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5-3 諮問1

 エルン王国王城、その一角。王族居住区から少し離れた山麓の林の中に、ハイエルフたちの居留する館は建っていた。王城内にありながら、妙に静かな場所だった。


 白灰色の石壁の向こうでは、初夏の風に木々がさやさやと鳴っている。遠くから王城の喧騒は聞こえるはずなのに、この辺りだけ切り離されたように空気が穏やかだった。


 その館へ、トウジとシュクリは案内されていた。


「……帰り、たい」


「ダメじゃないかな」


「よね……」


 シュクリは、さっきからずっと顔が死んでいる。


 一方トウジは、館の内装をどこか興味深そうに見回していた。白木と石を組み合わせた廊下。薄く漂う薬草と香木の匂い。窓から流れ込む風の通り方まで、どこか森の中を思わせる。


「……なんか落ち着く」


「トウジ、へん」


 シュクリが呆れた顔をしたところで、先導していたエルフが立ち止まった。


 静かに扉を開く。


「こちらへ」


 通された部屋の中央には、長机が一台だけ置かれていた。広い部屋だったが、調度は驚くほど少ない。窓際に香炉。壁際に本棚。


 そして、部屋の奥――トウジたちが入ってきた扉の反対側、大理石造りの大きな暖炉の前に、二人の人物が既に座っていた。


 一人は、長い金髪を後ろで束ねた壮年のハイエルフ。椅子を間に一脚挟んで、もう一人は、白髭を蓄えたドワーフの老人。どちらも、静かにこちらを観察している。


 案内役のエルフに促され、トウジとシュクリは扉近くの席へ腰を下ろした。


 長机の左右には、まだ誰も座っていない。


 ただ、トウジから見て左側の席の後方にだけ、小机と椅子がいくつも並べられていた。


 そこまで見たところで、シュクリが小声で囁く。


「……やな、予感」


「うん」


「否定、するとこ」


 だが、そんな軽口もすぐ消えた。


 向かい側に座るハイエルフとドワーフが、じっとこちらを見ている。値踏みするような視線ではない。観察する視線だ。その静けさが、逆に居心地悪い。


 しばらくそんな時間が続いたあと、不意に二人が立ち上がった。


 トウジとシュクリも慌てて立ち上がる。


 まず、左手側の扉が開いた。


 壮年の男性を先頭に、一団が部屋へ入ってくる。男性は、仕立ての良い濃紺のグンナにケープを纏い、頭には金や銀、宝飾で飾られた略式の王冠を巻いている。


 その姿を見たとき、トウジはどこかで観たことがある気がしたが、思い出せなかった。隣のシュクリの顔色は、明らかに変わっていた。


 さらにその後ろには、討伐軍総司令官であったマルヴォロス公爵が続き、加えて文官、騎士、記録官まで含め、十名近い随員が続いていた。


 次いで、右手側の扉が開く。


 今度は、女性だった。中年を僅かに過ぎたほどに見えるが、不思議な威厳を纏った美しい女性。白を基調とした聖装束を纏い、静かに部屋へ入ってくる。その後ろに、神官服姿のエストが続いていた。


 トウジは思わず、「エ――」と言いかける。だが、その瞬間エストと目が合った。スッと細められた目を見て、トウジは慌てて口を閉じた。


 ――余計なことは言わない、喋らない。場をわきまえる。ほぼ脊髄反射と言っていい。


 その反応を見て、エストがわずかに笑ったように見えた。


 やがて全員が席へ着く。


 長机奥、右の席に座ったハイエルフの男――シェルディンが、静かに視線を巡らせた。


「それでは」 落ち着いた声が、部屋へ静かに響く。「始めましょうか」


「――その前に」 場を制したのは、マルヴォロス公爵だった。低くよく通る声に、室内の視線がそちらへ向く。


 公爵は、やにわに立ち上がり、聖女へ向かって優雅に一礼する。


「聖女様には、此度わざわざご臨席を賜りましたこと、望外の喜びをひとしおに感じております」


 丁寧な言葉だった、だが、トウジですら、なんとなく言わんとしていることが分かった。


 ――突然来やがって。


 対する聖女は、にこやかに微笑んだ。こちらは座ったまま、軽く祈るような仕草をし、


「ヘイムルートのお導きにより、現世の迷いに光明を見出せましたこと、四柱の御業へ深く感謝しております」


 柔らかな声音に慈愛に満ちた笑みを見せた。――ハブろうとすんな。


 トウジとシュクリは、揃ってぽかんとしていた。


「あいさつ?」「じゃ、ないかな?」


 二人が小声で困惑している横で、王国側中央の席に座る壮年の男性が、ふいっと横を向いた。口元を押さえている。肩が、微妙に震えていた。


 そんなやり取りを、シェルディンは表情ひとつ変えずに見ていた。


「それでは、改めて」 立ち上がり、静かに口を開く。


「此度の召喚は、エルン王国からのものです」


 そこで一度言葉を切り、


「よって、まずは王国へこの場をお任せしましょう」


 とだけ言って、さっさと椅子へ腰を下ろした。ルケンなど、左側の席で露骨に肩を揺らしている。


 マルヴォロス公爵は、一瞬だけ眉を動かしたが、すぐに表情を戻した。


「……では」


 公爵は改めてトウジへ視線を向けた。


「まずは、北方探査について確認させてもらおう。討伐戦以来ぶりですな、勇者殿」


「あ、はい」


 不意に話を振られ、トウジは少し姿勢を正した。


 討伐軍総司令官だった頃と変わらぬ鋭い視線が、静かにトウジを見据えている。


「北方探査についての報告は、既にギルド側から受け取っている」


 公爵はゆっくりと言葉を続けた。


「だが、ぜひ勇者殿自身の所感を聞かせていただきたい」


「ボクの意見ですか?」


「うむ」


 少し困ったように、トウジは隣のシュクリを見る。シュクリは必死に、――こっちに振るな。と目で訴えていた。トウジはさらに困った顔になる。


「ボク、魔物としか戦ったことないので……」


「それで構わんよ」


 公爵は静かに促した。


「勇者殿は、帰らずの森一帯をどう見た?」


 少し考えてから、トウジは口を開いた。


「……魔物は、ほとんど発生しない森だと思いました」


 王国側の文官たちがトウジを注視する。


「根拠は?」 公爵が声低く尋ねた。「報告書には、その記載は無かったが」


「トウジの、主観、だから」とまずシュクリが答える。


「根拠は、妖精種が多かったからです」


 トウジは素直に答えた。


「種類も、数も多かったように思えましたし、穏やかな子達しかいなかったから、魔物が湧くような瘴気にはならない森なんじゃないかなって」


 記録官が慌ただしく筆を走らせる。


 机の向こうから静かな声が尋ねた。シェルディンだった。


「勇者トウジ。君は妖精種の感情が分かるのですか?」


 トウジは少し困った顔をする。


「いや、その……なんとなく、です」


「なんとなく?」


「嫌がってるとか、安心してるとか……そういうのが、ちょっと」


 シェルディンの目が、静かに細められた。


「失礼しました。お続けください」


 マルヴォロス公爵が、今度は少し違う角度から問いを重ねる。


「未踏破地域にも足を踏み入れた、とあったな」


「はい」


「あの領域も同様だと思うか?」


 隣でシュクリの肩がぴくりと震えた。トウジはそれに気づき、ちらりと横を見る。言っていいのかどうか、ちょっと迷っているようだった。


「……あそこは」


 少し迷ってから、トウジは言った。


「魔物どころか何も存在できない場所、じゃないのかな……あ、です」


 室内の空気が静まる。


「ふむ……」 公爵は指先を組んだ。


「ならば、あの領域を通過すること自体――」


「たぶん無理じゃないかと思います」


 トウジは素直に答えた。


「冒険者・シェルパとして経験豊富なシュクリですら、領域に入る前に、短時間で擦り切れたくらいですから」


 ガンッ!!「痛っ!?」


「言うな!」小さな雄たけび。「だ、だって本当の――痛っ!!」 二撃目。今度はさらに重かった。


 王国側記録官の筆が、一瞬止まる。


「勇者トウジ」


 それまで黙っていた壮年の男が、静かに口を開いた。


 トウジはそこでようやく思い出した。討伐軍解隊式で、最後に声を掛けてきた人。


 ――王様だった。


「もう一度、あの辺りへ向かうことは可能かな?」


「それは別に――あ、シュクリ嫌?」


 ガンッ!! 今度は無言だった。トウジは痛みに顔を歪めながら、必死に声を呑み込む。


 シュクリは完全に“巻き込まれる側”の顔をしていた。


「……大丈夫。ただ、森の大きさ、わからない、から」


 珍しく、シュクリ自身が口を開く。


「調べる、とき、帝国国境、跨ぐ、ことに、なる」


 長い。すごく長い。――シュクリ、こんな長く喋れるんだ。


 ガンッ!! 四撃目。さすがに学習したトウジは、今度は声を出さなかった。


「……であるか」


 国王は静かに頷く。


 その視線は、もう単なる探査報告へ向いてはいなかった。


 帰らずの森。帝国国境。位相異常領域。そして、その中を踏破できる人材。


 後方で控えていた祐筆が、静かに筆を走らせていた。

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