5-7 大陸古道 東行
「一緒に行くの!」
満面の笑みで宣言したイリスの翡翠色の耳飾りが、キラリと揺れた。
「えぇ……?」 トウジとシュクリが揃って困惑する中、イリスは気にもせず荷台へ乗り込み、木箱へぽすんと腰を下ろした。それと同時に、馬車がごとりと揺れ、ゆっくりと動き出した。
「イリス……ちゃんと説明を……」 イリスに続いて乗り込んでいたエストが、幌骨へ軽く手をつきながらこめかみを押さえた。顔色がものすごく悪い。
「エストに任せた」 イリスは軽く手を振りながら、荷台の中を興味深そうに見回している。「いろいろと運ぶんだね」「各地のギルドへの定期便らしいからね」
エストは力なく荷台に腰を下ろすと小さく息を吐いた。
「聖環院と千年王国とで協議した結果です。表向きは、聖環院依頼への随行支援という形になります」
「随行……ですか?」
ごとごと、ごとごと、と石畳の振動が荷台へ伝わってきた。
「書簡輸送自体は、従来から存在する正式な依頼です。ナグルの聖環院支所へ書簡が届けば、それでギルドとしての任務は終了します」
「問題は、その後です」 エストはそこで一度言葉を切り、目がトウジの方を向く。幌の向こうでは、王都の街並みがゆっくり後ろへ流れていた。
「……千年王国の意向です。どうしてもトウジの村について知りたい、と」
「ボクの村?」 トウジがきょとんとする。そこでイリスが、にこっと笑った。
「やっぱり気になるじゃない?」
「シェルなんて、目を三角にして“私が同行する”って言い出して大変だったんだから」 ――あははは、と楽しそうに笑う。「ルケン爺まで、“もちろんわしも行く!”とかムチャ言うし」
エストの目がさらに死んだ。なんとなく事情を察したシュクリが、小さく「うわぁ……」と呟く。
「最終的に、“それなら私が行く”とイリスが受けて、こういうことに」
「元々行く気満々だったからね」 イリスはものすごく楽しそうだ。それに比べてエストは無表情で目に光がない。
ごとんっ。轍を拾ったのか大きく揺れた。「ぅ……」 エストの身体が揺さぶられ、嗚咽のような声が漏れた。
「大丈夫?」 トウジが覗き込む。「……大丈夫です」 顔が土気色だった。
「……で、私はイリスの警護兼、聖環院側責任者として同行を命じられてます」
「……その疲れ方って……」「準備や引継ぎや、あれやこれやで。時間もなかったですから……」 力のない視線がイリスに向く。
「適当にやればいいって言ったのにね」「イリスは適当すぎます!……うっ……」
「適当って割と大事よ?」 イリスは真顔だった。エストは、もう反論する気力も残っていないらしい。
そのやり取りを見ていたシュクリは、荷台の隅でぼそっと呟く。
「……もう、疲れた」
トウジは、乾いた笑いをするしかなかった。
やがて馬車は、東門を抜けた。重厚な城壁を越えたときだった。トウジが、何かに気づいたように、ふと顔を上げる。「……?」
「トウジ?」 シュクリが怪訝そうに見る。トウジは、少しだけ首を傾げていた。「なんか……急に静かになった?」「静か?」「う~ん……」 うまく説明できない。
王都の中では、ずっと頭の中で薄く鳴っていた音が、急に途切れたような……気がした。消えてはじめてはじめて気づくような、なにか。だが、それも今はもう流れて消えていた。
馬車は王都郊外の街道へ出た。
城壁の外では、ちょうど夏麦の収穫が始まっていた。街道沿いに広がる黄金色の畑。その中で、農夫達が鎌を振るい、刈り取った麦を束ねている。すでに刈り取りの終わった畑では、乾燥や脱穀の作業が進められている。
麦畑を縫うように走る土の街道は、石畳ほどではないが、それでもゴトゴトと荷馬車を揺らす。そのたびごとに、「ぅ……」 エストのつらそうなうめき声が小さく聞こえる。
トウジはそんなエストを見て、ふむ、と考え込んだ。そして、外の畑へ視線を向ける。
――あれだ。
「すみません、止めてもらっていいですか?」 御者へ声を掛けると、荷馬車は街道脇へ寄せられる。
トウジは荷台を飛び降り、そのまま畑の方へ駆けていった。シュクリとイリスが何事かと、トウジを目で追う。ぐったりとしているエストも目を上げた。
トウジは、しばらく農夫達と話をしたあと、何かを手渡し、麻袋と大量の麦わらを抱えて戻ってきた。
荷馬車の横まで運んでくると、そこでトウジは麻袋へ麦わらをぎゅうぎゅうに詰め込み始めた。藁の向きを揃え、押し込み、袋口を縛る。さらにもう一つ。さらにもう一つ……。やがて、大きな藁袋がいくつも出来上がった。
「座ってみて」 トウジは、それを荷台に置いた。
藁袋の上にポンっと乗っかったイリスが、目を丸くした。「あ、柔らかい!」
藁が程よく沈み、振動をかなり吸収してくれるはずだ。麦わら特有の、青っぽく乾いた香りがふわりと漂った。
「……」 エストは少し驚いた顔をしている。身体の小さなシュクリは、藁袋一つに埋もれそうだ。「これ、いい」「でしょ?」 トウジが少し嬉しそうだった。
藁袋を荷台へ敷き詰める。御者さんにも一つ渡しておいた。
「……ちくちく」 寝っ転がったシュクリが真顔で呟いた。
その後しばらく、荷馬車は大陸古道を東へ進み続けた。街道沿いの宿場町を渡り、各地の冒険者ギルドへ荷を降ろし、聖環院の支院に挨拶に出向く。時には隊商と並走しながら進み、野営を共にすることもあった。
西方地域の街道はよく整備されており、旅そのものは概ね平穏だった。エストの体調も元に戻ったが……。
「イリス、お願いですから“楽しそう”だけで物事を決めないでください……」
「イリス、“少しだけ”と言いながら大量の果物を買ってくるのは止めてください……」
「イリス、問題になりそうなところへ自分から近づいていくのはなぜなのですか……」
どうやら、エストの琴線に触れる人材がもう一人、増えたようだった。
旅も七日を越えた頃には、荷馬車での移動にもだいぶ慣れてきていた。
街道は利用する人も多く、街道沿いには宿場町や小村も多く点在している。その日も、馬車はエルン王国に接するウィンル王国の東部国境を目指して順調に進んでいた。
御者台では、トウジが手綱を握っている。
「そうそう、力入れすぎんな。馬ァは引っ張るより、揺らして教える感じだ」「こう?」「そうそう、うまいじゃねぇか」
隣では、御者のブラムが感心したように頷いていた。
「冒険者、やめたんですか?」「うだつ上がんなくてなぁ。剣より馬の方が向いてたって訳だ」がはは、と笑う。
後ろの荷台では、イリスとエストが携帯用の盤上遊戯に興じていた。
「はい、今度は私の勝ち」「うそ、そこ読む!?」「イリスは勢いに任せすぎです」「そっちの方が楽しいじゃない」「それでいいんですか?」 いい勝負らしい。
一方シュクリは、藁袋に埋もれるように横になっていた。起きているのか寝ているのか分からない。
「にしても、平和ですよね」「西方域じゃ一番まともな道だからな。いろんな意味で」
「じゃ、野盗とかも?」「あまり聞かねぇなぁ。それによ、この紋章の入った荷馬車を襲う馬鹿ぁいねぇよ」
ブラムは荷台横の焼き印――冒険者ギルドの紋章、を親指で示す。
「襲ったが最後、どこの国へ逃げても追われる。んで――」 片手で首を掻き切る真似。「こう」「こわ~……」「ギルド、そういうとこ徹底してっからな」 妙に実感がこもっていた。
しばらくして、ブラムが思い出したように笑う。
「最近よぉ、他所のギルド行くと聞かれるんだよ。“王都に変なのいるらしいな”って」「変なの?」「見習いのくせに王宮の姫君に見初められたとか、北方の魔王と闘ってきたとか」 ちら、とブラムがトウジを見る。「にーちゃんのことじゃねぇの?」
「いやいや」――トウジは苦笑しながら手綱を軽く揺らした。
「否定弱ぇなぁ」「そんな人いたら会ってみたいですね」
そう言って前へ視線を戻した、その時だった。
街道の先に広がる風景を見て、ふと胸の奥が引っかかる。なだらかな丘陵。黒々とした森の連なり。風に揺れる針葉樹林。
「……?」「どうした?」「いや……なんか」 見覚えがある、どこかで……。
トウジは振り返り、荷台の方を見る。
「エスト、この辺って……」
盤面から顔を上げたエストが、少し意外そうな顔をした。
「よく分かりましたね」「え?」「以前、トウジが助けた村――ホローム村が近いです」
「あぁ……もうそんな東に来たのか……」 そこでようやく繋がった。この冬に参加した魔物の討伐地域だった。
「意外とちゃんと覚えてるんですね」「なんとなく、だけど」
風景の方を覚えていた。いや覚えていたというより、強烈な印象が残っていた。赤黒くほの暗い陽炎の揺らぎの前にくっきりとした稜線を見せた森の重なりや地面のうねり、隘路の紆曲。
ふと、トウジは左腕へ視線を落とした。
半袖に半ば隠れてはいるが、血管が浮き出たような黒い模様が薄く浮かんでいる。最近、これが疼くこともなくなっていた。左胸の奥に感じていた掻くような痛みもここしばらくは感じていない。
もしかすると、もう収まったのかもしれない。
そんなことをぼんやり考えながら、トウジは再び前を向いた。
荷馬車は、次のアエルン王国へ向けて大陸古道を東へ、ゴトゴトと進み続ける。




