4-2 残心
マルヴォロス公爵領の領都に着いたのは、夜も深くなってからだった。
高い城壁が闇の中に立ち上がり、篝火の明かりがその輪郭だけを浮かび上がらせている。
広く深い堀が巡らせてあったが、馬車の衛兵が声をかけると跳ね橋がすぐに降ろされた。そのまま門を抜け、野盗の引き渡しのため衛兵詰め所へ向かう。
事情聴取は長引いた。発見の経緯、人数、戦闘の状況。それらが細かく確認され、記録され、解放された頃には、すでに深夜だった。
通りは静まり返っている。
「……宿は無理っぽいね」
「ギルドも、だめ」
城塞内で野宿しても怒られないかな、と小声で話す二人にサイナが声をかけた。
「命の恩人に野宿させちゃ鍛冶師ハルドの名が廃るってね」
トウジとシュクリがサイナを見る。
「よかったら、うちにおいで。寝る場所くらいは用意できるよ」
そう言うとサイナはニッコリと笑った。
「やった」「いいんですか?」
トウジとシュクリは、その提案に飛びついた。
ハルドの鍛冶屋は城壁近くの通りにあった。
外に設えられた鍛冶場の様子は、暗がりでよくわからなかったが、炭を燻したような、金属を焼いたような独特な匂いがした。
裏口横の小屋では、驢馬が静かに草を食んでいた。サイナが軽く声をかけると、鼻を鳴らす。
三人は、裏口から家へと入っていった。
「ただいま」
奥から、パタパタと小さな足音。扉を開け、お下げ髪の少女が顔を出した。
「お……え?」ピタリと止まった。見知らぬ二人に驚いた表情を見せる。
「お客さんだよ。遅くなっちまってね」
「あ、うん……」
戸惑いながらも、姿勢を正しペコリと頭を下げた。
「リナ、空いてる部屋見てきてくれるかい」
「うん!」駆けていく足音。
サイナはそのまま台所に立ち、火を起こした。
「お腹減ってるだろ。すぐできるから、適当に座っといておくれ」
鍋に干し肉と野菜を入れると、すぐに音と匂いが広がる。
荷物を置き、食卓にトウジとシュクリが二人並んで座る。
戻ってきたリナが言う。
「部屋、大丈夫」「ありがとね」
料理しながらサイナが言う。
「この子、娘のリナ。聖環院の神官候補なんだよ」
少し誇らしげだ。
「……リナです」「トウジです」「シュクリ」
「よしできた。簡単なもので悪いけど」
温め直した汁物とおかずと麺麭が手早く食卓にならぶ。
「さ、食べようか。リナはもう済ませちゃってるんだろ?」
「うん、大丈夫」突然声を掛けられて、ピクっとなるリナ。
そんな二人の様子を、トウジはまじまじと見ていた。
見られていると知って、リナは頬を染め小さく俯いた。
食事が終わる頃には、すっかり夜も更けていた。
「今日はもう遅いから休んだ方がいいね」
サイナが立ち上がる。食卓の空いた食器をてきぱきと片付け始める。
「トウジさんは奥の部屋で。シュクリちゃんはリナと一緒でいいかい?」
「すみません」「いい」
リナは一瞬驚いたが、すぐにうなずいた。
食器を片付け終わったサイナが居住まいを正した。
「二人とも、今日は本当にありがとうね。娘にこうやって会えたことを感謝します」
そう言うと深々と頭を下げた。トウジとシュクリは何も言わず、リナはサイナのその姿を見て目を丸くしていた。
それぞれ寝床へ向かう。
家の中は静かになり、外では遠く夜番の足音が響いている。
トウジは、横になり、目を閉じる。
さっきの光景が浮かぶ。食卓の明かり。サイナの声。リナの表情。
守れたものが、そこにあった――それでいいはずなのに。
手の奥に残った感触だけが、消えない。指を動かしても、まだそこにある気がする。
考えようとするほど、うまくまとまらない。そのまま、考えるのをやめた。
やがて意識は、ゆっくりと沈んでいった。
翌朝。
朝食までしっかり御馳走になったあと、トウジとシュクリはハルドの鍛冶屋をあとにする。
「リナはもう神殿さ。神官見習いでも、朝の祈りは絶対だからねぇ」
サイナが苦笑混じりに言う。
「大変ですね」
「まったくだよ。休みの日でも鐘が鳴る前には飛び起きるんだから」
見送るサイナに頭を下げ、二人は通りへ出た。
朝の領都は、昨夜とは別の街のようだった。
石畳の通りには荷車が行き交い、露店からは焼きたての麺麭や煮込みの匂いが漂ってくる。
北方の要塞都市という印象とは裏腹に、人の熱気があった。
「こっち」
シュクリの案内で、商店の並ぶ一角へ向かう。
そこに、冒険者ギルド領都支部はあった。
王都支部ほど巨大ではないが、三階建てのしっかりした建物だ。朝から出入りする冒険者も多い。
中へ入ると、酒と革と鉄の匂いが混ざった、いかにもギルドらしい空気が広がっていた。
トウジは受付へ向かう。
「王都支部のトウジです。こっちはシュクリ。北方探査の――」
そこまで言いかけた瞬間。受付嬢が勢いよく顔を上げた。
「支部長ぉー!! トウジさん来ましたぁー!!」
館内に響き渡る大声。トウジとシュクリが、びくっと肩を揺らす。
次の瞬間、二階から凄まじい勢いで足音が響いた。
「と、トウジさんですか!?」
転がるように階段を駆け下りてきた男が、そのまま両手を掴みそうな勢いで迫ってくる。
「お待ちしてました! 私、領都支部長のガイアスです!」
「は、はぁ……」
「いやぁもう、王都支部から早馬が来るわ、“絶対に粗相するな”って何度も念押しされるわで!」
「北部探査については、よく打ち合わせるようにとも指示されてまして!」
息継ぎもなく喋り続ける。トウジは少し圧倒されながら、曖昧にうなずいた。
すると。
「――ごほん」
背後から、妙に整った咳払いが聞こえた。
振り返る。
そこには、神官服を着た若い男が立っていた。
身体の前で静かに手を組み、にこやかな笑みを浮かべている。
「四柱聖環院領都支院所属、神官スーランと申します」
柔らかい声だった。
「この度の北方探査について、少々お話が」
その瞬間、ガイアスの顔が露骨にしかめられた。
「……なんでお前がもう来てるんだ?!」
「なにがです? 探査案件ですよ? 聖環院が確認に来るのは当然でしょう」
「確認だぁ? 来るのを待ち構えておいて!」
ガイアスが眉を吊り上げる。
「また契約に横槍入れる気じゃないだろうな」
「人聞きの悪いことを言わないでいただきたい」スーランは笑顔のまま返す。「我々はただ、勇――失礼、トウジ様と入念な確認をですね」
「嘘つけ。前も“安全確認”とか言って、うちの契約内容を半分ひっくり返しかけただろうが!」
「ですから今回はそういう話ではありません」
「信用できるか!」
周囲の冒険者たちが「あー始まった」と言いたげな顔で視線を逸らしている。どうやら日常らしい。
トウジとシュクリは顔を見合わせた。
「……打ち合わせ、する?」
「する」
二人は自然に受付へ戻る。受付嬢も慣れた様子だった。
「じゃあ探査範囲の確認からいきますねー」奥から取り出した地図を広げる。
どうやら、あの二人は放置でいいらしい。
「反応器は持ってきてます?」「うん」
「封印容器は?」「ある、3つ」
シュクリが荷物を軽く叩く。
「最低限は揃ってるんですけど……うーん」
受付嬢が少し困った顔をした。
「封印容器、足りないかもですね。探査範囲広いですし」
「追加、必要?」「たぶん」
すると受付嬢が、まだ口論中の神官へ向かって声を張った。
「スーランさーん! 聖環院で封印容器、用立ててもらえませんかー? うち在庫切らしててー!」
「え?」スーランがこちらを見る。「あぁ、もちろん構いませんよ」
そのままガイアスへ、にこやかに視線を向けた。
「探査用消耗品すら満足に確保できない支部長殿では大変でしょうし」
「おいコラ」
ガイアスのこめかみに青筋が浮く。
シュクリが小さく手を上げた。「あとで、いく」
「承知しました。支院で準備しておきます」
「お前ら勝手に話進めんな!」
「仕事ですので」
「俺も仕事してんだよ!!」
再び言い争いが始まる。
トウジはしばらくそれを見ていたが、やがてぽつりと呟いた。
「……仲、悪いんですね」
受付嬢が遠い目で答える。
「すっごく悪いですよー」
ギルドでの打ち合わせを終える頃には、すっかり昼前になっていた。
結局最後まで、ガイアスとスーランの言い争いは止まらなかった。
「だからですね、北方探査というのは事前準備が――」
「準備してるっつってんだろ!」
「足りてませんでしたよね?」
「ぐっ……!」
受付嬢が慣れた様子で帳簿を閉じる。
「はいはい、お二人ともその辺でー」
どうやら、これも日常らしい。
結局、ギルドは、神官スーランと一緒に出た。
四柱聖環院領都支院は、ギルドからそう遠くない場所にあった。
白い石造りの建物で、尖塔の先には四柱聖環院の紋章が掲げられている。
ギルドの喧騒とは対照的に、敷地の中は静かだった。
「少々お待ちください」
支院の入口でそう言い残し、スーランは建物の奥へ消えていく。
トウジとシュクリは、その場で待つことになった。
中庭では、何人かの見習いたちが掃除や水運びをしている。
白い神官服姿の少女たちが忙しそうに行き交い、その中に見覚えのある顔が混じっていた。
鍛冶屋の娘のリナだった。大きな桶を抱え、笑顔を見せながら他の見習いたちと並んで歩いている。
こちらに気づいたらしい。一瞬だけ目が合う。シュクリがわずかに手を上げる。リナは慌てたように小さく頭を下げ、そのまま足早に通り過ぎていった。
しばらくして、スーランが戻ってきた。木箱を抱えている。
「お待たせしました」
蓋を開ける。内側に封印符の貼られた、小ぶりな容器がいくつも収められていた。
「北方用です。通常の封印容器より少し強めに処置してあります」
「ありがとうございます」「いえ」
スーランは穏やかに微笑む。だが、その目は少しだけ真面目だった。
「……帰らずの森へ入るのでしょう?」
トウジがうなずく。
「ご無理はなさらないように」
神官らしい言葉だったが、その声音には妙な実感があった。たぶん、本当に帰ってこなかった者たちが何人もいるのを知っているからだろう。
「……あぁ、そうでした」
支院を出ようとしたところで、スーランが思い出したように声を上げた。
「王都本院から、伝言を預かっていました。これをお伝えしたくてギルドに行ったのでした」
トウジが振り返る。
「伝言?」
「はい。昨日付で、こちらへ届きました」
スーランは軽く咳払いをしてから、静かに言った。
「――『無茶をするなとは言いません』」
その声音に、トウジの脳裏へ、ひとりの顔がよぎる。
「『どうせ貴方はするのでしょうから』」
シュクリが、じっとトウジを見る。
「『ですが、帰ってきてください』」
そこで一度、言葉が切れた。
「『……心配する人間がいることくらいは、少し覚えていてください』」
静かな口調だった。けれど最後の一言だけ、妙に実感がこもっていた。
トウジはしばらく黙っていたが、困ったように少し笑う。
「……なんか、怒られてる気がします」
「ですね」スーランが小さく笑う。
すると横から。
「全部心配!」
シュクリがグサリと突き刺した。
「えぇぇ……」
思わずそんな声が漏れる。スーランはわずかに肩を揺らした。
「では、お気をつけて」
トウジは小さく頭を下げる。シュクリが荷を持ち直し、二人で歩き出した。
北の森へ向かって。




