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4-4 帰らずの森 その1

 領都ナハルは、川沿いに築かれた城塞都市だった。


 北から流れ下る大河を天然の防壁とし、さらに外周には深い掘割が巡らされている。川を渡るには限られた橋しかなく、そこには必ず見張り台があった。北部辺境の要衝――そう呼ばれる理由の一片がこんなところにもあった。


 トウジとシュクリは、その川沿いを北へ進んでいた。


 街を離れるにつれて人の気配は薄れ、やがて道も細くなっていく。川は急峻となり、両岸を深く削りとっている。


 その川に削られた急斜面を登り切った先。そこに、深い森が広がっていた。


 帰らずの森。


 今回の探査対象となっている森が目の前にあった。




 森の手前には、かつて人が立ち入っていた痕跡が残っていた。切り株。崩れた炭焼き小屋。打ち捨てられた作業台。だが、それらはもう半ば植物に呑まれ、蔦や若木に覆われ始めている。人の領域が、ゆっくり押し返されていた。


「……いつ頃までここで炭を焼いていたんだろう」


 トウジが周囲を見回しながら言う。


 シュクリは返事の代わりに、荷物から細長い筒状の器具を取り出した――魔素測定器。小さな結晶板が埋め込まれており、魔素の濃度や揺らぎを記録できるらしい。


 しゃがみ込み、慣れた手つきで測定を始める。その横で、トウジが測定器をのぞき込むようにして見ている。


「代わろうか?」「トウジ、無理」即答だった。「慣れ必要」


 確かに、シュクリの手際はいい。測定して、記録して、周囲の地形を地図と見比べる。その流れに無駄がなかった。シェルパとして何度も冒険行に出ていると言っていたが、なるほど、こういう作業も慣れているのだろう。


 やがてシュクリが顔を上げる。


「どう?」


「んー……前と、かわらない?」


「前も来たことあるの?」


「うん。この辺、まで」


 そう言いながら、森の奥を指差した。


「この先、不明」


 見た限りでは、普通の森にしか見えない。木々が茂り、薄暗く、静かで。人が帰ってこないような森には見えない。


「よし。じゃあ入ろうか」「ん」


 シュクリが測定器を首からぶら下げるのを待って、二人は、そのまま森へ続く獣道へ足を向けた。


 その時だった。


「やっときた」


 声がした。森の奥からだった。トウジが反射的に顔を上げる。


 木々の間から、一人の少女が姿を現した。


「シュクリ!」思わず声が出る。腰の剣へ手が伸びる。


 だが当のシュクリは、きょとんとした顔でトウジを見上げた。


「なに?」「えっ?」 思わずシュクリを見る。


「どうしたの?」「……あれ?」


 シュクリから少女へ視線を移す。どこにでもいそうな普通の少女……いや、なにか変だ。少女の輪郭が、ぼやける。焦点が合わない。いや、違う。合っているはずなのに、定まらない。一瞬、少女の輪郭が二重に見えた。


 思わず目をこすり、改めて見直す。


 じっと見ていると、少女の顔が、ときおり別のものへ切り替わって見えた。


 普通の少女。その次の瞬間には、特徴的な耳を持つ、エルフの少女。そしてまた、普通の少女へ戻る。


 視界がぶれているわけではない。なのに、像だけが定まらない。


「……もしかして」


 トウジは、おそるおそる口を開いた。


「エルフ……さん、なんですか?」確信はなかった。ただ、そうとしか思えなかった。


 すると少女は、ぱちりと目を瞬かせる。


「あれ? なんでわかっちゃった?」


 悪びれた様子もなく、そんなことを言う。


「もしかして壊れた?」


 耳元へ手を伸ばし、翡翠色の耳飾りをそっと撫でる。


 その瞬間。


 ぼやけていた輪郭が、エルフの少女にすっと定まった。


 少し灰色がかった淡い金髪が、木漏れ日の中でやわらかく揺れる。切れ長の目。碧い瞳。少し不満げに開かれた小ぶりな唇。そして、人族とは違う、長く尖った耳。そこに揺れる翡翠色の耳飾りが、かすかに光を返していた。


「わっ!?」シュクリが飛び上がる。「化けた!!」


 荷物を抱えたまま一歩飛び退き、反射的に曲鉈ククリへ手をかける。胸元の魔素測定器が大きく揺れた。


「そうよね、これが普通よね」


 エルフの少女はうなずき、それからじっとトウジを見た。胡乱げな視線。


「……なんで?」


「なんでって……えっと……なんか、見えたというか」


「見えた?」


「……ぼやけてた、というか」


 説明しながら、自分でもよくわからなくなる。


 エルフの少女はますます訝しげな顔になった。


 トウジの後ろで、曲鉈ククリに手をかけたまま、シュクリがじーっと見ている。


 耳。髪。耳飾り。視線が、あちこちを行ったり来たりしていた。


「……なに?」少女が少し嫌そうに聞く。


「ほんとに耳長い」「そこ?」「あと、きれい」


「あら……」今度は少女の方が少し面食らった顔になる。


 シュクリは気にした様子もなく、さらに耳飾りを見つめた。


「それで、化けてる?」


「化けるって言わないでくれる?」


 少女が不満そうに唇を尖らせる。


「これがないと、人族の街だと、いろいろ面倒なの」


「へぇ……」


 シュクリが感心したようにうなずく。いつのまにか曲鉈ククリにかかった手も外され、少女のざっくばらんな態度に、どうやら警戒心も解けたようだった。


 シュクリと話している間も、少女はしきりと森の方へ視線を向けていた。


 さわさわと、風もないのに、木々の葉が微かに揺れる。その揺れが音となって、木から木へ連なり森の奥へ走っていく。


 少女が少しだけ目を細め、小首を傾げた。まるで、森の音に耳を澄ませているみたいだった。


 トウジがその横顔を見る。


「……どうかしました?」


 少女は唇に指をあて、少し静かに、という仕草をする。


 湿気を含んだ冷たい空気が、ゆっくりと森の奥から流れてきた。その空気に乗って遠くの気配だけがかすかに届く。


 やがて少女が小さく笑った。


「うん。機嫌はいいみたい」


「……誰がです?」


「森」


 当然みたいに返される。トウジは「はぁ……」と曖昧にうなずいた。しかし、少女だけは、何かを理解しているようで、トウジとシュクリを順に見て。


「うんまぁ、大丈夫そうかな」


 そう言うと、おもむろに森へ向き直る。


「入ろ、入ろ」


 まるで、自分の庭を散歩するみたいな気軽さで森へ入っていった。



 森へ入り、しばらく歩いたところで、少女が自分の胸に手を当てた。


「イリス。……イリス・レア」


「あ、えーっと……」「勇者トウジ……アイヒラー、でいいのよね?」「あ、あれ? はい。トウジです」「やっぱり」


 イリスが、小さく笑う。


「エルンの話通りの人ね」


「エルン?」――誰?


 振り返ってシュクリへ視線を向け、どうぞという表情を見せる。


「シュクリ」「うん、よろしく」


 イリスが満足そうにうなずく。


 それから当然みたいな顔で踵を返し、そのまま森の奥へ歩き出した。


「あ、ちょっと」


 慌ててトウジとシュクリも後を追う。


 獣道とも呼べない細い踏み跡を辿りながら、三人は帰らずの森へ入っていった。

 

 森へ入ってしばらく、トウジとシュクリは定期的に立ち止まっていた。


 魔素測定器を取り出し、周囲を測る。結晶板の色を確認し、地図へ記録を書き込む。


 その一連の作業を、イリスが興味津々といった様子で覗き込んでいる。


「なにしてるの?」「探査」「それは見ればわかる」


 イリスがしゃがみ込み、測定器へ顔を寄せた。


 翡翠色の耳飾りが、さらりと揺れる。


「これ、なに?」「魔素測定器」「へぇ……」


 イリスが結晶板をまじまじと見る。


「これで森の様子わかるの?」「魔素の流れ、濃度、変質」「変質?」「変な魔素、かどうか」「ふぅん……」


 イリスは、不思議そうに測定器を眺めていた。まるで、見たことのない道具を見る子供みたいだった。


「エルフは、こういうの使わないの?」


 イリスは、きょとんとした顔をした。「使わないけど?」「へぇ……」「だって、だいたいわかるし」当然みたいに言う。


 シュクリとトウジが顔を見合わせた。


「わかる?」「うん」


 イリスは、森の奥へ視線を向ける。


「今日は静かだし。嫌がってもないし。あっち、濁ってるけど、ちょっとだし」


「……なにが?」


「森」


 また当然みたいに返された。トウジは曖昧にうなずくしかない。


 シュクリは測定器とイリスを見比べながら、小さく呟いた。「便利」「でしょ?」なぜかイリスが得意げだった。


 その頭上で、さわり、と木々の葉が静かに揺れた。


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