5-4 諮問2
この後も、マルヴォロス公爵主導による諮問は続いた。
魔素の分布状況、濃度変化、移動経路の変異、森の植生変化――内容そのものは、一見すれば北方探査報告の延長線上にあるものだった。
だが、その質問の向く先は明らかだった。帰らずの森を含む北部辺境域を、王国防衛へどう組み込むか。特に帝国国境方面を意識しているのは、エストにも分かった。
だからこそ、逆に違和感が残る――わざわざ召喚状まで出して聞く内容なのだろうか。
確かに、冒険者ギルド所属の人員を王国が直接呼びつけるには、それ相応の名目が必要になる。しかも今回は、正式な使者を立て、王国御璽付きの召喚状まで送達しているのだ。
聖環院との盟約に半ば抵触してまで行うには、どうにも釣り合わない。この程度の情報収集だけが目的とは、エストには思えなかった。
静かに視線を移す。
長机最奥。見知らぬハイエルフとドワーフ。二人は、最初からほとんど口を挟んでいない。ただ静かに、トウジを観察していた。
エストは、この館へ足を踏み入れるまで知らなかった。王城の一角に、エルフとドワーフの居留地が存在していることを。おそらくは、公然の秘密というやつなのだろう、知る者だけが知っている。
そして、この場で本当に重要なのは、彼らの方――。
「エステリーナ」
隣から、小さな声がかけられた。聖女だった。視線は正面へ向けたまま。
「そろそろ茶番が終わりそうよ」 ころり、と鈴が転がる時のような声音で告げる。
「心の準備をしておいてね」
エストは、ほんの僅かに頷く。
「――ひとまず、以上だ」 マルヴォロス公爵が言葉を切った。そのまま隣席の国王を見る。国王は黙って頷いた。
それを合図にするように、後方へ控えていた文官、騎士、記録官たちが一斉に席を立つ。静かな足音が、後方扉の向こうへ消えていく。
残されたのは。
国王とマルヴォロス公爵。
聖女とエスト。
シェルディンとルケン。
そして、トウジとシュクリだけ。
しばらく誰も口を開かなかった。静寂が辺りを支配しかけようとした時、かちゃり、と控えめな音がした。
暖炉脇の扉が開き、現れたのは、淡い金髪の少女だった。軽やかな足取り。室内を見回しながら、柔らかく笑っている。
イリス・レア。
トウジとシュクリは、それほど驚かなかった――ああ、来たんだ。くらいの感覚だった。
ただ、イリスの醸し出す雰囲気が途中で変わった。
イリスは部屋の面々へ順番に笑顔を向けていたが、聖女の顔を見た瞬間だけ、ほんの少し驚いたように目を見開いた。そして、今までで一番自然な笑みを浮かべた。
それに対する聖女も、――ああ、やっぱり。そんな顔をしたあと、心から嬉しそうに微笑む。
軽く頭を下げる聖女へ、イリスも気安く手を振って応えた。
――聖女さん? イリスと仲いいんだな。トウジは、イリスと聖女とを代わる代わる見ていた。一方シュクリは、なんかいっぱいいっぱいの表情で、ほぼ固まっている。
イリスは、そのまま長机中央に向かい、空いていた真ん中の席へ当然のように腰を下ろした。
それを確認してから、シェルディンが静かに立ち上がった。
「改めまして」 穏やかな声だった。視線は、トウジとシュクリの方だけを向いている。
「千年王国西方地域全権大使、シェルディンと申します」
さらりと告げられた肩書に、シュクリがビクッと反応した。まじまじと壮年のハイエルフを見つめる。トウジは、へぇっとその肩書の意味をあまり感じとっていないようだった。
「この場を借りて、我々から勇者トウジへ二、三確認したいことがあります」
そこで一度視線を巡らせる。
「もっとも、これより先は公式なものではありません」
静かな声。
「臨席者各位には、その点をご理解いただきたい」
シェルディンは隣へ視線を向ける。
「まず、ルケン殿」「うむ」
白髭の老ドワーフが、のそりと立ち上がった。
「ドワーフ地下王国西方地域全権大使のルケンじゃ」
そこで鼻を鳴らす。
「……とはいえ、肩書などどうでもよい」
腕を組み、真正面からトウジを見る。
「わしは腹の探り合いが嫌いでの。単刀直入に聞こう」
その視線は、職人が素材を見る目に近かった。
「勇者トウジよ」
静かな声が、部屋へ落ちる。
「おぬし、どこの生まれじゃ?」
「……わかりません」
即答に、室内の視線が一斉にトウジへ集まった。シュクリまで見ている。
トウジは、なんでみんなこっちを見るんだろう、みたいな顔をしていた。
「ふむ……わからんのか」
ルケンは腕を組んだまま唸る。嘘をついているようではない。ならば、切り口を変える。
「……おぬし、森歩きはどこで教わった?」
「森歩き?」
「森での振る舞い方じゃ。イリスが言うとった。“トウジは森に慣れている”とな」
不意に名前を出され、トウジはイリスを見る。
イリスはにこにこと笑いながら、うんうん、と頷いていた。
「森で生活していたからでしょうか?」 トウジは少し考えながら答える。「仲間たちから、いろいろ教わってましたし」
「ほう。“仲間”の」 ルケンの目が細くなる。「それは人族かの?」
「人族と獣人族とエルフです」 何かを思い出すように、トウジは言った。
シェルディンとイリスの視線が僅かに動く。
「それはまた、珍しい組み合わせじゃの」
「そうなんですか?」
トウジはきょとんとしていた。
「こっちだと獣人族あんまり見かけませんけど……あ、エルフは向こうでも少なかったっけ」
シュクリ、イリスと順番に見ていき、そして最後に、ルケンを見た。
「そういえば、ドワーフは初めて見ました」
「……ほう」 ルケンの目が、僅かに鋭くなる。「獣人族が多かった、と?」
「えぇ」
トウジは素直に頷いた。
「人族と半々くらいでした」
そこで、少し困ったように首を傾げる。
「あのぉ……こんな話でいいんですか?」
本人としては、昔話をしている気分だった。召喚状とは、こういうものなのだろうか。
「ああ、構わん構わん」
ルケンは楽しそうに笑った。
「実に面白い」
そして。
「では、また話を変えるが」
その声色が、少しだけ低くなる。
「魔物との戦い方はどこで覚えた?」
「え?」 トウジは少し驚いた顔をした。「やっぱり森ですけど」
「森?」
「村の周りに、瘴気が湧く場所がかなりあったので。そこで」
部屋の温度が少し下がったかのようだった。ハイエルフの古老、シェルディンすらも身じろぎをしてしまうほどに。
「獣人族とエルフも、一緒にかの?」
「ええ、そうですけど」
今度は、ルケンがゆっくりと頷いた。
「おぬし、瘴気をあまり気にする様子がないらしいが……仲間たちもそうだったのか?」
「そうだと良かったんですけど」
トウジは少し苦笑した。
「獣人族は強いです。ある程度なら、瘴気にも負けない」
シュクリを見ながら、さらりと言う。
「でも、人族は駄目です」
静かな声だった。
「すぐ、食われてしまいます」
その言葉に、室内の空気が冷える。トウジだけが気づいていない。
「……では」 マルヴォロス公爵が低く問う。「人族は、戦っていなかったのか?」
「いえ?」
トウジは不思議そうに首を傾げた。
「一緒に戦ってましたよ」
「しかし、瘴気にやられると言ったな」
「はい」
トウジは頷く。
「だから、人族は村に戻って浄化して、また森に出るんです。みんなが戦わないと、村が魔物に呑まれてしまう、守れないから」
それが当然、というトウジの強い言葉にしばしの沈黙が訪れる。
「……村で浄化ということは、神殿があったということなのかな?」
王様が、沈黙を破って尋ねる。
「え?」 トウジは逆に困惑した顔をした。「神殿?」
「……トウジは、神殿を知りませんでした」
全員の視線がエストへ向く。
「討伐軍が王都へ入る前、“周囲に瘴気が湧いているのに、なぜ王都は大丈夫なのか”と尋ねられました」
トウジは少し恥ずかしそうに頷いた。
「うん……」
ルケンが腕を組む。
「……なんらかの手段があったということじゃな……」
「その件については、後ほど私が」
穏やかに割って入ったのは、シェルディンだった。何か、思い当たることがあるらしい。
「ん? そうか?」 ルケンは少しだけ怪訝そうな顔をしたが、すぐ頷いた。
「まあよい。では次じゃな」
そして改めて、トウジを見る。
「もう少し話を聞かせてくれ。よいかの?」
「あ、はい」
トウジは素直に頷いた。
「おぬしの魔物討伐での参陣記録を、少し調べさせてもろうた」
「……さんじんきろく?」「討伐へ参加した記録じゃ」「あ、はい」
トウジは理解したらしい。遠い目をして馬車の横を歩いていた老師が思い浮かんでいた。
「もっとも古い記録は、四年ほど前になる」
ルケンはゆっくりと言葉を続けた。
「ここからかなりの東方、獣人族国家寄りの地域で行われた、中型魔物群の討伐戦じゃな」
トウジの目が少しだけ動く。
「……心当たりはあるかの?」
「あります」
即答だった。
「そこで老師と初めて会ったので。よく覚えてます」
「老師?」
国王が眉を動かした、その時。
「ヴァルグレイ様です」
エストが静かに言った。
その瞬間、シュクリ以外の全員が――ああ。という顔になった。
シュクリだけが完全に置いていかれている。ただ、きょろきょろと周囲を見回していた。――老師って何? そんな顔だった。
「……ヴァルグレイに会う前は?」
ルケンが自然に呼び捨てたことに、トウジは特に違和感を覚えなかった。
「魔物専門の傭兵みたいな人たちと、一緒にぐるぐる回ってました」
「村へは戻らなんだのか?」
「その一年前くらいに、村は出てます」
「ふむ……」 ルケンはゆっくり頷く。「なるほどの」
――そして。
「だいたい見えてきたかの」
トウジはきょとんとしていた。ルケンはそんなトウジをじっと見つめる。
「……おぬし、“大海嘯”という言葉を聞いたことは?」
トウジ以外の全員が、ルケンを見た。
――大海嘯。かつて中央平原から溢れた膨大な魔物群が、ドワーフ地下迷宮を突破し、西方世界へ雪崩れ込んだ歴史的大災害。いくつもの国が滅び、大地そのものが瘴気に侵され、今なお“高魔素災害域”として残り続ける、西方世界最大級の傷跡。
それは同時に、ドワーフにとって最も忌まわしい過去でもあった。
「……いいえ」 トウジは素直に首を振った。
ルケンは静かに続ける。
「国がいくつも消えるほどの災厄でな」
沈鬱な低い声だった。
「今なお癒えぬ傷跡が、大地に残っておる」
ドワーフにとって語るのも苦しい、そんな様子で一つため息をつく。
「滅びた国の中に、人族と獣人族が共に治めていた国がいくつかあってな……じゃが……」
トウジの目が、少しだけ動く。
「……国は消えても、人は消えぬ」
ルケンは言った。
「生き延びた者らは、魔物災害域の外周へ逃げ込み、小さな集落を作って暮らし続けた」
静かな声が、余計に残された人々の営みの過酷さを感じさせた。
「勇者トウジよ」
ルケンの視線が真っ直ぐトウジを捉える。
「おそらく、おぬしの生まれ育った場所は、その中にある」
そして。
「ワシらドワーフは、そこを“外縁”と呼んでおる」




