5-8 自由交易都市ラグナ
荷馬車での旅にもすっかり慣れ、アエルン王国の国都フィンで二日ほど休息を取った後、一行はさらに東へ進んだ。
西方諸国最東端――ヴェルム王国国都カルディアを越え、緩衝地帯へ入る頃には、街道を行き交う人々の姿も随分変わっていた。
獣人族の商人。混血の傭兵。西方語に混じる獣人語。
そして街道沿いには、崩れた石壁や、打ち捨てられた古い集落跡が目立つようになっていく。西方域では、あまり見かけなかった風景だった。
この一帯は、かつて人族と獣人族が共存していた地域だったという。だが、大海嘯によって国々は崩壊し、そのまま長く空白地帯となった後、今は、自由交易都市ラグナだけが、この緩衝地帯における唯一の大都市として機能している。人族と獣人族、その双方を繋ぐ交易の要だった。
そのラグナは、高い城壁こそないものの、街そのものは平野に大きく広がっている。
人族、獣人族、混血種が入り交じり、街全体がごった煮のようだ。西方風の石造建築の横に、獣人族様式らしい天幕が張られているような有様で、様式も高さもバラバラで統一感があるとはお世辞にも言えなかった。街に漂う匂いも一種独特で、香辛料や焼いた肉の匂いと何かが発酵した匂いがないまぜになって辺りを漂っていた。
トウジ達の荷馬車が街の大通りへ入る。しかし、道いっぱいに人が溢れていて、なかなか前へ進めない。
荷台の隅から通りの様子を見ていたシュクリが、小さく呟く。「……獣人、多い」 耳が、いつもより忙しなくぴくぴく動いていた。
一方トウジも、幌の隙間から街並みを眺めていた。
「このあたり、ずいぶん変わったなぁ」「ん?」 シュクリが振り向く。
「ここ、前は空き地で、露店がいっぱい並んでたんだけど」 トウジの視線の先には、新しい石造建物が建っていた。「ずいぶんキレイになってる」
「来たことあるの?」 イリスが目を丸くする。
「うん、何回か。ずいぶん前だけど、傭兵の人達とか、老師とも来たことあるよ」
「……あぁ」 エストが小さく頷く。
「見るからに境界、って感じよね」 イリスは楽しそうに目を輝かせていた。その横で、エストが小さくため息をついた。
荷馬車は人混みを縫いながら、やがて、冒険者ギルド・ラグナ支部の裏庭へ入っていった。
王都支部ほど巨大ではないが、それでもかなり大きい。
裏庭には、交易商の荷車や長距離輸送用の馬車が何台も並んでいた。
トウジは荷台から降りると、周囲をぐるりと見回した。
「ここ、冒険者ギルドだったんだ」
「知らない?」
シュクリが首を傾げる。
「うん。当時は冒険者ギルド自体、知らなかったから」
少し恥ずかしそうに笑う。
「そこの路地、市場への早道で、よく通ってたんだけどね」
トウジは、建物脇の細い路地を懐かしそうに見ていた。
「っと、俺ぁここまでだ」 御者台から降りたブラムが、大きく背伸びをした。
長旅を共にした馬達の首を軽く叩きながら、
「いやぁ、今回は退屈しなかったわ」
「それ褒めてる?」 イリスが笑いながら返す。「別嬪さんが三人もいたからな」 ニヤッと笑ったあと、がはは、と豪快に笑った。
その横では、ギルド職員達が荷下ろしを始めている。
「にーちゃん達、この先は徒歩だろ?」
トウジが頷く。
「気ぃつけて行けよ。ここらは西方ほど平和じゃねぇからよ」
「うん」
「じゃ、俺は書類出してくらぁ」
「ブラムさん、ありがとう!」
トウジ達が口々に礼を言うと、ブラムは片手を上げ、そのままギルド建物の中へ入っていった。
その後、イリスとエストは聖環院支院へ顔を出すため、一度別行動となった。
イリスは、エストの制止の声も聞かず、さっさとギルドの外へ出ていく。
「イリス! せめて場所を確認してから――」
その後を、エストが慌てて追いかけていった。
トウジとシュクリはギルドに入って、その片隅で次の旅程の準備を進めていた。
徒歩移動用への荷の組み替え。保存食の買い足し。水袋の確認。
ナグルまでの簡易地図を広げるトウジ。
「ナグルまで、七日ぐらい?」「順調なら」
シュクリは、慣れた手つきで荷を軽量化していく。
「山道、多い。水場、少ない」「現地調達あり?」「あり」「じゃあ干し肉減らす?」「減らす」
そんなやり取りをしていた時だった。
ギルドの入口が、ばたんっと勢いよく開いた。飛び込んできたのは、若い人族の女性だった。飲食店の店員らしい簡素な前掛け姿で、息を切らしている。
「ここに、トウジさんって人います!?」
一階受付が、一瞬しんとなる。
「え?」 受付嬢が目をぱちぱちさせたあと、「あ、あちらです!」 迷わずトウジ達を指差した。
女性はそのまま一直線に駆け寄ってくる。
「よかった! すぐ来てくれって、エストさんって人が!」
トウジとシュクリが顔を見合わせる。「「イリス」だ!」
「場所は!?」「南市場通りの露店街!」「行くよ、シュクリ!」「ん」
二人は荷を放り出す勢いでギルドを飛び出した。
南市場通りは、大きな騒ぎになっていた。
露店が立ち並ぶ街路の一角に、人垣ができている。
倒れた椅子。転がる酒壺。散らばった串焼きや皿、酒杯。
その中心で、傭兵崩れらしい獣人達が、イリスとエストを囲んでいた。獣人達の後ろには、ひときわ大柄な獣人が、露店の長椅子にどっかり腰を下ろし、酒杯を片手に騒ぎを面白そうに眺めている。
獣人達が、怒鳴るように何かを喚いている。だが、人垣が邪魔でトウジ達からは様子がよく見えない。
「先、いく」 シュクリが短く呟いた。次の瞬間、トウジの肩へ軽く飛び乗り、その反動を利用して人垣の上を跳び越える。
「殺しちゃだめだよ!」
「ん」
「すみません! 通してください!」
トウジは慌てて人混みをかき分ける。その時だった。
「っざっけんじゃねぇ! テメェらやっち――!」
激昂した獣人の怒鳴り声――直後。
どごっ。
遠間から飛び込んだシュクリの前蹴りが、叫びかけた男の横腹へ深々とめり込んだ。
男は机ごと吹き飛び、そのまま地面を転がる。それを合図に、獣人達が一斉に襲いかかってきた。
「イリス、下がってください!」
エストが一歩前へ出た。飛びかかってきた獣人の腕を流すように掴み、そのまま地面へ叩き落とし、頚椎を決める。
鈍い音。「ぐっ……」 速い。容赦がない。
さらに別の獣人が短刀を抜き、エストの横をすり抜けイリスに迫る。
「ビリってするよ?」
イリスがにこやかな表情のまま、軽やかな足取りで短刀を躱し、男の腕に軽く触れた――バヂンッ! 何かが軽くはじける音と共に身体を硬直させ、短刀を突き出した格好のまま地面に突っ込んだ。獣人は、そのままの格好で白目を剥き、涎を垂らしながらビクッビクッと痙攣を繰り返していた。
「……えぐ」 人混みをかき分けて現場にようやくたどり着いたトウジが思わず呟いた。
シュクリは既に二人目を沈め終わっていた。エストは三人目を投げ飛ばして、四人目の胸倉を掴んでいた。そしてイリスは、なぜか串焼きを構えて見栄を切っていた。
トウジが止める間もなく、乱闘は終わっていた。
「……何したの?」
静まり返った露店街の真ん中で、トウジが辺りを見回しながら尋ねる。獣人たちはまだ辺りに転がったままだったが、トウジを呼びに来た女の子が、もう後片づけを始めようとしていた。シュクリはそれに手を貸しにいく。
エストが、疲れ切った顔で振り返った。
「イリスが酒席へ乱入しました」「乱入してないわよ、誘われたの」「結果は同じでしょう」 エストの声から感情が消えていた。
倒れた獣人の一人が、地面に転がったまま怒鳴る。
「親分より先に飲みやがって! 舐めてんんじゃねーぞ、このクソアマが! いててて……」
「あぁ……」 トウジが察した顔になる。
獣人の“群れ”では、長をまず立てる風習がある。酒席で最初に口をつける者には、特にそれが出る。
「露店の料理とお酒、とっても美味しそうだったの」
「それおいしいの? って聞いたら、相席を勧められ」
「飲んでみろって言われたから、乾杯になって」
「乾杯したから飲んだの」「……全部?」「もちろん全部!」
「初めての味だったけど、美味しかったよ」満面の笑みである。
「イリス……」
さらに別の獣人が怒鳴る。
「ガキが親分差し置いて飲み干すとか、喧嘩売ってん……のか……っつ……」
「ガキ?」 トウジが首をひねった。
そこでエストが、小さく息を吐いた。
「……それ、のせいですね」イリスの翡翠色の耳飾りを指さす。
「獣人たちには、イリスがイリスに見えてないはずです」
つまり獣人達から見えているのは、エルフのイリスではなく――“妙に態度のでかい若い獣人娘”。
「……あー」 トウジが完全に理解した顔になる。若い娘っ子にコケにされた群れ長。
酒杯を拾っていたシュクリが小さく呟く。「化か、された……」
「はっはっは!」
突然、大きな笑い声が辺りに響いた。トウジが振り返る。
「……あ」
声の主は、露店の長椅子にどっかり腰を下ろしている大柄な獣人だった。灰色混じりの鬣を、古傷だらけの手でもてあそんでいる。簡単に伸された手下を見ても平然としていた。
「なかなかイイ飲みっぷりの嬢ちゃんだ」 豪快に笑いながら、酒杯を掲げる。「しかも強ぇ」
倒れている手下達を見下ろした。
「お前ら鍛え直しだなぁ?」「親分!」「うるせぇ。先に手ぇ出したのはテメェらだろうが」
まるで気にしていない。というより、完全に面白がっていた。
「座ぁ、白けさせちまって申し訳ねぇな。よう姉ちゃん、店の中の席、空けてもらえんか? そっちで飲み直してぇ」
片付けを始めていた前掛け姿の女の子へ気軽に声をかける。
「いつもありがとうございます! ちょっと待っててください!」
女の子も慣れた様子で返事を返した。どうやらここの常連らしい。
「ほら、おめーらもさっさと起きな! いつまでも転がってんじゃねぇよ!」
怒鳴られた獣人達が、ぶつぶつ文句を言いながら起き上がっていく。
その様子を、トウジはなんとも言えない顔で見ていた。懐かしいような、困ったような、少しだけ嬉しそうな。
やがて、意を決したように口を開く。
「――群れ長。グロザのおっちゃん」
流れるような獣人語だった。
その場の空気が一瞬だけ止まり、全員が一斉にトウジを見る。
グロザが、ゆっくりと目を細めた。
「……あぁん?」
酒杯の向こう側から、トウジをじっと見る。
「そのへったくそな喋り方……」
次の瞬間――獣人の群れ長が、牙を見せて大きく笑った。
「なんだァ、おめぇ、トウジかよ!!」




