018 解隊式
――王城。
謁見の間への大扉が、低く重い音を響かせながら開かれた。
磨き抜かれた白大理石の床は、天井から差し込む光を水面のように映し返し、列をなして進む者たちの姿を淡く揺らしていた。高く伸びる柱には、この国の歴史が精緻な彫像となって、静謐な威圧をもって参列者を見下ろしていた。
柱は、順を追って刻まれている。旗を掲げる者、剣を掲げる者、書を捧げる者。奥へ行くほど装いは簡素になり、彫りは深く、そして古い。
最も奥の柱には、荒れた平原に杭を打つ数人だけが刻まれていた。背後には、何もない。都はまだ、そこにない。
建国。この国が始まった日である。
地の下に何があったかは、誰も彫っていない。
扉から玉座へと深紅の絨毯が一直線に伸びている。
左右には諸侯と廷臣が列をなし、その後方には宝石と絹に身を包んだ婦人たちが控えている。彼らの視線は穏やかに見えて、実のところ鋭い。観察し、比較し、記憶する――宮廷に生きる者の眼差しである。
彼らの視線の先、赤絨毯の手前には、討伐軍より選抜された兵士たちが整列していた。先頭には各隊を率いた上級指揮官が並ぶ。
やがて廷臣の声が高らかに響く。
「これより、此度の魔物討伐における功を糺し、これを賞す」
玉座にある王が静かに頷くと、側近が一歩進み出で、功をなし名を上げた者の名を呼ぶ。
恩賞は、領地、金、役職、爵位と様々であった。
最初に呼ばれたのは、北方軍を率いた老将だった。
「――辺境伯領、東部三郷を加増。あわせて、以後の軍役を免ずる」
老将は深く頭を下げた。顔は、上げなかった。
次。中央軍の将。金貨と、王都近郊の館。こちらにも軍役の免除がついた。
次。次。次。
名が読み上げられるたび、恩賞の中身が少しずつ変わっていく。領地から、金へ。爵位から、役職へ。そして役職から、金だけへ。
序列だった。
トウジには、その意味がすぐには分からない。だが、列の空気が変わっていくのは分かった。前のほうで頭を下げる者は静かで、後ろのほうで頭を下げる者は、どこか早い。
「――以後の軍役を免ずる」
その言葉が、何度も繰り返された。
誉れとして読み上げられている。だが、聞きようによっては、別のことを言っていた。
――もう、要らない。
八十年続いた討伐が終わるというのは、そういうことだ。
褒美と引き換えに、仕事がなくなる。
誰もそれを口にしない。玉座の前で口にできることではない。だから全員が深く頭を下げて、静かに受け取っていった。
トウジは、その光景を見ていた。自分が関わった戦いが、こうして秩序だった言葉に置き換えられ、評価として積み上げられていく。それをどこか遠いもののように感じながら、ただ目で追っていた。
やがて最後の名が読み上げられ、指揮官たちは左右に分かれて下がる。中央に空白が生まれると、自然と視線が扉近くに控えていた四人へと集まった。
廷臣の声が、わずかに調子を変える。
「――次に、特務任務において殊功を立てし者」
どよめきが広がる。
「勇者トウジ・アイヒラー殿、ならびにその一行」
さらにどよめきが広がる。勇者、という言葉への反応だろう。
ただ、玉座に近い列の数人だけは、少し違う顔をしていた。
トウジは一瞬だけ息を止め、それから前へ踏み出した。赤い絨毯を進む間、先ほどとは明らかに異なる密度の視線が集まる。好奇、評価、そして測る視線。
王を直視することなく視線を落とし、定められた位置で片膝をつき、拝跪する。エストに繰り返し叩き込まれた所作を、身体がなぞる。
廷臣が読み上げる。
「同人、討伐行において先鋒を務め、首魁級魔物二体を単独にて撃破。さらに眷属群を殲滅し、討伐軍主力の損耗を著しく軽減せり。また遠征先集落において非戦闘員の保護・救出を完遂し、死者を一人も出さず任務を終えしこと、まことに顕著なる功と認む」
言葉は簡潔でありながら、その意味は重い。積み上げられた実績と、最後に成し遂げた完全な勝利が、ここで明確に示される。
「首魁級を二体?」 「死者なし?」 居並ぶ貴族たちの間に驚愕がざわめきとなって広がっていく。
王の声が落ちた。
「面を上げよ」
一度では動かない。間を置いて、もう一度。
「よい、面を上げよ」
トウジはゆっくりと顔を上げた。王と視線が合う。遠い。だが確かに、こちらを見ている。
「マルヴォロス公より仔細の報を受けておる。よくぞ民を守り、軍を守った。見事な活躍であったな」
短い言葉。しかし、それは王自らが功を認めたという何よりの証だった。居並ぶ貴族や婦人たちの間に、抑えきれぬ驚きが静かに広がる。
側近が羊皮紙を掲げる。
「王命により、その功を賞し、金貨二百枚および宝飾一式を下賜する。あわせて王国名誉騎士の称号を授与し、以後その名を王国に列するものとする」
トウジは、それを聞いていた。確かに聞いているはずだったが、どこか実感が伴わない。自分の行いが、自分のものとして結びついてこない。
側近が、次の名を読み上げた。
「巨人族オルド殿」
重い足音が、絨毯を進んでくる。
トウジは前を向いたまま、音だけでそれを聞いた。
「同人、討伐行において前衛を担い、幾度も味方の退路を確保せり。よってその功を賞し、金貨百枚を下賜する」
間があった。
「あわせて、その名を王国の記録に、巨人族オルドとして残すものとする」
オルドは何も言わなかった。ただ、片膝をつく音が、やけに大きかった。
「聖騎士エステリーナ・マルヴォロス殿」
衣擦れの音が、すぐ後ろで動く。
「同人、特務における統率と保全を全うし、一人の脱落者も出さざりしこと、顕著なる功と認む。よって四柱聖環院へその功を通達し、あわせて金貨五十枚を下賜する」
エストの返答は聞こえなかった。頭を下げる音すら、しない。
「魔法士ヴァルグレイ殿」
三人目の名で、場の空気がもう一度変わった。
その名を知っている者が、この場には何人もいるらしい。
「同人、後方支援ならびに助言をもって討伐行を支えたるにより――」
「結構」
老師の声が、読み上げを断ち切った。
廷臣の口が止まる。
「わしはもう、十分に貰っておる。若い者へ回してくだされ」
どよめきが走った。廷臣が困った顔で玉座を仰ぐ。
王は、少しだけ笑ったように見えた。
「……許す」
それで終わりだった。
やがて拍手が起こる。整然とした、抑えられた拍手。それは確かな評価であり、この場における承認だった。
――それでも。
胸の奥に、ほんのわずかな違和感が残る。理由は分からない。ただ、この場所に立っていることが、どこか自分に馴染んでいなかった。
「ふぅ……」 背後から、小さな吐息が聞こえた。
振りかえることはできなかった。それでも、誰のものかはわかった。
エストが今どんな顔をしているのは、なんとなくわかる気がした。




