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5-5 諮問3

「……ワシからの質問は以上じゃ」


 ルケンは低くそう言うと、背もたれへ深く身体を預けた。やがて、白髭をゆっくり撫でながら目を閉じた。


 その様子をみて、今度はシェルディンが口を開く。


「では、私からも一つ」 穏やかな声音だった。


「勇者トウジ殿の出身の村ですが――祭祀を司る者がいたのではありませんか?」


「祭祀?」 


 シェルディンは、ゆるやかに聖女へ視線を向けた。


「そこにおられる聖女様のようなお方です」


 トウジは素直に頷いた。


「あぁ、はい、いました」


 そして、少しだけ嬉しそうに続ける。


「たぶん、里親様がそうだったんだと思います」


「里親」 シェルディンの目が、思案をする目になる。


「そう呼ばれていたのですか?」


「はい」


「……その方は、もしかしてエルフだったのでは?」


「はい、その通りです」


 トウジは、どこか懐かしそうに笑った。


 シェルディンとイリスが、納得の頷きを返し、ルケンも目をつぶったまま頷く。


「失礼だが」 そこへマルヴォロス公爵が口を挟んだ。


「エルフに結界や瘴気の浄化能力があるとは、寡聞にして聞いたことがないのですが」


 もっともな疑問だった。だが、エルフ達が口を開くより早く、聖女が微笑む。


「妖精種をお忘れですよ、公爵」 柔らかな声。「エルフの精霊魔法はご存知でしょう?」


「……むろん」


「妖精種だけでは無理でしょうけど、精霊魔法による支えがあれば、小さな村ぐらいなら聖域を保てるのではないかしら」


 ころころと鈴の鳴るような声音。


「それに、瘴気って妖精種にとっては天敵みたいなものですし、浄化もできそうですわね」


 公爵の眉が、ぴくりと動いた。知識不足を指摘された形になったからだ。その隣で、国王が、なんとも言えない顔で口元に手を上げていた。


「あと一つ、お聞きしたい」 シェルディンが静かに続けた。


 トウジは、どうぞ、という顔で頷く。


「“アイヒラー”という姓も、その里親から?」


「はい」 即答だった。「村を出る時に、いただきました」


「……いただいた?」


「外の世界と繋がるなら、名前が必要になるからって」


 トウジは、少し思い出すように言葉を続ける。


「姓は、人と世界と時を繋ぐものだから、ちゃんと持っていきなさいって」


「――!」 シェルディンの呼吸が、止まった。長命種特有の静かな表情が、初めて揺らぐ。


 姓とは、人と社会と時を繋ぐ楔。それは千年王国の古い思想。古くから姓を紡いできた――まさにハイエルフの思想だった。


 祭祀、浄化、結界、妖精種、外縁。そして、“アイヒラー”。


 そこまで揃えば、もう一人しか浮かばない。


 ありえない、ありえるはずがない。だが、もし本当に、そうだというのなら――。


「シェル?」 イリスが不思議そうに覗き込む。


 だがシェルディンは、それには答えず、静かに目を伏せる。


 その沈黙だけで、この場にいる者たちは理解した。


 今、何かが繋がったのだと。それはきっと、ハイエルフの古老が、沈思黙考するほどの大きな何かなのだろう、と。


 誰も、すぐには口を開かなかった。


「……本日は、ここまでとしましょう」


 静かな声で、シェルディンがそう告げるまでには、空白の時間が少しばかり必要だった。




 シェルディンの閉会の言葉を合図に、室内の空気がゆるやかに動き出した。


 椅子を引く音。紙束をまとめる音。


 控えていた侍従たちが、静かに動き始める。王国側の随員たちが控えの間から入室し、公爵を中心に小声で何かを確認しながら退出の準備を始め、聖環院側も席を立つ。


 その中で、真っ先に動いたのはエストだった。音もなく立ち上がると、聖女に一言なにかを告げ、そのまま自然な動作で後方扉へ向かう。それを見送った聖女が、満足そうに微笑んだ。


 一方、トウジとシュクリは、まだ少し呆けていた。


「……終わった?」「たぶん」


 侍従のエルフに促され、二人も席を立つ。そのまま後方扉から控えの間へ通されると、シュクリが盛大に息を吐いた。


「疲れ、た……」「ね……」 トウジも思わず頷く。


「もう終わったし、帰ろうか?」「帰る……」 シュクリは完全にその気だった。


 二人は、控えの間にいた侍従へぺこりと頭を下げる。


「もう帰ります」「……す」


 侍従のエルフが、一瞬だけ目を丸くした。二人はそのまま廊下へ出ていった。


 静かな長廊下の窓から初夏の風が吹き込み、白い薄布を揺らしている。その風に乗って館独特の薬草と香木の香りが運ばれてくる。


「なんか、すごかったね」


「お腹、いっぱい…」


 そんなことを話していた、その時だった。


 廊下の向こうから、足音が近づいてくる。しかも速い。


「――トウジ」 エストが、ほぼ勢いそのままにトウジの腕を掴んだ。「うわっ」「こちらへ」「え?」「早く」


 腕を掴んだまま来た廊下を引き返し始める。


 シュクリはぽかんとしてその姿を見送っていたが、「あなたもです」と言われ、「へ?! えっ?!」 反射的に二人を追いかけることになった。


 三人は、そのまま長い廊下を足早に進む。角を一つ曲がったところで、背後――さっきまでいた控えの間のあたりに、急に人の気配が増えた。ざわつく声、複数の足音、王国側の随員たちだろう。


 エストは、その気配を感じ取ると、ほんの少しだけ表情が緩んだ。そして、そのまま廊下を進み、複数並んだ扉の一つを軽く叩いた。


「どうぞ」


 通された部屋は、先ほどの諮問室よりもずっと柔らかな空気をしていた。白を基調にした控えの間で、 窓際には花が飾られ、初夏の風にゆるやかに揺れている。


 ほのかな香草茶の香りの中で、長椅子へ腰掛けた聖女が、くつろいだ様子でこちらを見ていた。


「あら、おかえりなさい」


 ころころと笑いながら、まるで、友人でも迎えるような親しげな声音だった。


 トウジは思わず固まる。改めて見ると、とんでもなくきれいな人だった。


「えっと……」


 当惑真っただ中のトウジの横で、エストが小さく息を吐いた。


「説明します」 完全に仕事中の顔だった。


「トウジは現在、こちらの聖環院、聖女様の庇護下にあります」


「ひご……?」


「自由ですが、留意すべきことがたくさんあります」


「りゅうい……?」 全然わかっていない顔。


「トウジを中心にして結びついている人がいることを忘れるなってことです」


 トウジは、少し考え込む。


「……ボクが勝手に動くと、困る人がいる?」


 エストは、一瞬だけ目を瞬かせた。そして、ほんの僅かに肩の力を抜く。


「そういうことです」


「うん……」 トウジは頷いた。「わかった」


 聖女は、そのやり取りを見ながら、なんだかとても満足そうだった。


「ふふ」 小さく笑う。


「エステリーナ、貴女、容赦ないけどちゃんと信頼されているのね」


 エストは、微妙に視線を逸らした。


「……仕事ですので」「はいはい」


 聖女は楽しそうに笑う。そして改めてトウジを見る。


「そういうことだから、よろしくね。勇者トウジ・アイヒラー君」


「あ、はい。よろしくお願いします」


 ぺこりと頭を下げた、その時だった。


 控えの間の扉が、勢いよく開いた。



「アエルナ! あなたいつの間に、聖女って――」


 そこまで言って、イリスは、部屋の中を見回した。


 長椅子へ腰掛ける聖女。その傍らに立つエスト。そして、なぜかお茶を出されているトウジと、その横で完全に固まっているシュクリ。


「……あれ?」 ぱちぱちと瞬きをする。「なんでトウジ達がいるの?」


 問いかけながらも、その視線は自然と聖女へ戻っていった。


 ほんの少しだけ空気が変わる。


 “イリス姉さま”と、無邪気に後ろをついて回っていた幼かった少女が、いつの間にか聖女と呼ばれるようになっていた。


 まともに顔を合わせるのは、何年振りだろうか。


 いろいろな思いが胸に広がり、思わず言葉が出なくなる。聖女――アエルナは、そんなイリスを見上げ、そしてふわりと笑った。


「久しぶりね、イリス姉さま」


 その呼び方は、まったく変わっていなかった。年月の隔たりが一瞬で解け去り、次の瞬間には、困ったように笑っていた。


「……もう、そんな呼び方する歳じゃないでしょ」


「私は好きよ?」


「ずるいなぁ、アエルナは」


 ころころと笑う聖女を見て、イリスも肩の力を抜いたように笑う。



 トウジは、その様子をぼんやり眺める。――イリスは誰とでもあんな感じなんだな。自分を棚に上げてそう思っていた。


 一方シュクリは、――聖女様が。――ハイエルフ様を。――姉さま呼び。その情報量の多さに思考が追いついていなかった。


「シュクリ、顔すごいよ?」「もう、む、り……」


 イリスは、けらけら笑いながらそのまま空いていた長椅子へ腰を下ろす。


「それで? 何話してたの?」「ふふ」 アエルナは楽しそうに笑った。


「勇者君が、こうしてイリス姉さまと会えるようにしてくれたから」


 そして、少しだけ柔らかく目を細める。


「ありがとう、って」


「なによそれ」 イリスは呆れたように笑った。だが、その声音はどこか優しい。


 アエルナは、ころころと笑いながらトウジへ視線を向ける。


「勇者君、ちょっとこちらへ来てくれる?」


「あ、はい」 素直に立ち上がり、長椅子の前まで歩いていく。


「膝まずいてもらえるかしら」


「聖女様?」 エストが思わず声を上げた。アエルナは悪戯っぽく笑う。「ちょっとしたお礼」


 トウジは特に疑問も持たず、その場で片膝をついた。


 アエルナは静かに右手を伸ばす。白く細い指先が、そっとトウジの頭へ触れた。


「少し、頭を下げて」「こうですか?」「ええ」


 アエルナはもう片方の手を胸元へ添え、小さく指を結ぶ。


 瞼が静かに伏せられた。唇が、小さく祈りの言葉を紡ぐ。


 すると、トウジの頭へ触れていた指先に、淡い光が灯った。柔らかな、春の日差しのような光。


 だが、その瞬間。


「あら?」


 不意に、アエルナの言葉が止まった。部屋の空気が、一瞬だけ静まる。


 アエルナは、軽くトウジを見下ろしたあと、ゆっくりとイリスへ視線を向けた。


「ん?」 イリスは、何? と言いたげに笑っている。


 アエルナは数秒だけその顔を見つめ――。


「……イリス姉さま。いえ、なんでもないわ」


 そう言って、小さく笑った。


 そして何事もなかったように、再び祈りを続ける。今度は途切れない。


 淡い光が、ゆっくりとトウジを包み込んでいく。頭から、肩へ、胸へ、全身へ。


 ぽかぽかとした温かみだけが静かに広がっていき――。やがて、春風のように穏やかに消えていった。


「……?」 トウジは顔を上げる。そこには、柔らかく微笑むアエルナがいた。


「聖女の加護よ」 くすりと笑う。「お守り代わりね」


 そして少しだけ困ったように続けた。


「貴方には、あまり必要なさそうなんだけど」


 トウジはよく分からないまま、とりあえず頭を下げた。


「ありがとうございます?」


「どういたしまして」 アエルナは上機嫌だった。


 だが、その直後、彼女は部屋の面々をぐるりと見回し――。


 なぜか少しだけ、不穏なことを口にした。


「それにしても」 にこり、と笑う。「勇者君、“女難の相”はいつ出てくるのかしら」


「え?!」 トウジが素っ頓狂な声を上げる。


 一方。


 「!」 エストとシュクリは、ほぼ同時に固まっていた。


 イリスだけが、「なにそれ、ちょっと面白そう」 と完全に他人事の顔をしていた。


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