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1-3 呼ばわる声

 深い闇だった。


 上下も左右もわからない。


 ただ、遠くに赤い光がひとつだけ浮かんでいる。


 何日もかけて歩いて近づいていく。いや、数時間か。一瞬だったかもしれない。


 脈を打っていた。


 どくん。どくん。どくん。心臓の鼓動と重なる。


 それは巨大な魔核だった。人の頭ほどもある赤黒い結晶。


 内部で濁った光が渦を巻いている。


『――届かなかった』


 声がした。


 低く、遠く、それでいて耳元で囁かれたように鮮明だった。


『守れなかった』


 左胸の奥が締めつけられる。


 何かを、誰かを――自分は守れなかった。そんな感情だけが、理由もなく胸に湧き上がる。


『今度こそ』


 その声に呼応するように、魔核が大きく脈打つ。


 次の瞬間、黒い光がトウジの胸へ流れ込んできた。


『今度こそ』


 熱い。


 胸が焼けるように熱い。


『今度こそ』




「――トウジ!」


 鋭く名を呼ぶ声で、意識が浮上した。


 まぶたを開けた瞬間、真っ先に飛び込んできたのはエストの顔だった。


 近い。


 琥珀色の瞳が、心配そうに揺れている。


「……エスト?」


「よかった……!」


 張り詰めていたものが切れたように、彼女の肩が小さく落ちた。よく見ると、目の周りにうっすらと隈があった。


「起きたか!」


 低く響く大声。


 横を見れば、腕を組んだオルドが仁王立ちしていた。


 その向こうでは、老師が杖を握ったまま、じっとこちらを見つめている。


 いつもの好々爺めいた柔らかな笑みはない。目だけが、妙に鋭かった。


 トウジはゆっくりと身を起こした。


 体は重い。だが、動けないほどではない。ただ奇妙なことに、身体の芯に熱が残っている。胸の内側、心臓の裏あたりで、何かがまだじくじくと脈打っている。夢だったはずなのに、確かにそこにある。


「どこか痛むところはありますか?」


 動きを止めたトウジにエストがすぐに身を寄せ、額や首筋に手を当てる。


 ひやりとした指先。治癒魔法の発動光だろうか、ほのかに輝いている。


 その感触に、ようやく現実感が戻ってくる。エストの指に柔らかく触れ、軽く押し戻すように動かす。


「ありがとう、もう大丈夫だから」


「本当に?」


「うん」


 言いながら、確かめるように腕を振り、肩を回し、脚に力を入れる。


 異常はない。


 少なくとも、表面上は。


「毎度毎度、肝を冷やさせやがって」


 オルドが鼻を鳴らした。


「四日四晩ぶっ通しで戦って、そのままぶっ倒れて。担いで戻るこっちの身にもなれ!」


「……ごめんなさい」


「ったく。今度こそダメかとおもったぜ」


ぶっきらぼうな言い方のくせに、その声音には安堵が滲んでいた。


「……そうじゃな」


 老師が小さく頷く。


「ようやった」


 老師がそう言うのは珍しかった。


 だから少しだけ居心地が悪い。


「……ここは?」


 視界に入ったのは、崩れた廃屋の天井ではない。厚い布で組まれた大きな陣幕。床には敷物が重ねられ、簡易の寝所が整えられている。薬草の匂いと、遠くから聞こえる兵士たちの怒号と足音。本営の救護所か?


「本営まで戻ったんですね」


「うむ。おぬし、丸一日以上眠っておった」


 老師が低く告げた、その時だった。


「失礼する」


 陣幕が大きく持ち上がる。


 入ってきたのは、壮年の男だった。


 銀を基調とした重厚な鎧。胸元に刻まれたエルン王国騎士団の紋章。


 貴族然とした威厳を纏う姿に、エストが即座に姿勢を正す。


「叔父上……いえ、総司令殿!」


 エストが騎士礼をとり、オルドと老師も軽く頭を下げた。立ち上がろうとするトウジを右手で軽く制して、総司令は穏やかにほほ笑んだ。


「気が付かれたようで何よりです、勇者殿」


「ご迷惑をおかけしました」


 トウジが頭を下げると、総司令は首を横に振る。


「いや、なんの。魔物の首魁を討ち果たした功績は計り知れませぬ。貴殿のおかげで、多くの兵を失わずにすみました」


 横でオルドが、当然といった顔をして頷いている。


「もっとも、運び込まれた時は本気で肝を潰しましたがな」


 その場に、わずかな笑いが生まれる。


 だが、それはすぐに消えた。


 総司令の表情が引き締まる。


「エスト。聖騎士団が探しておる。急ぎの件だ。すぐ合流せよ」


「え……ですが、トウジが――」


「勇者殿の看病なら我らが行う」


 ちらり、と意味ありげな視線がトウジへ向けられる。


「それとも、還俗を申請するか?」


 エストが一瞬固まった。


「……叔父上」 声色が少し怖い。


「今はそのような話をしている場合ではありません」


いたって真面目な口調だった。


ただ、耳だけは赤い。


「では、失礼します」


 さっそうとした足取りで、彼女は陣幕の外へ消えていった。


 その背を見送りながら、オルドが小さく吹き出す。


「隠す気あんのか、あいつ」


「……何かありましたかの」


 老師が問うと、総司令は懐から地図を取り出した。


「討伐軍の包囲網、その一部が破られました」


 空気が変わる。


「首魁を失った眷属どもが暴走。北の村へ向かっております」


 トウジの胸の奥が、どくん、と跳ねた。


「村……?」


「各地に散った騎士団を再編して向かわせておりますが……間に合うかどうか」


「チッ。頭がいなくなって、残党が好き勝手暴れてやがるってわけか」


 オルドが舌打ちする。


「魔物じゃからの。自分が新たな頭になったつもりなんじゃろう」


 老師の声音は静かだ。


 総司令が地図上の一点を指差した。


「ここです。本営から北寄りの村、ホローム」


「近いな」


 オルドが眉をひそめる。


「人里を見つけたら殺到するじゃろうよ、格好の得物じゃな」


 ――寝所から跳ね起きる。

 

 理屈より先に、体が動いていた。

 

 壁際に立てかけられていた剣を掴む。


「おい、トウジ!」


 オルドの制止が飛ぶ。


 だが、もう足は止まらない。


 胸の奥の熱が、全身を突き動かしていた。


 守れない結末だけは、絶対に駄目だ。


 陣幕を跳ね上げ、トウジは外へ飛び出した。


 冷たい夜気が肌を打つ。


 北の空。星のない空。


 ただ闇が広がっているはずのその空に赤黒い陽炎が立ち上り、揺らぎ、森の木々が織りなす黒を浮き立たせていた。

 

 初めて見る光景だが、はっきりと分かった。あの下に魔物が(うごめ)いている。


 腰の剣を確かめて、勇んで駆け出そうとしたその時。


 がっしりと乱暴に肩を掴まれた。

 

「っと待て、って言ってるだろうがっ!」



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