6-2 西転
数日後、トウジ達は、獣王国西北端の小さな村へ到着した。河沿いに作られた集落だった。
低い木柵が周囲を囲み、入口近くには獣骨を吊るした見張り台が立っている。見張りの獣人が、ぼんやりと街道を眺めていた。
村の中心には小さな広場があり、その周囲へ粗末な建物が寄り添うように並んでいる。
乾燥肉を吊るした軒先。泥壁の家。藁を積んだ納屋。さらに外側には畑が広がり、ぽつりぽつりと家が点在していた。
「……ちっちゃい村」 イリスが周囲を見回しながら呟く。
「百人いるかどうか、ですね」 エストも小さく頷いた。
通りを歩く獣人達はこちらを警戒していたが、敵意まではない。旅人に慣れている顔だった。北へ行く者も、南へ戻る者も、この村を通るのだろう。
結局、一行は村の外れにあった納屋のような建物を借りることになった。乾いた藁の匂いが強い。
「ほぼ野宿だね」 イリスが梁を見上げながら言う。
「屋根、ある」 シュクリはさっさと隅へ荷物を下ろした。トウジも慣れた様子で壁際へ荷を置く。
「こんなもんでしょ?」
だが実際、村そのものに余裕がない。備蓄も、人手も、建材も。
夜になると、村はすぐ暗くなった。見張り火だけが木柵の外を赤く照らしている。
遠くで獣の遠吠えが聞こえた。
――翌朝。
トウジ達はその村から西への街道に入った。村を出てしばらくすると、道はすぐに細くなり、視界の中に森の占める割合が増えてきた。
最初は普通の森林だった。だが進むにつれて、景色が少しずつ歪み始める。
「……森、ヘン」 シュクリが周囲を見回す。
背の高い針葉樹の森の連なり。その中に不自然に低木草しか生えていない場所がぽつりぽつりとあった。まるで、森を丸く抉り取ったみたいだった。
さらに進むと、今度は逆に樹木だけが異様に密集して、枝同士が絡み合い、陽光を塞いでいた。
「植生が乱れてますね……」 エストが眉を寄せた。
「魔素の濃さが、まちまちなのかもね」 イリスが地面へ視線を落とす。「濃い場所と薄い場所とで、草木の育ち方が違ってくるの。濃い場所だと、高い木が育たない」「そうなんですね」
「根が持たないんだと思う。逆に草とか苔はやたら育つ」 低木ばかりの一帯を指差した。「変」 シュクリが短く呟く。
実際、奇妙な光景だった。森なのに、森が途切れている。しかも規則性がない。まるで土地そのものが斑に壊れているみたいだった。
トウジは、そんな二人の会話を黙って聞いていた。でもトウジには見慣れた景色だった。
夕刻近くまで西へ進み、一行は野営跡を見つけた。倒木を囲うように石が積まれ、黒ずんだ焚火跡が残っている。
シュクリがしゃがみ込む。「灰、まだ、新しい」
「じゃあ今晩は、ここにしようか」 トウジは荷を下ろした。
簡単な夕食を取り、焚火が小さくなった頃には、空はすっかり群青色へ沈んでいた。
森は夜になると急に静かになる。風だけが木々を揺らしていた。
「トウジ、村、わかる?」 焚火越しにシュクリが尋ねる。
トウジは少し考える。「うーん……あっち?」 何となく西を指差した。
「かなり不安なんですけど?」 イリスが遠慮なく突っ込む。
「……イリス」 エストが苦笑した。さすがにそこまで直接には言えない。
「いや、でもだいたいあっち」
「だいたいでいいもの?」
「帰れてた……よ……」
「すごい不安」 イリスは本気で言っていた。
トウジは少し困ったように頭を掻く。ふと後ろを振り返ると、野営地の背後に小高い丘がある。木々が疎らで、上まで見通せた。
「あの丘、登ってくる」「行く」 シュクリが即答する。
「わたしも!」 イリスも立ち上がった。
エストだけが少し迷ったが、結局荷物を置いて立ち上がる。
「……一人にする方が不安です」「ひどくない?」
そんなことを言いながら、四人は丘を登り始めた。
夜の森は暗い。するとエストが、小さく指を組んだ。
淡い光がふわりと浮かぶ。白に近い、柔らかな燐光だった。光球はゆっくりと一行の前へ浮かび、足元を照らす。
「便利」 シュクリが素直に感心する。エストは少し得意げになった。「でしょう?」
「ちょっと嬉しそう?」「気のせいです」 イリスがにやにやしている。
丘を登り切り、振り返った瞬間。
「これは……」 エストが息を呑んだ。
眼下には、黒々とした森が広がっていた。その所々に、淡い発光域が浮かんでいる。
青。緑。薄紫。ぼんやりと滲むような光が、夜の森へまだらに広がっていた。
さらに西、奥へ行くほど、その発光域は増えていく。森そのものが、淡く光を帯びているようだった。
そして、そのさらに奥、地平線近く。薄い光が、帯のように空間をうねっていた。地面から空へ溶け出すように、淡い光霧が、巨大な曲線を描いている。
その光に照らされ、手前の森の輪郭だけが黒く浮かび上がっていた。
「あの帯みたいな光は……?」 エストが呆然と呟く。「きれい……」 イリスも珍しく静かだった。
トウジは、その光の帯をじっと見つめる。
曲がり方。うねり。流れ。見間違えるはずがなかった。
里にいた頃は、いつもあの形を目印にしていた。森の中で迷子になっても、あの光の帯さえ見つければ、里に帰ることができた。
「うん」 トウジは静かに頷いた。「あの辺り」
二日かけて光の帯へ近づいていった。だが、ただ真っ直ぐ西へ向かえばいいというものでもなかった。
西へ進むほど、森の中には瘴気溜まりが増えていく。淡く光る薄墨色の霧のようなものが木々の間へ沈み込み、不自然に淀んでいる。
「また瘴気が……」エストが小さく息を吐く。
進路を少し変える。だが避ければ避けるほど、別の瘴気溜まりへ行き当たる。
森全体へ、まだらに染み広がっているようだった。
エストは、こんな風に瘴気が疎らに点在するものだとは知らなかった。
「大海嘯地帯に近いからかもね」 イリスが周囲を見回す。「地脈、水脈、風脈、みんな偏ってる」
シュクリは獣人の五感全部を使って瘴気の位置を把握しようとしていた。
トウジは少し顔をしかめていた。瘴気の甘ったるい――発酵した果実みたいな、重たい匂いがひっきりなしにするのに閉口していた。
昔感じていた、腐葉土と鉄が混じったような匂いがちょっと懐かしい。
「……なんか気持ち悪」「トウジでもそうなるんですね」
瘴気の中で散々戦ってきたトウジが、こんな顔をするのは初めて見た気がした。
トウジは首を振る。
「……味というか匂いが」「匂い?」 エストが首を傾げる。
「あー……甘ったる……」
「甘い?」 今度はイリスが反応した。「トウジ、瘴気そんな風に感じてるの?」
「え?」 逆にトウジがきょとんとする。「違うの?」
イリスとエストが顔を見合わせた。
「……違いますね」「少なくとも“甘い”は初めて聞いた」「え、そうなんだ」
トウジ自身、少し驚いていた。だが、説明しろと言われても困る。甘ったるいものは甘ったるいのだ。
それに気づいたのは、まずシュクリだった。
耳がぴくりと動く。
「……音」「音?」「戦ってる?」
一瞬遅れて、トウジも顔を上げる――遠い。だが確かに、金属音が混じっていた。
「……近くに妖精種いる」 イリスが真顔になる。「え?」「複数。逃げてる」
トウジがいきなり背負い袋を肩から放り落とす。
「トウジ!?」
次の瞬間には、もう駆け出していた。下草を蹴り、森を一直線に抜けていく。
「はやっ」
イリスが目を丸くする。
シュクリは慌てず、自分の荷を丁寧に木の根元へ下ろした。「行く」 一歩で加速し、森へ消えた。
エストとイリスは顔を見合わせる。
「……追いますよ!」「だね!」
荷物はその場へ放置。二人もすぐ後を追った。
森を抜けた先、そこには瘴気が濃く沈んでいた。トウジは、その中に躊躇することなく飛び込んだ。
その中心で、三人の子供が、小型魔物の群れへ囲まれていた。
獣人の少年、人族の少女が二人。皆、年は十にも届かないだろう。短刀を握り、背中を合わせている。その足元には、すでに数体の魔物が倒れていた。
周囲を取り囲む魔物達が、盛んに威嚇を繰り返す。しかし、子供たちの身構えは崩れない。
「何刻経った?」 剣をスラリと抜き放ちながら、声をかけた。




