」「おかえり!」「おかえり!」「おかえり!」
返事をする暇もない。ただ、誰もが嬉しそうだった。
その様子を少し離れた場所から見ていたイリスが呟く。
「人気ありすぎじゃない?」「ですよね……」エストも苦笑する。
先に村に入っていたシュクリは、既に別の場所で捕まっていた。助けた子供達に加えて村の子供にも囲まれ、耳を触られ、尻尾を見られ、完全に逃げ場を失っている。
「救援者」「人気者だねぇ」イリスが笑った。
トウジを囲む村人達の熱量は、思った以上だった。
「なんでしょうね」 エストが首を傾げる。「歓迎されるのは分かりますけど……」
「うん」 イリスも頷く。「ちょっとすごいよね」
そんな村人達の熱狂も村の奥の方から少しずつ静まっていく。
人垣が割れた。
そこから一人の女性が歩いてくる。周囲には祭祀を担う者達が付き従っていた。
その姿を見て、エストは目を見開いた。
美しかった。見た目は、穏やかな若いエルフの女性にしか見えない。
銀にも金にも見える金属質の長い髪が、ゆるくまとめられ肩へ流れている。
祭祀服は森の民の衣装に近い。だがどこか呪術師めいた意匠も混じっていた。
ただ、その佇まいには長い年月を生きた者だけが持つ静けさがあり、巨大な存在感があった。
まるで森そのものが歩いているみたいだった。
「里親様!」 誰かが声を上げる。
トウジが振り返った。そして、少しだけ笑った。
「ただいま」
里親と呼ばれた女性も微笑む。
「トウジ、おかえりなさい」
まるで、昨日出かけた子供が帰ってきたみたいな口調だった。
その言葉に、トウジの肩から少しだけ力が抜ける。
里親はゆっくりと視線を巡らせる。
エスト。シュクリ。そして、イリス。
そこで視線が止まった。
里親が小さく笑う。
イリスもまた笑顔を返し、何かを納得したように目を伏せ、視線を落とした。
「……そうなのね」 誰にも聞こえないほど小さな声だった。
その一瞬だけで、二人の間に何かが通じたようだった。
「里親様」 カリンが声をかけた。
里親は静かに視線を向ける。
カリンは何も言わず、食べる仕草をした。さらに酒を飲む真似まで付け加える。
里親は一瞬だけ目を細めた。困ったものですね、と言いたげな顔で小さくため息を吐く。それでも、ゆっくりと首を縦へ振った。
「よっしゃあああああ!!」 カリンが拳を突き上げる。
「てめえら!! 酒だ!! 飯だ!! 祭りだぁぁぁ!!」「おおおおおおおおっ!!」
村が揺れた。歓声が一斉に上がる。子供達が飛び跳ねる。男達が拳を打ち鳴らす。女達が笑いながら家々へ駆け出していく。
「肉を出せ!」「樽持ってこい!」「誰か川魚捕ってこい!」「燻製残ってたろ!」
瞬く間に村中が大騒ぎになった。
トウジは呆然としていた。「……なにこれ」
「歓迎されてるねぇ」 イリスが面白そうに笑う。「歓迎っていうか……」 エストも苦笑した。「村総出ですね」
トウジの記憶の中にあるアイラ村は、もっと静かな村だった。祭りなど滅多にない。食料だって余裕があったわけではない。なのに今は違う。
「……変わり過ぎ……」 思わず呟いた。
その声を聞いたカリンが笑う。「変わったともさ」 だが、それ以上は言わなかった。
「ほら、里親様がお待ちだ」 そう言って背中を押される。
トウジ達は、若い巫女に案内されて村の奥へ向かった。
大樹を囲む建物の中へ入る。板張りの長い廊下が続いていた。窓の外からは村人達の喧騒が聞こえてくる。
笑い声。怒鳴り声。樽を転がす音。どこかで子供達が走り回っていた。
「本当にお祭りみたいですね」 エストが小さく呟く。「祭りなんじゃない?」 イリスは肩をすくめた。「トウジ祭り」「やめて」 シュクリがくつくつと喉を鳴らした。
やがて巫女が一つの部屋の前で立ち止まった。
「こちらです」 案内された先は広い板張りの部屋だった。中央には祭壇があり、その前には五脚の床几。壁には精霊を象った木彫りや祭具が掛けられていた。
一行は促されるまま腰を下ろす。
しばらく待つ。外の喧騒だけが聞こえていた。
やがて、静かに扉が開いた。里親だった。そのまま祭壇の前へきて四人の対面に座る。
背筋が自然と伸びる。
場の空気が静まり、里親は四人を見回した。そして柔らかく微笑む。
「トウジ」「はい」「改めて、おかえりなさい」
その言葉に、トウジは姿勢を正した。
「里親様」 声も自然と引き締まる。「ただいま戻りました」 どこか儀礼めいた口調だった。
横でイリスが吹き出しそうになっている。エストは目を丸くしていた。
トウジは、真面目な顔のままだ。
里親はしばらくその姿を眺めていた。
そして、くすりと笑う。
「トウジも少しは大人になったのね」
「えぇぇ……」 一瞬で崩れた。居住まいも、表情も、全部だ。
部屋の空気が一気に和む。
イリスが吹き出した。「なにそれ~」「いやだって……!」 トウジが抗議する。
そのやりとりを見る里親は楽しそうだった。
「うんうん」 まるで昔と何も変わっていないと言うように、優しく頷いた。
「やっぱりトウジはトウジね」
和やかな空気が流れていた。
「トウジ、ちょっと時間もらうね」 不意にイリスがそう言って立ち上がった。
「ん?」 トウジが首を傾げる。
イリスは答えず、床几から一歩前へ出る。
静かに片膝をつき、右手を板張りの床へ。左手を胸へ添え、深く頭を垂れた。
その仕草を見たエストの目がわずかに見開かれた――ハイエルフの礼法?!
淡い金髪が肩から流れ落ちる。
静寂の中、イリスが口を開いた。
「ヘイム・エク。フェイル・ヴァル(――根は一つ。枝は遠く)」
聞いたことのない響きだった。歌うような、祈るような、どこか古い言葉。
トウジもシュクリも思わず口を閉じた。
里親は、静かに微笑んだ。そして答える。
「アイル・エク(――同じ樹なのだから)」
懐かしむように、慈しむように。
言葉が終わる。二人の間に、しばし沈黙が流れる。
不思議な時間だった。
会話は終わっている、なのに終わっていない。何かを差し挟める空気ではなかった。
しばらくのち、イリスがゆっくり顔を上げた。
立ち上がり、改めて頭を下げた。
「はじめまして、伯母様」 凛とした声だった。
「アエル・イリス・レア・アイヒラーと申します」
「え?」 トウジが固まった。「え?」 シュクリも固まった。
二人が同時にイリスを見る。
エストだけは大きく反応しない。
「そう」 里親が柔らかく笑う。
「イリス」 その呼び方はまるで昔から知っている子供へ向けるようだった。
「セレイナは元気なのでしょうね」「はい」 イリスの声も少し柔らかくなる。「母は元気です」
里親は満足そうに頷いた。そして少し困ったように笑う。
「でも伯母様はやめてちょうだい」「え?」
「せめてエイラと呼んで」
「……はい、エイラ」 イリスが素直に頷いた。
「よろしい」 エイラは嬉しそうに微笑む。
促されるまま、イリスも床几へ座り直した。
その様子を見ていたトウジが、ようやく口を開く。
「ちょっと待って」「なに?」 イリスがトウジの方に向く。
「イリスもアイヒラー?」「そうよ?」 あっさり返された。「そうよ、じゃなくて」
「真名はあまり口にするものじゃないから」 イリスは肩をすくめる。「ごめんね」
トウジは呆然とした。
横でシュクリがぽつりと呟く。「家族」「家族だねぇ」 イリスが頷く。
「いや待って」 トウジはまだ混乱していた。「なんで今まで黙ってたの?」「聞かれなかったし」「理不尽」
部屋の中に小さな笑いが広がる。
エイラはその様子を眺めながら、どこか懐かしそうに目を細めていた。




