3-4 採用試験 前半
朝の光が、やけに刺さった。
瞼の裏にまで入り込んでくるような明るさに、トウジは顔をしかめる。
頭の奥が鈍く重い。意識を持ち上げようとすると、そのたびにこめかみのあたりで何かが軋む。
「……起きろ」
低い声と同時に、肩を揺さぶられる。
「……むり、です」
反射的に返した声は、自分でも驚くほど弱く、干からびていた。
「無理じゃねえ。起きろって」
容赦がない。
もう一度強く揺さぶられて、さすがに諦めて目を開ける。視界がぐらりと揺れた。天井が回っているように見える。
「……あたま、いたいです」
「楽しい朝だよなぁ」
オルドが笑いながら、衣類をトウジに投げ渡す。
「……あれ、毒じゃないんですか」
「瘴気よっかはマシだろ」
ひどい理屈だった。
体を起こそうとして、失敗する。力が入らない。というより、入れようとすると気持ち悪くなる。
その様子を見て、オルドがため息をついた。
「ゆっくりでいいから、着替えな。その一張羅じゃ、動くに動けねぇ」
一張羅? 見下ろして、ようやく気付いた。昨日の正装のままだった。
あわてて起き上がり、服を脱ごうとしたら、嗚咽がこみあげてきた。
……まずい。
口を押え、ズキズキとした頭を上げて辺りを見渡す。
「……ここは?」
「じーさんの本拠地。魔法士の巣窟ってやつだな」
「老師の?」
そういえば、魔法士協会の顧問とかって偉い人もやってるって言ってたっけ。
「じーさんはもうどこかに行っちまった。トウジ、朝飯は?」
のろのろと着替えながら、朝飯と聞いただけで、また嗚咽がこみあげる。
「…ウッェプッ……うぃらないぇす…」
ヘンな声がでる。
「これで腹いっぱい朝飯食って、盛大にやらかすってが定番なんだけどよ」
オルドは、始終ニヤニヤしながらトウジを見ていた。
「……オルドさん、なんか楽しそうですよね……」
「ああ楽しいね。倒れたお前さんを、なんの心配もなく起こせたからな」
がははと豪快に笑うオルド。
「もう……」
いきなりバツの悪くなったトウジは、貫頭衣を乱暴に被って表情を隠した。
魔法士協会の外に出ると、朝の空気が肌に触れた。
ひんやりとしていて、少しだけ気分が楽になる。
だが頭の重さは消えない。むしろ、光と音が増えた分だけ辛くなった気もする。
王都は、もう完全に動き始めていた。
石畳の通りを、荷車が軋みながら進み、商人たちの呼び声が飛び交い、店の扉が次々に開けられていく。焼きたてのパンの匂い、香辛料の刺激的な香り、どこかで煮込まれているスープの匂いが混ざり合い、空気が重くなる。
人の流れがある。
ぶつからないように避けるだけでも、少し気を使う。
――それが、今はやたらと難しい。
「……人、多いですね」
「王都だからな」
簡単に返される。
トウジは足元を見ながら歩いた。視界を上げると胃の当たりまだムカムカする。
石畳の模様だけを追っていれば、まだましだった。
時折、すれ違う人の視線がこちらに向く。
正確には、オルドにだ。
巨人族の体格は目立つ。そこに半分引きずられているフラフラの少年がいれば、なおさらだ。
「……見られてますね」
「なんだと思われてんのかな?」
「巨人族に拉致されていく少年」
「まんまじゃねーか」
二人して、へへへと笑い合う。
やがて通りの幅が広がる。
建物の造りも変わっていく。より大きく、より装飾的に。看板の文字も洗練され、扱われている品も明らかに質が高い。
商業地区の中心だ。
人の密度がさらに増す。だが雑然としているわけではない。流れが整理されている。金が動く場所の秩序だった。
二人の向かった先は、石造りの二階建ての建物だった。王城のような装飾はない。代わりに、実用性と頑丈さが前面に出ている。商業地区の建物の中にあっても、まったく遜色はない。
入口は広く開かれ、人の出入りが絶えない。扉の上には大きな看板が掲げられていた。
天秤に剣と盾を交差させた紋章。
その下に刻まれた名。
冒険者ギルド王都支部。
建物の前で、オルドが足を止めた。
「着いたぞ」
短く言う。
トウジは顔を上げようとして、やめた。まだ少し危ない。
代わりに、入口から漏れてくる音を聞く。
ざわめき。
笑い声。
怒鳴り声。
木が打ち合わされる音。
何かが倒れる音。
それらが混ざり合って、外にまで溢れている。
王城とも、協会ともまったく違う。
もっと荒くて、もっと生々しい空気。
「……うるさいですね」
正直な感想だった。
オルドが、口の端をわずかに上げる。
「いい感じだろ?」
その一言に、どこか楽しげな響きがあった。
トウジはもう一度だけ、建物の方を見る。
中に入れば、たぶん静かではいられない。
それだけは、なんとなく分かった。
「……帰っていいですか」
「もちろんだめだ」
そのまま、オルドに引きずられるようにして、トウジは冒険者ギルドの中へと足を踏み入れた。
扉をくぐった瞬間、音が変わった。
ただの喧騒ではない。笑い声や怒鳴り声が混ざっているのに、一時もとどまらない。流れている。
誰かが声を張っても、それが別の声を潰さない。不思議なまとまり感があった。
広い。入口から見えるだけでも奥行きがある。内部はいくつかの区画に分かれていた。
右手の掲示板には紙がびっしり貼られているが、雑ではない。色分けされ、ざっと眺めただけでも整理されていることがわかる。
左手には受付。複数の職員が並び、書類を確認し、印を押し、短く指示を出している。手は速いし、流れも乱れない。
中央に大きな空間ができていて、軽い打ち合いをしている者や立ち話をしている者が何組もいる。壁際には机・椅子が置かれ、地図を広げて話し込む一団、装備を点検する者や食事をしている者たちが混在している。
「……思ってたのと違いますね」
トウジが小さく言う。
「もっと雑然としているかと思ってました」
オルドが肩をすくめる。
「ここは仕事するための場所だからよ」
短い説明だったが、それで十分だった。確かに朝っぱらから酒を飲んでいる者もいる。たぶんどこかで“仕事”に繋がっているんだろう。
視線を巡らせると、何人かと目が合う。だけど、すぐに目線を外される。測られているというのはわかる。
野営地で見た連中と、空気は同じ。ただ、数が多いし、整然と物事が流れている分だけ妙な威圧感があった。
「オルド! 久しぶりだな!」
受付の奥から声が飛ぶ。
「お前、帰ってきてたのか」
男が近づいてきて手を上げる。どうやらオルドの知り合いらしい。
「まぁな、ここがオレの本拠地だからよ」
オルドが返す。
「ん? そいつは?」
男の視線がトウジに移る。野営地のときと同じ、流すような視線。
「聞いてねぇか?」
オルドが短く言う。
それだけで通じた。
男の口元がわずかに歪む。
「……ああ、あれか」
一度、トウジを見て、軽く息を吐く。
「面倒なのって言ってたが」
上から下まで、じろじろと見られる。居心地が悪い。
「ふーん。今朝、妙に早く顔を出したんで、おかしいと思ってたが、これが原因か」
「原因、ですか?」
原因呼ばわりで、それ以上の説明はない。
男は一瞬だけ考え、視線が少しだけ奥の上へ向く。
「もういるぞ」
オルドが鼻で笑う。
「話、早えな」
男は手を振った。
「勝手に上がれ。いちいち『通す』のも面倒だ」
その言い方に遠慮はない。
だが、それを聞いた周囲の何人かがわずかに反応する。
「……おい、直通かよ」
「誰だあれ」
小さなざわめき。このやり取りを聞いていた連中の興味が混じる。
トウジはその空気を感じながら、オルドの後を追う。
「……いいんですか」
「じゃねぇの?」
オルドは振り返らない。そのままズカズカと奥へ進んでいく。
階段を上る。下の喧騒が遠くなる。
二階は静かだった。完全に静かではないが、音が抑えられている。
廊下の両側に扉が並び、いくつかは半開きで、中では資料や地図を広げて話し合いが行われている。
突き当たりの扉の前で、オルドが止まる。ノックはしない。そのまま開けた。
「よお、連れてきたぜ」
中にいた男が顔を上げる。
野営地で見たときと同じ、力の抜けた姿勢。椅子に深く座り、足を組み、書類に囲まれている。仕事しているだろうその姿も場違いなくらい気楽に見える。
あの夜、円の外に立っていたときの空気と、まったく同じだった。
「お、来たか」
男が笑う。
「早かったな」
オルドが肩をすくめる。
「その方がいいだろ?」
男――支部長は座ったままトウジを見る。
足元、重心、手の位置、視線――一瞬で終わる。
トウジのことを確認した支部長が椅子から立ち、机を回って、オルドとトウジの立つところへやってくる。
ただ歩いてくるだけなのに、空気が変わる。
支部長は、右手を差し出しながら言った。
「改めて、カイル・ヴェイン・ボルグレイ、冒険者ギルド王都支部長だ」
右手中指の指輪がキラリと光る。
「よろしく、トウジ・アイヒラー君」
いきなり姓名を呼ばれて、トウジは固まった。
「昨日は、肩が凝っただろう? ああいった儀式はさっさと終わらせて欲しいよね」
「なんだよお前来てたのか」
「あれも立派な支部長の仕事でね。これでも来賓扱いだよ」
「で、ずいぶん飲まされた様子だったけど、体調は大丈夫なの?」
「宴席にも、いらっしゃってたんですか?」
握手を終えながら、トウジが驚いたように言う。
「話しかけようと思ったんだけど、君、人気者だから近づけなかったよ」
「嘘こけ。どうせ、高っい酒ばっか選んで飲んでただけろうが」
「失敬な。礼儀だよ、礼儀」
オルドと支部長のやり取りは、気の置けない仲間といった感じだった。
「で、試験、やるけど。少し後にしようか」
「?」
「見たところ二日酔いっぽいし、少し何か入れた方がいいでしょ」
軽くトウジのお腹あたりをこずく。
「お見通しかよ」
「いや~、僕も少しね」
ハハ……と笑う支部長に、なんだよそりゃ、とあきれ返るオルド。
トウジは一瞬だけオルドを見る。
オルドは何も言わずに、ニヤリと返す。
「それじゃ、1刻後ぐらいに下で」
軽く言って、支部長は手をひらひら振る。
特別な説明もない。注意もない。ただ――“試す”とだけ決まっている。
トウジは、その場に立ったまま、わずかに息を吐いた。
二日酔いの重さは、まだ残っている。頭も、少し鈍い。
それでも。
身体の奥で、何かが静かに目を覚まし始めていた。




