5-6 指名依頼
冒険者ギルド王都支部の朝は早い。
まだ空が白み始めたばかりの時間帯から、裏口では荷運びが始まり、宿直職員から早番職員への引き継ぎが行われる。夜間に持ち込まれた緊急依頼の整理、遠方支部から届いた早便の確認、掲示板へ貼り出す依頼書の選別、帳簿確認、薬品庫点検。やることは山ほどある。
そして、その全部を誰より早く支部へ来て、確認して回る男がいた。冒険者ギルド王都支部事務局長である。
「そっちの討伐依頼、報酬額の桁違うぞ。書き直し」「はい!」
「薬草買取、昨日の相場で止まってる。更新」「すみません!」
「受付三番、今日は新人入るから中堅どころを補助につけて」「了解しました!」
結果として、職員達は文句を言いながらも従う。
そんな慌ただしい朝の仕事も一段落し、ようやく事務局長は一階受付奥の机へ腰を下ろした。
職員が淹れてくれた濃いお茶をすすりながら、早便で届いた書類束をぱらぱらと捲っていく――王都南門付近の小競り合い。東部街道の荷馬車事故。地方支部からの人員の派遣要請。
いつもの仕事だった――だが。
「ぶっ――!!」 盛大にお茶を噴き出した。
一階受付が、一瞬静まり返る。依頼受付へ並んでいた冒険者達が一斉に振り向き、職員達も固まった。
「……またぁ?」「最近の事務局長、ちょっと面白すぎない?」「いや笑えねぇよ。大体その後、こっちに被害来るんだぞ」 ひそひそ声があちらこちらから飛ぶ。
だが、そんな周囲の反応などまるで気にしていない様子で、事務局長は慌てて書類束を机へ叩きつけるように置き、その中から数枚だけを猛烈な勢いで抜き出した。
「は!? いや待て、早すぎんだろ!」紙をめくる。次を読む。さらに顔が険しくなる。「マジかこれ……!」
二階――支部長室の方向を見上げる。
「くそっ、まだ来てねぇか……!」 乱暴な呟きだった。
早番の職員達の顔色が変わる。
「あ、また何か起きる」「今度は何です?」「胃薬足ります?」「お前ら俺をなんだと思ってんだ」「苦労人?」「くそぉ、否定できねぇ……!」
そんな騒ぎから、およそ一時間後。
支部長室。
机へ並べられた書類を前に、支部長は静かに頭を抱えていた。
「……メンドクサイ……」朝特有のちょっとしわがれた声を絞りだす。
「全部、トウジな」
事務局長は死んだ目で答えた。
「しかも“専属契約”だ。笑っちゃうだろ?」
ギルドにおける専属契約とは、契約した者からの依頼を優先的に特定の冒険者へ依頼を割り当てる契約である。指名依頼もそれに含まれる。
もっとも、それ自体は珍しくない。問題は、その契約相手先だった。
「王国は、北方領域再調査の指名依頼。ドワーフ地下王国系の魔導器商会が、トウジへの専属契約打診。さらに千年王国系交易組織からも同じく打診がきている」
机へ並ぶ三通の書類。どれも、国家組織が背後にいる。
支部長は、一枚を手に取った。
「……契約料、高っ」「だな。局長やって長いが、初めて見たわ」
事務局長が思わずため息をつく。
「普通の商人ならこんなの絶対にやらん。金銭効率最悪だからな」
契約金に更新料、専属契約はバカ高い。その対価として優先配置義務を負い、割り当てられなければギルド側は理由を説明しなければならない。
「トウジの所在確認が主目的、か」 支部長がぼそりと呟いた。
「だろうな」「契約で縛ってくるって国家がやることか?!」「で、どうするよ? っつーても、受けざるを得んと思うけどな」 事務局長、半笑いである。
「……メンドクサイ……」「いまさらだな」
支部長は椅子へ深く身体を預ける。天井を仰いだ。
「……で、当人は?」
「さっき来て、シュクリと作業場だ」 ギルドの裏手を指す。
「いつも通りだな」「あぁ、真面目なもんだ」
二人は同時に深いため息を吐いた。
「シュクリ、これなに草?」
「それ毒」
「危なっ」
二人は、昨日採取してきた薬草を普通に仕分けていた。
その日もトウジとシュクリは、ギルド裏手の作業場にいた。討伐帰りの冒険者たちが持ち込んだ鉱石から、魔石を選り分ける作業である。
「これ、魔石?」「違う、石」「難しい……」「慣れ」
シュクリは淡々と答えながら、トウジが外した小さな鉱石を拾い上げて陽へ透かした。内部にうっすらと青白い筋が見える。
「魔素、ある」「……全っ然わからん……」
最近のトウジは、こういう地味な作業まで普通にやる。シュクリに言わせれば、見習い級だからあたりまえということらしい。
ギルドの職員達も、最初こそ戸惑っていたが、今ではまったく普通のこととして扱っていた。
「トウジー、シュクリー」 裏口から職員が顔を出した。「事務局長が呼んでる。二階」
作業していた職員達が、一斉に嫌な顔を見せる。
「あっ」「またか」「今度はどこの使者?」「よし、心の準備をだな……」「胃薬の準備もな」
トウジとシュクリは顔を見合わせた。
「なんだろ」「……鬱」「一言じゃん」「憂、鬱」 トウジはちょっとおもしろかった。
二人は手を洗うと、そのまま二階へ向かう。通されたのは、小さな打ち合わせ部屋だった。
中には既に三人。事務局長と白を基調とした神官服を纏う男女が二人。最近ギルド内でよく見かけるようになった四柱聖環院の神官だった。
「来たか」
事務局長は机へ置かれた書類を軽く叩いた。
「聖環院からの指名依頼だ」「指名?」 トウジが首を傾げる。一方シュクリは、その時点でもう嫌そうだった。
事務局長は神官二人を手で示した。
「四柱聖環院王都本院の神官さん達だ。今回の依頼担当ってところだな」
神官達が静かに一礼する。
「よろしくお願いします」「……よろしく」 シュクリの返事は、いつもより少し硬かった。
神官の一人――壮年の男性が、書類を開く。
「依頼内容ですが、東方――獣人群王連合のナグル聖環院支院への書簡輸送です」
「獣人群王連合?」 トウジの目が少し丸くなった。
「はい。大陸古道を使ってウィンル、アエルン、ヴェルムの西方諸国を抜けていただきます」
机へ簡易地図が広げられる。
「順調に進めば往復で二か月。余裕を見て三か月ほどの旅程になります」
「三か月……」 シュクリが、わずかに遠い目をした。見習い級としては、かなり長距離の輸送依頼である。
「もっとも」 神官は続けた。「旅程途中にある聖環院支院にて支援が受けられます」
「支援?」
「宿泊場所、食事、簡易治療、補給支援などです」
つまり。
「荷物、減る?」 シュクリが確認する。「かなり軽減できるはずです」
その瞬間だけ、シュクリの表情が少し緩んだ。長距離旅程で最も重いのは、水、食料などの野営装備だからだ。
「ただし」 そこで神官の声音が少し低くなる。「獣人群王連合では、対人族感情が現在も良好とは言えません」
部屋の空気が、少し静まった。
「百年前の戦争以降、現在でも軋轢は残っています」
「不要な揉め事は避けてください。特に国境周辺では」
「はい」
トウジは素直に頷いた。一方、シュクリは、小さく視線を落としていた。
「……シュクリ?」
「一族、そこの出」「へぇ」「でも、私、知らない」
それだけ言って、シュクリは視線を逸らした。
「……嫌われ、てる」
部屋の空気が、一瞬だけ微妙になる。
百年前の戦争で、獣人群王連合内部で起きた分裂と人族側へ協力した獣人氏族。そして、その末路。
「そうなんだね」 トウジだけは、いつも通りの顔だった。
「じゃあシュクリ、嫌なら無理しなくても――」
シュクリが小さく首を振る。
「え、でも」「トウジ、無茶、する」「えぇぇ~」
シュクリは小さくため息を吐く。
「……少し、だけ」
「見て、みたい」
神官は静かに頷く。「書簡の準備は明日には整います。可能であれば、早期出発をお願いしたい」
事務局長は腕を組みながら、じっと二人を見た。「で、受けるか?」
トウジはシュクリを見る。シュクリは少し考え込んでから。
「……いく」 と、小さく答えた。
出発の日の朝。
冒険者ギルド王都支部の裏庭には、一台の馬車が停まっていた。分厚い幌を掛けた大型の荷馬車。側面には、冒険者ギルドの紋章が焼き印されている。
「へぇ……」 トウジは、少し感心したように馬車を見上げた。シュクリは、荷台を覗き込みながら眉をひそめる。「……広い」 荷台には木箱や麻袋が積み込まれていたが、量は意外と少ない。奥には二人が十分座れる空間が確保されていた。
見習い級冒険者の長距離遠征としては、明らかに待遇が良すぎた。本来なら隊商へ便乗するか、乗合馬車をいくつも乗り継ぐような距離だが、今回は各国冒険者ギルドへの荷物配送任務に便乗する形になっていた。
「ついでっぽいね」「きっと、ちがう」「そう?」 腕組をしたシュクリがトウジを軽く睨む。
御者台では、ギルド所属らしい壮年の御者が馬具を確認している。かなり手慣れていた。その周囲では、職員達が最後の積み込み作業を行っている。朝の裏庭は妙に慌ただしかった。
その中を、事務局長がずかずかと歩いてくる。
「忘れ物は」「シュクリが確認したから大丈夫です」「……シュクリも大変だなぁ」「うん?」
事務局長は、書類を入れた行李を御者に渡しながら、なにやら話をしている。トウジとシュクリは、それを横目で見ながら荷台に乗り込んだ。
「準備はいいかな、道中は適当にね」 事務局長が二人に声をかけると、御者が手綱を軽く当て、馬車はゆっくりと動き出した。
「じゃ、行ってきます」「……行ってくる」 トウジとシュクリは、荷台から顔を出して手を振る。
職員達からも、「気をつけてー!」「土産よろしく!」「トウジ! 問題起こすなよ!」と声が飛んだ。
王都の街路を、荷馬車はゴトゴトと音を立てながら進んでいく。夏とはいえ朝の風はまだ涼しく、幌の隙間から吹き込む空気が心地よかった。
「三か月……」 シュクリは、すでに少し疲れた顔をしている。
「まだ出発したばっかだよ?」「長旅、考える、疲れる」
そんな会話をしているうちに、馬車は裏道を抜け、大通りへ入った――途端。
がたんっ、と荷台が大きく跳ねる。「うわっ」 トウジの身体が軽く浮いた。
王都中央の大通りは石畳だ。見た目は立派だが、荷の軽い馬車には振動がきつい。ごとごと、ごとごと、と絶え間ない揺れが続く。
「この道、嫌い……」 シュクリが真顔で呟いた。
御者は慣れた様子で馬を操り、大通りをゆっくり東門へ向かって進んでいく。
馬車の後ろに見える王都の大通りは、朝だというのにもう人で溢れていた。行き交う人たちの向こうに、白い石造りの建物が軒を連ね、それを朝日が照らしている。馬車が進むたび、その景色が少しずつ後ろへ流れていった。
トウジは、ぼんやりそれを眺めていたが、不意に馬車が止まった。
「?」 トウジは幌の隙間から外を覗く。まだ城壁門すら抜けていない場所だった。
「なんで止まったの?」「さぁ?」
外から慌ただしい足音が近づいてくる。
「ちょっ、待ちなさいイリス!」「この荷馬車みたい! 間に合ったんだから問題なし!」「問題しかありません!」
次の瞬間、ばんっ、と勢いよく幌が開く。
「おはよう!」
満面の笑みの人族風のイリスが荷台へ飛び込んできた。その後ろから、死んだ目のエスト。
「……失礼します」
トウジとシュクリは、揃ってぽかんとする。
「化けた?」「……なんで?」




