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1-2 勇者失業

「どうしてこっちに? 二人とも本営にいると思ってましたけど」


 大きな影の持ち主は、戦士のオルドだ。巨人族らしい岩みたいな体格で、鎧の隙間からのぞく筋肉がもはや鎧より硬そうに見える。剥きだしで背負う大剣の柄だけが肩から生えているようだった。その隣の小柄な老人が、老師と呼ばれる高齢の魔法士だ。戦場には似つかわしくない簡素なローブ姿だが、存在感の大きさでオルドを完全に食っている。


「……なんだよお前、ボロボロじゃねぇか」


 オルドに言われて、自分の様子を確認する。


 皮製の防具はかろうじて残っているが、防具の下に着こんでいた防護服のいたるとこが破れ、ちぎれ、肌の露出した部分は、打撲や擦り傷だらけになっていた。


 少し痛みは感じるが、魔物との戦いではよくあることだ。気にしていなかった。


「そんなことより、こっちにくるの早すぎませんか?」


「あー……じーさんがな。どうしても前線に出るって聞かなくてよ」


 オルドが頭をかきながら、少しだけ気まずそうに老師を見る。


「今回のは大物じゃと聞いておったからのう」


 老師は白い髭を撫でながら、にこにこと笑った。


「魔核が気になっておったんじゃよ」


 魔核。


 魔物の核にして、魔素の結晶。


 魔法士にとっては喉から手が出るほど欲しい代物だ。携帯できる魔素供給源。要するに、持ち歩ける予備燃料みたいなものだ。


「すみません、老師」


 トウジは少しだけ頭を下げた。


「魔核、残りませんでした。たぶん、戦闘の最後で壊してしまったと思います」


「ふむ」


 老師は一瞬だけ目を細めたあと、すぐに柔らかく笑った。


「まあ、よいよい。おぬしが無事なら、それで十分じゃ」


 残念そうな声色は、ほとんどなかった。むしろ、本当に無事かを確かめるような目だった。その視線に、胸の奥がわずかにざわつく――また心配されてる。


「なんだ、もう集まっていたのですか」


 凛とした声が、背後から雨音越しに投げかけられた。


 振り向くまでもない。


 エストだ。


 隣に並びかける姿をそっと見る。


 白を基調にした聖騎士の軽装鎧。


 濡れた銀髪が頬に張りついて、それでも不思議なくらい絵になる。


 姫騎士って言葉をそのまま形にしたら、たぶんこうなる。


「そっちはもう終わったのか?」


 オルドが問う。


「騎士団はまだ眷属の掃討中です」


 エストは剣を下ろしながら、小さく息をついた。


「今回は質も量もこれまでとは違って、かなり手こずっています」


 魔物本体に群がる雑魚や眷属を引き受けるのが騎士団の役目だ。その隙に、自分が単独で本体を叩く――いつもの形。でも今回は、その“いつも”が四日も続いた。さすがに長かった。いや、長すぎた。無窮の勇者と呼ばれる自分が、集中力を無くすほどに。


 エストの視線がこちらに向く。


 その表情がほんの少しだけ緩んだが、トウジの全身を見まわし、顔をしかめた。


「……どうやら、無事に討伐、という体じゃないようですね……」


「え、いや、あー……これからそっちを手伝いに――」


「本気で言っているのですか?」


 一言で切られた。


 しかも怖い。


「他人の心配をする前に、自分の心配をしろと何度言えばわかるんです」


 声は静かだ。


 でも逆に怖い。


「いったい、いく日寝ていませんか?」


「えっと……」


「何日、戦い続けました?」


「四日、です」


「わかっているなら言わせないでください!」


 怒られた。


 完全に怒られた。


 思わず視線を逸らす。


 オルドが鼻を鳴らして笑っていた。


 老師も苦笑している。


 うわ、いつもの流れだこれ。


「雨の中で立ち話もなんじゃ」


 老師が空を見上げる。


「どこかで雨宿りでもせんかの」


 エストが来た方向を指差した。


「あちらに廃屋がありました。ひとまず、そこで休みましょう」


 オルドが周囲を見回しながら、賛同した。


「そうだな。この瘴気の濃さじゃ、まだここを離れられねぇ。新しく湧く可能性もある」


 瘴気とは魔素の集まりだ。ただし魔素とは位相が違うとかなんとか――老師の言葉はときどき理解できなくなる。いわば、魔物の根源。


 普通の人族なら、その中に長く浸れば、あり様が変わる。命にもかかわる。


 でも、自分たちには効かない。


 少なくとも、自分には。


 空気と変わらない。


 瘴気の中でも動ける。それで十分だ。




 森の中。ぽつんと建てられて朽ちた廃屋の石庇の下。


 雨粒が糸みたいに垂れ続けていた。


 4日と4晩降り続いている雨。老師が仕込んだ魔法雨だ。


 ただの雨じゃない。


 微量の魔力を含ませて、雨音の数だけ瘴気や周囲の魔素を少しずつ削っていく。


 魔力と魔素とが交わることでお互いを打ち消し合うのだと老師は言う。


 地味だけど、確実な浄化方法。




 手足を伸ばし、雨の様子をぼんやり見ながら空白の時間を過ごしていると、身体のあちこちがどんどん弛緩していくのがわかる。


 傷は、エストが治癒魔法を使ってくれた。


 なんで毎度毎度、こんなに傷だらけになるんですか。


 治療の間、ずーっと小言を言われ続けた。


 それにしても。無窮の勇者と呼ばれているわりに、これほど疲労したのは初めてだ。


「これで、ようやく終わりか」


 壁にもたれていたオルドがぽつりと漏らす。


 終わり。


 その言葉が、妙に重い。


「そうじゃな」


 老師が静かに頷いた。


「八十年近く続いた大掛かりな魔物討伐も、今夜で終幕じゃ」


「……じゃあ」


 オルドが眉をひそめる。


「俺たち、失業か?」


 思わず少し笑ってしまった。


「本当に失業するのって、オレとオルドさんの二人」


 エストは四柱聖環院の神官様だし、老師は言わずと知れた大魔法士様だ。


「ますます笑い事じゃねえぞ、そりゃ!」


 でも、その声にもいつもの棘はない。


 むしろ、少しだけ寂しそうだった。


 ずっと戦ってきたはずだ。


 それこそ、自分がこの戦に加わるずっと以前から。


 失業といえば、無窮の勇者もそうか。


 魔物に特化して、魔物が倒れるまで戦い続けることから名づけられたトウジの二つ名。


 そんな大仰な呼び方をされるのも、今日で終わりだ。


「トウジ」


 エストがこちらを見る。


「あなたは、この先どうするつもりですか」


「……あ…えー」


 正直、考えていなかった。


 この5年、戦うことしかしてこなかったから。


 戦わない自分には、何の価値もない、と思っているから。


「考えてませんでした」


「本当にあなたは……」


 呆れたようなエストの声。


 でもその目は、言葉以上に心配そうだった。


 老師も、オルドも同じような目でこちらを見ていた。


 この目線は……将来のことより、あっちのほうか。


 思い当たることは、確かにある。ここ最近の、魔物討伐のあとのことだ。


 突然、意識が落ちることがある。原因不明の昏睡だ。4日4晩は極端にしても、毎回、長時間にわたる激しい戦闘を行った反動だろうと思っていた。皆からもそう言われていた。


 それでも、意識をなくしている時間は、だんだん短くなっていたか…ら…………




 あれ? おかしいな。


 体が、妙に重い。


 指先の感覚が、少し遠い。


 眠い。


 急に。


 ものすごく。


「トウジ?」


 エストの声が、少し遠く聞こえた。


 視界の端で、老師の杖を握る手に力が入るのが見えた。


 オルドも、膝立ちになってこちらを見ている。


 これじゃまるで、失業に動揺して気を失う人、みたいですね。


 そんな軽口を口にしようとして、声が出なかった。


 世界が、ふっと傾く。


 次の瞬間。





 トウジの意識は、静かに闇へ沈んだ。


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