3-9 北への旅立ち(第3章エピローグ)
その日の夜。冒険者ギルド王都支部長室には、灯りがまだ残っていた。
机の上には、数枚の羊皮紙。広げられたまま、手は止まっている。
支部長は椅子に深く腰掛け、腕を組んでいた。視線は紙の上に落ちているが、読んでいる様子ではない。考えている顔だった。
扉が開いた。ノックはない。
「珍しいなこんな時間まで。いつもならもういなくなる時間だろ」
事務局長が、手に分厚い書類の束を持って、いつもの調子で入ってくる。そのまま机に近づき、どさりと置いた。
「なぁ、これどう思う?」
机の上の羊皮紙を、指で叩く。少しだけ怪訝な声。
「……あぁ、午後に行ったらしいな。契約成立か、良かったじゃないか」
羊皮紙にチラリと目をやり、何の契約書かを確認した事務局長は軽く流す。
だが支部長は、うなずかない。
「あ、うん、まぁ……だけどこれ、前のとまったく一緒なんだよなぁ」
「ん?」
事務局長が一枚引き寄せる。目を走らせる。
「一般級以上の随伴者1名以上。領都の聖環院支所への報告義務。探査域の指定……。そうだな。一緒だな。で、それが?」
支部長は、少しだけ声を落とす。
「えっとな、こっから先はここだけの話なんだが」
「?」
支部長は、羊皮紙から視線を外さないまま言った。
「トウジ君な、無窮の勇者君なんだわ」
空気が止まる。
「……はっ?」 事務局長の声が、少し遅れて出る。
「おい、ちょっと待て!」
身を乗り出す。
「無窮の勇者って、あれだろ?! 単独で首魁級の魔物を何体も屠ってるって!」
支部長が肩をすくめる。
「お、よく知ってるな。そうそう」
「これでも現役の魔物専業だぞ、こっちは……いやそういうことじゃなくてだな!」
頭を掻く。
「あ~、だから新鋭級余裕って……いや余裕どころじゃねぇ!」
机を指で叩く。「国家級あるじゃねーか!」
「うん」 あっさり頷く。
「あと、トウジ君の扱いを巡って、王国と聖環院がバチバチになってるって話があってな」
「ちょっと待て、待てって!!」
思わず声が上がる。
「なんだよそれ!! そんな奴うちに入れたのか?!」
「な」
支部長が笑う。
「メンドウクサイやつだろ?」
「おいおいおいおい……」
額を押さえる。深く息を吐く。
「あ~……お前もしかして、聖環院行かせたのって」
支部長が、にやりとする。
「この件、あいつらがどんな対応するのか、ちょっと知りたいだろ?」
羊皮紙を軽く持ち上げる。
「だけど普通なんだよな~」
紙をひらひらと揺らす。
「普通の対応ねぇ……そうだな、わからんな~」
事務局長は眉を寄せ、腕を組む。
「だろ?」
少しの沈黙。
事務局長が、ぽつりと呟く。
「……それ、聖環院側がトウジ君って分かってねーんじゃねぇの?」
支部長の手が止まる。
「……どういうことよ?」
「いや、聖環院って半分役所みたいな組織だろ」
片手で、顎をさすりながら、続ける。「いつものことなんで、はい了解ですって書類処理しちまった、とか」
支部長の目が、ゆっくり細くなる。
「……ありうるか」
「ありうるな」
二人の視線が、机の上の羊皮紙に落ちる。
さっきまでと同じ紙なのに、意味が変わって見える。
「こりゃあれだな」
事務局長が姿勢をもとに戻す。
「聖環院からなんか言われる前に、さっさと送り出すべきだな」
「だなぁ」
「監視がさらにきつくなったり、条件が増えるのはウチとしてはおもしろくない」
軽く笑う。
「じゃ、決まりだな」
支部長が椅子から立ち上がり、羊皮紙をまとめる。
「明日には出す」
「早ぇな」
「こういうのは早い者勝ちってな」
笑いながら短く言い切る。
事務局長が肩をすくめる。
「……まぁ同意見だがな」
灯りの下、羊皮紙が重ねられる静かな音がした。
翌朝は、早かった。というより、準備する時間が与えられなかった。
「出るぞ」――それだけで決まった。言葉が少ない分、躊躇する余地もなかった。
ギルドの裏口に出ると、まだ日が上がりきっていない空気が残っていた。夜の冷たさが抜けきらず、石畳に触れる風はどこか硬い。街は起ききっておらず、人の気配もまばらで、自分の吐く息が大きく聞こえた。
そこに、荷物が置かれていた。
量が多い。ひと目で分かる。遠征用の、それも長期を前提にした荷だ。
「んっ」
シュクリがそれを軽く持ち上げる。肩に担ぎ、紐を締め、体に馴染ませる。その一連の動きには無駄がなく、荷はなんなく小さな背中に収まり、揺れもなく静まる。決して軽くはないだろうが、扱いに迷いはなかった。
「……重くない?」
トウジが思わず聞くと、シュクリは少しだけ首を傾げて、「んー、こんなもん」と気軽に返した。
「シェルパ、してた」
それだけで説明は足りている、という顔だった。
トウジは自分の装備に視線を落とす。身につけているのは最低限の旅装だけで、荷らしい荷はほとんどない。軽い。軽すぎるくらいだ。自然と視線がシュクリの背へと移り、その差の分だけ身につまされる。
「あの……」
シュクリが振り向く。「ん?」
「いや、その……」 言葉を選ぶほどのものでもないのに、少しだけ間ができる。
「……なんか、スミマセン」
シュクリは一瞬だけ目を丸くし、それからすぐにケラケラ笑った。
「仕事、だよ」
軽い調子で、そう言って、肩を少し揺らす。背負った荷はびくともしない。
「これ、慣れてる」
それで終わりだった。
背後で足音がした。重い、いつも聞いてた音だった。
振り向くと、オルドが立っていた。腕を組んだまま、何も言わずにこちらを見ている。
オルドの口がわずかに動く。言葉が出かかる。何かを言おうとしているのはわかった。しかし、言葉にならないようだった。
トウジと視線が合う。オルドは、息をひとつ吐いた。
「……無茶すんじゃねぇぞ」
と言って、ニヤリと笑う。
「うん、行ってきます」
結局、いつもと同じやり取りが繰り返された。
支部長が外に出てきた。事務局長も一緒だ。
「準備はいいかな、道中は適当に。報告は忘れないようにね」
事務局長が言い、支部長は、腕を組んだまま二人を順にみて、一つ頷いた。
「よし、それじゃ行っといで」
支部長の軽い送り出しが二人の背中を押す。
「はい」「うん」
トウジは軽く会釈をして、シュクリは、シュタッと手を上げて出発した。
裏門の向こうの街は、まだ完全には動き出していない。朝もやの中に静かに沈む街並みは静かで、その静寂は、これから動き出す前のわずかな緊張が含まれているように思えた。だが、その緊張を二人が意識することはなく、歩き出した足取りは軽かった。
三日後の夜、音のない四柱聖環院に声が響いた。
「なによこれ! 聞いてないわよ!」
聖女様の執務室から、だった。




