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4-8 帰還(第4章エピローグ)

 黙ったままトウジとシュクリのやり取りを見ていたイリスが気づいた。


 静かに森の闇の中をゆっくり漂っていた一匹の妖精が、ふわりと森の奥へ飛んだ。続くように、別の光も動き出す。それは昨夜みたいな賑やかな飛び方ではなかった。まるで何かを確かめようとするみたいに、低く、静かに森の中を漂っていく。


 イリスが、その動きを目で追った。「……なに?」小さく呟く。


 少し離れた木の根元。そこへ、数匹の妖精たちが集まっていた。淡い青と金の光が、同じ場所をくるくる回っている。妖精だまり。そんな言葉が、ふと頭へ浮かぶような光景だった。


 イリスがそちらへ歩いていく。妖精たちは変わらずその場にとどまり続けている。


 しゃがみ込む。何かあった。


 落葉へ埋もれた地面をそっと払うと、手に金属の感触があたる。


 イリスの指先が、何かを拾い上げる。金属面にくすみが浮かんだ指輪――冒険者ギルド(ヴァルグラル)刻印証シグルだった。


 イリスが静かに振り返る。


「……トウジ」


 呼ばれたトウジは、シュクリを優しく降ろすと、イリスの元へ近づく。


 トウジは、差し出された刻印証シグルを見て、小さく息を呑んだ。


「これ……」「たぶん、先に来た人たちかしら」


 刻印証シグルのあった場所の近くにも、妖精たちが集まっていた。


 木の根元。倒木の陰。落ち葉の吹きだまり。まるで、“ここ”だと教えているように。


 トウジは、その一つへ近づいた。落ち葉を払う。そこには、半ば土へ埋もれた荷袋が残っていた。革は腐りかけている。だが、形はまだ残っていた。


 さらに少し離れた場所、茂みの向こう、倒れた木へ背を預けるようにして、人骨が残っていた。


 白く乾いた骨。剣は鞘へ収まったまま。火打石と、空になった水筒が足元へ転がっている――少し休んでそのまま動けなくなったみたいに。


 ゆっくりと近づいてきたシュクリが、小さく息を呑む。


「……帰れ、なかった?」


 妖精たちは、その骨の周囲を静かに漂っていた。羽音も小さい。弔っているかのように、静かにそこに留まり続けている。


 トウジは、しゃがみ込み、刻印証シグルを拾う。荷袋を確認し、散らばっていた備品を一つずつ回収していく。妖精達が、そんなトウジの周りをつかず離れずに漂う。


 イリスが、その様子を見ていた。


 この森には、今もあの巨大な存在が眠っている。なのに、あの子たちは、トウジから離れない。逃げ散ってしまってもおかしくないこの場に、まだとどまり続けている。彼の肩口や足元を静かに漂い続ける。

 しかも、アレは、”ただ見ていた” だけ?


「……なんで、拒まれないんだろ」ぽつりと呟いた。




 遺品をひとまず拾い集める。刻印証(シグルや、小さな装飾品、記録筒などは封印容器へ収めていく。錆びた剣や荷物類は別にまとめた。


 全部を持ち帰ることはできない。それでも、せめて領都ナハルまでは運ぼうと、トウジは思った。


 シュクリは、まだ本調子ではなかった。トウジの横で、ぺたりと地面へ座り込んでいる。耳も尻尾も力なく伏せられていた。


「……帰ろうか?」トウジがしゃがみ込み、そう尋ねる。シュクリは少しだけ顔を上げ、ゆっくり頷いた。「ん……」 その返事を聞いて、トウジも小さく頷いた。


「イリス。ひとまず、野営してた場所まで戻りたいんだけど」「うん、大丈夫」 イリスが、周囲を漂う妖精たちを見る。「この子たちが案内してくれる」


 青い燐光が、ふわりと浮かび上がった。



 シュクリは、まだ長く歩けそうになかった。


 荷物を分ける。前荷を大きくして身体に括りつけ、後ろを小さくし背負う。その荷の上へ、シュクリが座るような形で背中へしがみついた。


「重くない?」「全然」「……うそ」「ほんと」


 トウジが少し笑う。シュクリは何も言わなかった。ただ、背中へ回した手へ少しだけ力がこもった。


 妖精たちの燐光が、暗い森の中を静かに先導していた。淡い色を放つ光が、まるで道標みたいに、木々の間を漂っていく。


 帰り道は、不思議なくらい迷わなかった。イリスがいるからなのか。妖精たちのおかげなのか。あるいは、森そのものが、もう帰してくれようとしているのか。


 無事に返してくれるんなら、それでいいや、トウジの正直な感想だった。




 野営地へ戻った三人は、そのまま仮眠を取った。あまり眠れなかった。


 あいかわらず静かな森だった。けれど時折、遠くで木鳴りの音が響くたび、シュクリの身体が小さく震えた。


 そのたびに、妖精たちが毛布の周りへ集まってくる。小さな光達が、静かに夜を守ってくれていた。




 翌朝。


 三人は帰らずの森を後にした。妖精達とは、野営地で分かれた。ついてきたがる子もいたようだが、イリスが穏やかな表情でそれを宥めていたようだった。


 川沿いを南へ下る。木々が少しずつ薄くなる。冷たかった空気も、いつのまにか柔らかくなっていた。


 遠くに、領都ナハルの城壁が見え始める。そこでようやく、トウジは肩の力を抜いた。


 たった三日の探査行。それだけのはずなのに、随分長い時間を森の中で過ごしていた気がした。




「じゃ、わたしはここで」 イリスが、ふいに立ち止まる。その指が、領都ナハルの尖塔を示していた。「ちょっと、あそこ寄っていくから」 こっちの道の方が早いの、と言いながら分かれ道へ向かう。


 振り返ったイリスが、この数日で見慣れた気軽な笑みを浮かべる。


「たぶん、またすぐ会えるよ」 そして、ひらひらと手を振った。「じゃ、またね」


 あっさりしたものだった。


 そのまま金色の髪を揺らし、川沿いの道を離れ、軽やかに去っていく。




 トウジとシュクリ、二人だけになる。


 しばらく、川の流れる音だけを友にして歩いていく。


 背中から、ぽつりと、小さな声が落ちる。


「……ごめんね」


 トウジが少し首を傾ける。


「ごめんね……ごめんね……」


 シュクリは、背中へ額を押しつけるようにして、何度も繰り返した。


 トウジは少し困った顔をする。


「あのさ」


「……」


「イリスが言ってたんだけど」


 シュクリの耳が、ぴくりと動いた。


「シュクリ、頑張りすぎなんだって」


「……」


「なんで、あんなに頑張るのか、不思議でしょうがなかったってさ」


 背中の向こうで、小さく息を呑む音がした。


「だって、わたしが……」


「うん」


 トウジは歩きながら、ゆっくり続ける。


「頑張って、頑張って、疲れて」


「……」


「疲れ切ったところを、森が拾っちゃったんだろうって」


「拾った?」


「あーいう森って、心の中を拾うんだって」


 トウジは、イリスから聞いた話を思い出しながら言葉を探す。


「拾って、それを大きくして返してくる」


「……」


「それでまた頑張って、もっと大きくなって」


 川の流れる音。風の音。


「そのうち、抱えきれなくなるんだって」


 シュクリは黙っていた。背中から伝わる体温だけが、やけに小さい。


 トウジは少しだけ視線を落とす。


「……ごめんね」「え?」「もっとボクが使えてたら、こんなことには――」


「違っ!」 突然、シュクリが顔を上げた。「トウジは!」


 言葉が途中で詰まる。何かを言おうとして、結局、うまく出てこなくて、その代わり。


「――ばかっ!!」


 ゴンッ!!


「痛っ!?」


 ものすごい勢いの頭突きが、後頭部へ炸裂した。


 トウジがよろめく。


「シ・シュクリ!?」


「トウジのばか!!」


 さらにもう一発 ――ゴンッ!!


「痛い痛い! ほんと痛いって!」「知らない!!」 ――涙声だった。


 トウジは頭を押さえながら、困ったように笑う。


 川風が吹き抜ける。


 だいぶ領都ナハルの城壁が近づいてきた。




 トウジとシュクリが領都ナハルへ戻った、その二時間後。


 三頭の早馬が、次々と王都フィオルへ向けて放たれた。







 四柱聖環院。その最奥にある聖女執務室の前室は、今日も静かだった。


 高い窓から差し込む午後の光が、白い石床へ淡く落ちている。


 整然と並ぶ書架。香炉から漂う、わずかな香の匂い。


 そして、その片隅。


 聖女付き神官の机へ、一通の封書がそっと置かれた。


 エストは、書きかけだった書類から顔を上げる。


 封蝋を見る。


「……王都フィオルギルド支部から?」


 ほんの一瞬だけ、その琥珀色の瞳が揺れた。


 手を伸ばす。けれど、いつものようにすぐには開かなかった。


 静かに息を吸って。それから、ようやく封蝋を剥ぐ。


 中には、短い報告書が一枚だけ入っていた。


 冒険者ギルド内部へ入り込ませている、聖環院側の協力者からの報告。


 簡潔な筆致。余計な言葉はない。そこに記されていたのは、たった二行。



『勇者帰還』


『北方探査成功』



 エストの指先が、かすかに止まる。しばらく、その文字を見つめていた。


 やがて、ふっと肩の力が抜ける。張りつめていたものが、ようやくほどけたみたいに。


 エストは小さく目を伏せた。


 午後の柔らかな光の中。窓から吹き込む風が、書類の端を揺らす。


 誰にも聞こえないくらい小さな声で、そっと呟いた。


「――おかえりなさい」

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