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5-1 出自

 エルン王国王城の一角。


 王族居住区からやや離れた山麓の林の中に、その建物は静かに建っていた。


 白灰色の石造りの外壁は装飾も少なく、王城内の建物としては驚くほど目立たない。だが、正門脇には王国騎士団の歩哨が二名、槍を携え微動だにせず立っている。


 周囲を包む静けさが、かえってその場所の特別さを際立たせていた。


 その建物の中の、執務室のような部屋。


 内装は落ち着いた深緑と濃茶で統一され、壁には古い森を描いた絵画が飾られている。棚には革装丁の書物や、小ぶりながら高価そうな魔導器具が整然と並び、窓際の銀縁の香炉からは薬草の香が薄く漂っていた。


 部屋の中央には大きな執務机も置かれていたが、この部屋で最も使われているのは、どう見ても窓際の談話のための一角の方だった。


 深い色合いの長椅子と低卓。卓上には湯気を立てる茶器と、半ば食べかけの焼き菓子が並んでいる。


 向かい合って座るのは二人の男。


 一人は、長い金髪を後ろで束ねたハイエルフの男――シェルディン。


 壮年の外見ながら、その双眸には人族より遥かに長い時間を生きた者特有の静かな重みがある。仕立ての良い濃紺の衣装を纏い、指先で紅茶の茶器を弄んでいた。


 対するもう一人は、白髭を蓄えた老年のドワーフ――ルケン。


 頑健な体格を無理やり椅子へ押し込んだような姿勢で座り、卓上の焼き菓子を遠慮なく摘まんでいる。


「古式刻印を古い技法じゃとあなどるから、あのざまじゃ」


「しかし彼らも王国では先端を走る人材でしょう」


「ふんっ、先端だけが技術じゃあるまいよ」 ルケンが鼻を鳴らす。


 シェルディンは肩を竦め、苦笑した。「否定できませんね」


「もっとも、この隠居でもまだ十分に役に立つ、と証明できておるがの」ルケンは、豪快に笑う。


「元名工の面目躍如、といったところですか」


 穏やかな笑いが零れる。


 その時だった。低く、ごく微かに、建物全体が震えた。窓硝子が小さく鳴り、香炉の煙が揺れる。


 ルケンが眉を顰めた。「戻ってきたようですね」「調整不足じゃろう」「古いですからね」


 シェルディンは困ったように笑う。


「むしろ、まだ動いている方を褒めるべきでしょう」


「毎回それを聞かされとる気がするぞ」


 やれやれ、とルケンが肩を鳴らした頃。控えめなノックの後、扉が開いた。


「失礼しまーす」


 軽い調子と共に入ってきたのは、灰色がかった淡い金髪の少女だった。認識阻害の耳飾りを外しながら、イリス・レアは二人のところへ歩み寄る。


「おかえり、イリス。早かったですね」


「おう、また邪魔しとるぞ」


「あれ? ルケン爺、久しぶり。また折衝ごと?」


 イリスは気安く笑いながら空いた席へ腰を下ろす。後ろで扉を開けていた若いエルフの侍従へ軽く手を振ると、相手は小さく一礼してすぐに下がっていった。


「最期の首魁級を討ったという報告が入ったんでな。その確認で王宮にな」


「これでしばらくは、西方地域も安定しますかな」


 シェルディンの言葉に、ルケンは短く唸る。


「魔素の流れ次第じゃが、たぶん大丈夫じゃろう」


「でも、いつかはまた始まるんでしょ?」


「こればっかりはのぉ。瘴気が無くならん限りはな」


「ホント厄介よね」


 ちょうどその時、別のエルフの女性が部屋へ入ってきた。


 銀盆に載せた湯気立つ茶器を静かに卓へ並べ、イリスの前へ新しい茶を置く。二人の茶碗も手際よく交換され、柔らかな香草茶の香りが広がった。


 イリスは礼代わりに軽く片手を上げる。女性エルフは微笑だけ残して退出した。


 数秒、穏やかな沈黙。


 シェルディンは、お茶を一口飲み、茶碗を置いた。


「で、イリス。どうでした? 勇者トウジは?」


 イリスは少しだけ視線を泳がせる。


「……うん。ちょっと、おもしろい子だったよ」


「そりゃあれか? 無窮の勇者と言われとる人族の?」


「そうそれ」


 ルケンが顎髭を撫でる。


「エルンから言われて様子を見に行ったんだけどね……」


「アイヒラー姓を名乗っておるようなので、我々としても座視はできませんからね」


 シェルディンの声音は穏やかだったが、その目は僅かに細められていた。


 イリスはお茶を一口飲む。


 少し考えるように、窓の外へ目を向けた。


「森の探査をするっていう話だったので一緒に入ってみたんだけど、結構、大変だったよ」


 イリスは温かい茶碗を両手で包みながら、少し肩の力を抜いた。


「私、あの森入ったの初めてだったんだけど……帰らずの森? 思ってたよりずっとズレてる場所だった」


「ズレ?」ルケンが問い返す。


「うん。私の知ってる妖精域じゃないっていうの? ちょっとキツめな感じ」


「古くからある妖精域、といったあたりでしょうか」


 シェルディンは茶碗を置き、穏やかに頷いた。


「人の側の法則がかなり薄くなる傾向があります」


「なるほどのぉ」


 ルケンが腕を組む。


「未帰還者が多いっちゅう話も聞くが、そういうことかの」


「普通の冒険者なら、かなり危なかったかなぁ。実際、獣人族の女の子がちょっと危なかったし」


 イリスはそこで、ふっと表情を和らげた。


「でも、トウジはすごかったよ」


「ほう?」


 ルケンが眉を上げる。


「なんていうか、森の中で変に慌てないの。もちろん警戒はしてるんだけど、“どこが危ないか”を自然に分かってる感じで」


「勘が鋭い、と」


「たぶん、それだけじゃないかなぁ」


 イリスは少し考えるように視線を上げた。


「森のズレ方に、ちゃんとついていけてた。ああいう場所って、慣れてない人だと違和感に振り回されるんだけど」


「トウジは、そうではなかった。むしろ、馴染んでいた?」シェルディンが静かに言葉を継ぐ。


「そうそう、それ」 イリスは嬉しそうに頷いた。


「あとね、妖精種にも結構好かれてたんだよ。びっくりしたよ、あれには」


「妖精種に?」


 ルケンが目を丸くする。


「うん。森に拒絶されてない感じだった」


 シェルディンは少しだけ目を細めた。


「……興味深いですね」


「悪いことなのか?」


 ルケンの問いに、シェルディンは緩く首を振る。


「いえ。本来、森に拒絶されないというのは、親和性が高いということです。エルフには普通のことですが」


「ただ、帰らずの森みたいなところだと、少し話が変わるんだよね」


 イリスが続ける。


「人の世界と向こう側の境界が近いから、あんまり馴染みすぎると、戻ってこれなくなっちゃう」


「古い森に魅入られる、っちゅうやつじゃな」


 ルケンが低く唸る。


「ただトウジって、自分が危ない領域とこにいるって自覚がないんだよね。たぶんだけど」


「……ありそうですな」


 シェルディンが小さく笑う。


 イリスはお茶を飲み終えると、ふと思い出したように顔を上げた。


「――ところでシェルって、神格種に遭ったことある?」


 部屋の空気が、僅かに固まった。ルケンが怪訝そうに眉を寄せ、シェルディンは静かに茶器を置く。


「……イリス」


 穏やかな声だった。だが、わずかな緊張が混じる。


「それは、一体なんの話です?」


「たぶん見た?」


 イリスはあっさりと言った。


 ルケンが今度は露骨に顔をしかめる。


「待て。お主、“たぶん”で済ませとるが、神格種っちゅうたか?」


「だって断定できないもん。私もあんなのって初めてだったし」


 イリスは少し困ったように笑った。


「でも、たぶんあれはそうかな。森の奥に、“いた”んだよ」


 シェルディンの視線が静かに細くなる。


「……特徴は?」


「大きかった」


「雑じゃなぁ……」


 ルケンが頭を抱えた。


「えぇー……だって、ちゃんと見えてたわけじゃないんだよ?」


 イリスは言葉を探すように宙へ視線を向ける。


「なんだかぼやけてたし、息は詰まるし。森も怯えてる感じで、妖精種たちもすっごい静かになるし」


「神格種なら当然かもしれませんね」


 シェルディンが低く呟く。


「神格級存在との接触は、認識汚染や精神侵食を伴う場合があるとされています。古い文献では、“直視するな”と書かれている」


「あ~じゃ正解だったね。あんまり見ないようにしてたから」


「イリスらしい判断ですね。さすが世界樹ヘイムルートに繋がる血筋です」


 シェルディンは頷きながら言った。


「でも――」


 イリスはそこで少し首を傾げた。


「トウジ、普通に見上げてたんだよね」


 シェルディンの目が、初めて明確に険しくなる。


「……見えていた? まさか」


「うん。私よりちゃんと見えてたんじゃないかなぁ。「『見ちゃだめ』って慌てて止めたんだけどね。そしたら、あとで神格種のことを、『ただ見てただけだよね』って言ってたから、神格種に見られていた、ということもわかってたっぽい」


 ルケンが呻く。


「そんな人族がおるんか?」


 シェルディンは静かに息を吐いた。腕を組み、眉を寄せて考え込んでいる。


 その反応を見て、イリスが逆に不思議そうな顔になる。


「あれ? シェルでもそんな顔するんだ」


 何事にも沈着冷静な態度を崩さない、文字通り長年の経験を積み重ねてきた古老のハイエルフにしては、かなり珍しい表情だったのだろう。


「神格種は、我々にとっても伝承級存在です。古文書を漁っても、遭遇例は、わずかなはず。それをただの……」


「ふぅん……」


 イリスは少し考えてから、ぽんと手を打った。


「じゃあ、お母さまにでも聞いてみようか」


 その瞬間、シェルディンが露骨に嫌そうな顔をした。


 ルケンが吹き出す。


「はっはっは! そりゃあ確かに手っ取り早いがの」


「やめてください。話が大きくなります」


「もう十分大きいと思うけど?」


 イリスはけろりと言って立ち上がった。


 そのまま両腕を軽く伸ばし、小さく息を吐く。


「あー……それより、二日も野宿してたから身体ベトベトする」


「沐浴を用意させましょう」


「うん、借りるね。なんか森の気配まとわりついてる感じして落ち着かないし」


 エルフ特有の感覚なのだろう。


 ルケンにはいまいち分からないらしく、曖昧な顔で髭を撫でている。


「では後ほど、改めて報告を」


「はーい」


 イリスは軽く手を振ると、そのまま部屋を出ていった。


 扉が閉まる。


 イリスが去った後も、部屋にはしばらく静けさが残っていた。


 窓の外では、夕暮れの光が王城の白壁を淡く染め始めている。


 ルケンは腕を組んだまま、低く唸った。


「……妙な話になってきおったな」


「ええ」


 シェルディンは短く応じる。


「神格種を“認識”し、“視認”してなお正常を保つ人族……」


「ありえんじゃろ」


「トウジ……アイヒラー。これは本腰を入れて調べるべきでしょうね」


 シェルディンは静かに言った。


「ふむ……少なくとも、出自については辿れる気がするのぉ」


「なにかご存じなのです?」


「記録じゃよ」


 ルケンは髭を撫でる。


「魔物討伐の記録。ワシの手元には、西方地域の八十年分の討伐記録がほぼ全部揃っとる」


「……なるほど。勇者トウジの参陣記録も、必ずどこかに残っている」


「ちと時間はかかるかもしれんが、活動地域くらいは特定できよう」


「私も、“森との親和性”という点から探ってみましょう」


 シェルディンは窓の外へ目を向けた。


「西方地域に、そうした系統の氏族が残っているかどうかも含めて」


 夕陽がゆっくりと沈んでいく。


「……面白くなってきおったな」


 ルケンが低く笑う。


「私としては、あまり笑えない話ですが」


「エルフは、血統に高潔じゃからのぉ」


 シェルディンは答えなかった。

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